100回目

 

 それはまさに出会い頭の交通事故だった。ゾロが廊下を歩いていたら、左側からいきなり何かがぶつかってきたのだ。どうやら走っていたらしい。いきおいよくゾロにぶつかったその少年は、その反動で床にひっくり返っていた。

「大丈夫か?ルフィ」

 左から声がかかる。どうやらこの少年のことだ。きっと一年生に違いない。着ている学ランのサイズが合っていない。小学生がそのまま学生服を着ている、という印象だ。

 ルフィと呼ばれたその一年生は、床に座ったまま何かを考え込むように動かない。頭は打っていないように思えたが、どこか打ち所が悪かったのだろうか、とゾロは少し心配になった。どう考えても、悪いのはこの一年生だと思うのだが。

 しかし、声をかけようにも、こんな時にかける言葉がみつからない。

「ルフィ?」

 声が追いついた。どうやらクラスメイトらしい。ルフィの前に立つゾロに気がついて、あわてて姿勢を正す。

「うわっ!スミマセン!」

 なんでコイツが謝るのだろう、と思いつつ、ゾロは床に座ったままのルフィを見る。

「・・・どっか・・・打ったか?」

 するとルフィがはっとしたように表情を変えた。それから慌てて立ち上がる。隣にいるルフィの友人もあからさまにほっとしている。仲が良いのだろう。

「ごめんなさい」

 そしてゾロに深々と頭を下げる。きちんと挨拶はできるらしい。

「どこか、打ったのかと思ったが」

「あ、平気。ちょっとびっくりしてただけだ」

 言葉づかいはまだまだのようだが。それだけ聞けば立ち去るには十分だと思えたが、なぜかゾロはそうしなかった。

「えーと、先輩?」

「そうだろうな」

「なにかやってる?」

 ずいぶん人懐っこい。けれど馴れ馴れしい、とは思わなかった。しかし質問の意味を図りかねる。少しだけ考えて、思い至った。

「あぁ、剣道を」

「そっか、剣道か」

 なにが嬉しいのか、ルフィは目を輝かせている。もともとこんな目なのかもしれない。

「おれ結構イキオイよくぶつかったのに、びくともしなかったからすげェな、と思って見たらすげェかっこよかったから、ちょっとびっくりしてたんだ」

 も う一度ごめんな、と言ってそれからありがとう、と言った。質問に答えたことへの礼らしい。ウソップもありがとな、心配してくれて、と隣の友人に声をかけ て、二人連れ立って歩いて行った。ウソップと呼ばれた友人ももう一度ゾロに頭を下げた。ゾロも自分の目的地を思い出し、歩き出した。よくある邂逅と言える だろう。

 

  それからしばらく経った頃。また移動中のことだった。渡り廊下を歩いていたら、中庭の木の下で一人の少女が上を見上げているのが目に付いた。普段なら周り に頓着しないゾロなのだが、なんだか気になって足を止めた。上を見上げれば、いつかの少年がその木の上に登っているのが見てとれた。

  なにをしているのかと目を凝らせば、木の枝の先に、なにか小さいものがある。どうやらそれをとろうとしているようだ。その枝は高い位置にあるため随分細く て、それ以上いったらいくらルフィが軽くても、折れる危険があるのではないかとゾロは顔を顰めた。そして一度聞いただけの名前を覚えていた自分に、少し驚 いた。

  枝がしなる。少女の声が上がる。ゾロの足は木の方に向かっていた。近づいてわかったのは木の枝の先にあったのは、子猫だ。どうやら、木の上に登って下りら れなくなったらしい。震えて動けなくなっている。ルフィは慎重に進んでいるつもりのようだが、枝がしなって、先が下を向き始めた。そして枝に爪をたててし がみついてる猫にルフィが辿り着いた時、案の定、枝が折れた。少女の悲鳴が上がる。ゾロは案外自分の足は速いのだと見当違いのことを考えながら、ルフィと 猫を受け止めた。折れた枝は他の枝に引っかかって、落ちずに止まっていたが、いつ落ちてくるとも限らない。早いうちに離れた方がいいだろう。

 なにが起こったのかまだ完全に理解しきれてないルフィを連れて木から離れる。ルフィの腕の中の猫もおとなしくしている。

「覚えとけ・・・ネコは木の上から落ちても自力で着地できる」

ルフィは初めて会った、床の上で座っていた時と同じような表情でゾロを見ていた。

「こんなに小さいのに?」

「小さくてもネコだろ」

「ふぅん。お前すげェんだな」

ルフィが感心したように腕の中の猫を見る。猫は小さな声で鳴いた。

「ルフィさん大丈夫ですかっ」

少女が駆け寄ってきた。そしてゾロに丁寧にお辞儀した。

「ありがとうございます」

ルフィの友人に頭を下げられるのは二回目だ。ルフィに会ったのも二回目なので、今のところ十割の確率だ。

「どこもケガしてませんか?」

少女がそのままルフィに話し掛ける。

「うん。平気だ。先輩が助けてくれたからな」

 そう言ってルフィがにっこり笑った。ゾロはそう聞いて初めて自分がルフィを抱きかかえたままだということに気づき、下ろした。

「鍛えてるだけのことはあるよな」

 そう言ってゾロに笑いかけてきたので、ルフィの方もゾロを覚えていたようだ。

「で、どうすんだ?カヤ。コイツ、連れて帰るか?」

カヤと呼ばれた少女はコクリと頷いて、

「はい。責任持って」

 そ う言ってカヤはルフィから子猫を受け取った。元々、子猫を見つけたのはカヤだったらしい。なんとかしたくてもできないでいるところにルフィが通りかかった のだそうだ。もともと野良だったのか捨てられたのかわからないその猫が校内に紛れ込み、何かの拍子に木の上に駆け上ったのだろう。数人の生徒に追いかけら れでもしたのかもしれない。

 ルフィはカヤに、面倒みる気がないなら放っておけ、と言ったそうで、ゾロは少し意外だった。カヤはしばらく考えて、なんとかあの猫を助けたい、と決断した。それがこの結果だ。

「でも先輩にもご迷惑をかけてしまったようで」

カヤが申し訳なさそうな顔をする。腕の中の子猫も鳴いた。

「あぁ、別に。それよりそいつはルフィが体張って助けたんだ。大事にしろ」

 そう言うと、カヤはにっこり笑った。

「はい」

 予鈴が鳴った。あと二時間、授業を受けて今日は終わりだ。二時間くらいなら教室に猫を持ち込んでも教師も大目にみてくれるだろう。見たところこの少女は優等生のようだし、大人受けもよいに違いない。

 それだけ言って踵を返したところを、制服をつかまれた。

「先輩っ!名前っ!」

ルフィがゾロの制服の腕を引っ張りながら聞いてきた。

「ルフィ、じゃねェのか?」

「違う!いや、あってるっ!そうじゃなくて、先輩の名前!」

「あぁ、ゾロだ。ロロノア・ゾロ」

「ゾロ先輩か・・・」

 納得いったのか、ルフィは制服の腕を放した。

「ありがとうな。ゾロ先輩。助けてくれて」

 またルフィがお辞儀をした。

「そんで、また会えて嬉しい」

 そう言って笑った。

 

  今思えば、あの時には既にやられていたに違いないのだが、ゾロの自覚はもっとずっと後になってからだった。それからなんとなく交友が続いて、と言っても昼 休みに会って喋ったりする程度だったけれど、案外家が近いことも判明して、休みの日にはたまに遊びに出かけることもあった。弟ができたような、そんな気持 ちだと思っていた。

 ゾロが卒業する日のルフィの落ち込みようは、見ていて気の毒になるくらいで、ゾロは嬉しい反面、少し申し訳なく思うほどだった。

「別に学校変わっても、引っ越すわけじゃねェんだから、いつでも会えるだろ」

そう言ってルフィの頭をポンとたたく。そんな風にルフィをなだめたのはゾロの方だった。その時ルフィはしぶしぶ頷いて、なにも変わらないと思っていた。

  けれど、学校が違う、ということは、毎日当然のように会うことはないし、休日の約束をとりつける場がなくなる、ということだった。わざわざ電話をかけたり するのもなんとなく気恥ずかしかったり、だからと言っていきなり家に押しかけたりすることもできなくて、ゾロが高校に入ってしばらくの間、まったくルフィ と会わない日が続いた。一応志望した高校であったにもかかわらず、ゾロはなんとなく味気ない思いでいたのだが、それがなぜかもしばらくはわからないまま だった。なんとなくすっきりしないまま過ごしていたある日の夜、唐突に家のインターホンが鳴った。

  誰かが出るだろう、と思っていたのだが、家人が動く気配がなく、仕方なくゾロが階下に下りて行くと、一階は真っ暗で、どうやら誰もいないらしい。出て行っ たのか、帰っていないのか、そんなことにも気づかずにぼーっとしていたのだと知ってゾロは密かに舌打ちした。どうにも最近、調子が悪い。もやもやとした気 分のままドアを開けると、そこにはルフィが立っていた。

「・・・こんばんは」

ルフィが挨拶をする。もう何年も会っていないかのような気がするが、実際は2ヶ月くらいだろうか。

「・・・こんばんは」

ゾロも挨拶を返した。けれど話が続かない。こんな風だったろうか。自分とルフィは。なんだか妙に緊張してしまっている。何か用か?と言いかけてやめる。用があるから来たに違いないのだろうが、なんとなく口にできない。

「とりあえず、入るか?今家の奴皆出てて、ロクなもん出せねェが」

ルフィはどうやら逡巡しているようだったが、コクリと頷いてゾロに促されるままに家の中に入った。

 

「えーっと。ゾロ先輩、元気だな」

部屋に通した途端、ルフィは少し戸惑ったように口にした。

「は?」

ゾロもまた戸惑ったように返事をする。

「いや、サンジがゾロ先輩、調子悪いみたいだぞ、って言ったから、おれ一応お見舞いに来たんだ。お見舞いだったらいいかな、と思って」

ゾロの頭を一瞬にしていろんな思考が駆け巡る。あまりにいろんなことを考えすぎて、動作が止まってしまったほどだ。

「ゾロ先輩?」

気がつけばルフィの心配そうな顔が目の前にあって、ゾロはなぜだかうろたえた。少し会わないうちに背が伸びた気がする。なんだか心臓が早くなっている。

「やっぱり具合悪いんだな。これ見舞い品だ」

そう言って、ルフィはコンビニの袋をゾロの目の前に差し出した。中にはアイスが2つ。

「いや、別に具合が悪いとかじゃねェんだが・・・」

いや、その前にいろいろと聞きたいことがあったはずだ。ゾロはなんとかひとつひとつ片づけていくべく、混乱を最小限に留めるよう努力した。とりあえずこの距離はなぜか心臓に悪い。

「まず座れ」

「うん」

ルフィは素直にベッドに座った。それだけのことが何故かゾロの動悸を更に速めて、自分は本当に具合が悪かったのかもしれない、と思わせるくらいだった。ゾロはひとまず、ルフィと向かいの床の上に直接座る。なんとか息を整える。

「聞いていいか」

「いいよ」

アイスを冷凍庫の中に入れてくるべきだろうか、と一瞬思ったが、そのまま話を続けることにした。

「お前、あのアホと会ってるのか?」

一 番最初に聞くべきことではなかったのかもしれないが、何故か一番気になったのがこれだった。あのアホ、とはサンジのことだ。ゾロの同級生で、なんの因果か 高校まで一緒になってしまったいわば腐れ縁である。自分とは、この2ヶ月間、まったく会っていなかったのに、あの眉毛とは会ってたのかよ、とゾロにはわけ のわからない怒りとも苛立ちともつかぬ感情が湧きあがっていた。連絡を取らなかったのはゾロも同じで、こんなことを思える立場ではないのだが。

「会ってる、っていうか、今日サンジの家に飯食いに行ったんだよ。家族で。うまかったなー。」

ルフィの顔が大変幸せそうに輝いて、ゾロは大変複雑な気持ちになった。嬉しいような、腹が立つような、まったくよくわからない。ちなみにサンジの家はレストランを経営している。

「そこでサンジに会って、久しぶりだなーって話になって、ゾロ先輩元気か?って聞いたら、まったくハキがねェって言ってた。病気か?って聞いたら、そうなんじゃねェか?って言われて、慌てて来たんだ。見舞いだったら立派な用事だから」

「・・・その見舞いだったら、ってのはなんなんだ?」

ルフィがちょっと言いにくそうに言った。

「用事ないのに会いに来たらダメだろ?」

「なんでだよ」

「ゾロ先輩は新しいカンキョーになって、いろいろ忙しいからあんまり邪魔しちゃダメだぞ、って皆言うし、ゾロ先輩からも連絡ないから、やっぱり忙しいんだろうなーとかも思って。でも用事あったら会いにきてもいいよな。見舞いだしな。」

なんだかクラクラした。そしてもっと早く、自分から会いに行けばよかった、とも思った。

「ルフィ」

「ん?」

「ありがとう」

ルフィの顔がぱっと輝いた。今度はゾロも嬉しいだけでいっぱいになった。

「元気になったのか?」

「お前の顔みたら治った」

別に調子が悪いのかもしれない、と思っていた程度だったのだけど、言ったらルフィは少しだけ考えて、

「ゾロ先輩もおれに会わなくて、少しは淋しいとか思ったってことか?」

そうなのかもしれない。少しどころでもなかったのかもしれない。

「まぁ、調子は確かに狂ってたな」

そう呟いたら、ルフィが嬉しそうに笑った。あぁ、おれはコイツのことが好きなんだな、とゾロはその顔を見て、やっと腑に落ちた。ルフィと会わないことで、つまらない、と感じることも、こうして会っていることで、少し心臓が早く打つことも、全部そのせいだ。

「・・・ルフィ」

「ん?」

「好きだ」

思ったとおりを、なんとなく口にしていた。一瞬の間をおいて、ルフィは

「おれもゾロ先輩大好きだ」

と満面の笑顔で答える。・・・まぁ、こんなものだろう、とゾロはひとまず納得しておいた。嬉しいことは嬉しい。とりあえず自分の中の大きな疑問が晴れたので、あとは引っかかりのひとつを消化するまでに留めることにした。

「なんで、おれだけ先輩、なんだ?」

「は?」

ルフィがなにを言われているかわからない、と言った顔でこちらを向いた。

「お前、おれのことだけそう呼ぶだろ。他の奴らは呼び捨てなのに」

実 際、サンジのことは呼び捨てだし、他にもルフィが呼び捨てる上級生はいくらもいる。本来なら、生意気だとか言われるところだけれど、不思議とルフィに対し てそういう態度を取る人間をゾロは知らない。きっとそれはルフィの信頼だとか、無意識の甘えだとかそういうことの表れだと思うからだろう。それがゾロに対 してだけは相変わらず先輩つきで、少し怪訝に思っていたところだったのだ。更に言うなら、今は同じ学校じゃないのだから、どうこう言う周囲の人間はいない はずだ。もともと、周囲の人間が気になるタイプでもないはずなのだが。常々気になっていたところだ。

 ルフィは少し戸惑ったような顔になって

「えっと、呼んでもいいのか?」

今度はゾロが戸惑う番である。

「ゾロ先輩はすっげぇ礼儀に厳しいんだって、剣道部の奴に聞いたから、おれ絶対礼儀正しくしよう、と思って、そう呼んでたんだけど」

呼び方だけ礼儀正しくても仕方ないのではないかとゾロは思ったけれど、言わないでおいた。このルフィが自分に気を使っていたのかと思うと、少しだけ嬉しい。

「そんな気使うな。」

けれどそれだけは伝えた。

「えと。じゃぁ、ゾロ」

「なんだ」

「・・・アイス食わねェ?」

まぁ、こんなものだろう。

 

 それからルフィの買ってきたアイスを食べながら、二人で、会わなかった間の他愛のない話をたくさんした。けれど階下で音がして、ゾロの家族がどこかから帰って来たことが知れた。ふと時計を見ればもう随分遅い。ルフィはあわてて立ち上がる。

「そしたらゾロっ!またな!」

「また、っていつだ?」

いつでも会える、なんてのは信用しないことにした。

「じゃぁ、週末、土曜日!空いてるか?」

「空いてる」

空いてなくても空ける。ルフィは少し考え込むような顔になって

「やっぱり学校違うと、毎日会えなくてつまんないよな」

確かにそうだ。ゾロにもわかった。

「あと2年したらちゃんとゾロの学校行ってやるから、それまでちゃんと待っててな」

それだけ言うとルフィはさっさとゾロの部屋を出て階段を下りていった。階下でなにやらゾロの家族と話しているのが聞こえた。ゾロもあわててあとを追う。

「家まで送るか?」

「いや、平気。おれも中2だし、男だし。背も伸びたろ?」

「あぁ、そういや、最初に思った」

おかげで顔が近くて困ったのだ。ルフィは満足気に

「じゃぁ、土曜におれがゾロ迎えにくるから、どっか行こう」

玄関先で靴をはきながら言った。

「あぁ、待ってる」

ルフィはにっこり笑って、ドアを出ると手を振りながら走り出した。こんな時間になってしまって、家の人間に叱られなければいいが、と思いつつゾロは見送る。小さくなっていく後姿をぼんやり見つめながら、小さな声で呟いた。

「待てるうちはな」

 

 

 2005.10.20UP
2014.3.22再UP

 



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