10th Anniversary 1 「ゾロ!大事件だぞ!」 言いながら、ルフィが事務所に駆け込んで来た。もう少し帰りが遅くなるようならば、迎えに行こうかと思っていたところだった。 ゾロの所長は今日も今日とて無駄に元気だ。もちろん、それを咎める気は毛頭ない。むしろ、ルフィが元気であればゾロは大概満足だ。 「おかえりなさい。遅かったですね」 「別に遅くないぞ!早いくらいだ!途中で抜けてきたからな!」 「まだやってるんですか、連中は」 ゾロがあきれてため息を吐く。 「まぁそう言うな。十年って言ったら、結構あるぞ?」 「十年過ごすことぐらい、誰でも普通にやってることだと思いますけどね」 「そう言われると、そうなんだけどな」 彼らの事務所は、十二階建てのマンションの二階にある。今日はマンションの地下にあるスナックがちょうど、10周年を迎えたとかで、ルフィが招待されていたのだ。 「そもそもあの女が幾つなのかという話になりませんかね」 「27歳と何ヶ月?」 「まぁどうでもいいですが。無事でなによりです」 「ゾロも一緒に来ればよかったのに」 「招待されたのは所長だけですよ」 「そうだっけ?」 ルフィが首を傾げる。そうなのだ。スナック「メタル・ロッド」の女主人は殊のほかルフィを気に入っているのだ。あまり店には近寄らせないようにしているのだが、表立って招待されたとあっては、同じマンションの店子として断るのは体裁が悪い。 「それでなにが大事件なんです?」 ゾロはさらりと話を変えた。 「あ!そうだ!ゾロにこれ見てもらおうと思ってな」 言ってルフィはズボンのヒップポケットから一枚の写真を取り出した。今時珍しい、ポラロイドカメラで撮ったものだった。 「・・・持ち歩くならおれの写真にしていただきたいものですが」 ゾロが憮然と呟く。その写真がゾロの知らない男のものだったからだ。知っている男なら、まだ手の下しようもあるのだが、知らない男では時間がかかりそうだ。 「いや・・・別に持ち歩いてるわけじゃなくてな」 「浮気の告白ではないと?」 「当たり前だ!」 ルフィが困ったように怒鳴る。この相棒はたまに冗談なのか本気なのかよくわからない。 「そうじゃなくて、よく見ろ」 ルフィが再度促すと、ゾロはすぐに写真に目を落とす。 「そこそこ若い男ですね。生え際から小鼻のわきまで流れているのは血のようですが」 「そこもっと驚くとこじゃね?」 淡々と言うゾロにルフィが思わず突っ込む。 「どうしたんですか?これ」 「気がついたらポケットに入ってたんだ」 「そのジーパンのですか?」 「うん。店に行くときは入ってなかったから、店の中で誰かが入れたんだと思うんだけどな」 「死刑ですね」 「・・・何の話だ?」 「所長のヒップポケットに触れたというのは立派な痴漢行為でしょう」 「・・・違うと思うぞ」 本当に冗談なのか本気なのかわからない。 「そんな話じゃなくて、そいつ、ほんとに死んでると思うか?」 「さぁ・・・どうでしょうね。写真だけじゃなんとも。今時ポラロイドで撮影している点が多少気になりはしますけど」 世の中デジカメが主流だろうし、この手の写真を作るには、データにしてある方が簡単だろう、と思うのだが。 「なんか意味あるのか?」 「これだけではなんとも。所長はこの男に見覚えはあるんですか?今までの依頼人だとか、加害者だとか」 遅ればせながら、彼らが営んでいるのは「探偵事務所」なのだ。人の恨みを買うことも皆無ではないだろう。ゾロに言わせれば、人間は普通に生きているだけで、誰かの恨みを買うこともあるらしいが。 ルフィは眉を顰めて、 「おれ何回見ても思い出せなくてな、ゾロも見覚えねェんだったら、たぶん知らない奴だと思うんだけど」 「そもそもなんだってこんな写真撮ったんですかね」 「おれはてっきりおれに対する挑戦状かと思ったんだけどな」 「挑戦状?」 「こいつを殺したから犯人を捕まえてみろ、という」 「・・・まぁ、解釈のひとつですね」 実際、ルフィはそれほど世に名を馳せた名探偵というわけでもないし、そんな挑戦的な犯罪者は映画や小説の中にしかいないだろう。 ゾロの所長は趣味で探偵稼業を営んでいるくらいで、夢見がちな点がままある。そういうところも可愛いと思っているので、ゾロは別段否定をしない。 「あの店の常連たちの悪戯、という可能性もありますが」 「それはなんか面白くないな」 本当に人が死んでいたら面白いもなにもないのだが、その辺りもゾロはスルーする。基本的にルフィが楽しければそれでいい、というのが彼の価値基準だ。 「気になるようでしたら、ケムリ野郎にでも渡してきますか?」 「あぁ、ケムリンな」 そうしようかな、とルフィが呟いた。ケムリというのは、ここらの所轄所の刑事で、スモーカーという名の顔見知りだ。できればゾロが持っていきたいところなのだが、彼の部下の女刑事が苦手なので、ルフィの判断に任せることにする。 この時点では、たぶん、悪戯だろう、というのがゾロの考えだったのだ。 2 スモーカーが訪ねて来たのは、その二日後のことだった。 「相変わらず暇そうだな」 「失敬だな!」 ルフィが憤慨するが、スモーカーは事実を言ったのみだ。 「わざわざ嫌味を言いに来るほど警察は暇なのか?」 同じく事務所にいたゾロが応じれば、 「失礼な!」 スモーカーの部下のたしぎが目を吊り上げる。 「あぁ悪かった、率直な感想を口にしただけだ。さっさと本題を言う。写真の死体が見つかった」 スモーカーが面倒そうに、言った台詞に、ルフィの頭から怒りが消し飛んだ。ゾロもさすがに驚いている。 「昨日、お前が来た時には、誰も心当たりはなかったんだがな」 と、スモーカーが続けて、 「今朝、シッケアールの林の中に死体がある、ってんで出かけてみたら、お前の持ってきた写真の男だったというわけだ」 シッケアールというのは、駅の向こう側の丘陵地帯が終わる辺りで、まだ森や林がいくらでもある。死体を隠すには持って来いの場所だった。 「死体は林の中に転がっていたのか?」 ゾロが聞けば、 「埋められていたには埋められていたが、散歩途中の犬が掘り出せるくらいに雑な埋め方だ」 「写真のとおり、頭割られて死んでたのか?」 これはルフィ。 「あぁ」 スモーカーはすらすらと答えてくれた。非常に珍しいことだが、 「それで被害者の身元はわかったのか?」 というルフィの問いには、 「まだわかりません。お話を伺いたいのはこちらです」 と、たしぎがピシャリと答えた。 「あの写真のことなんですが、ここの地下の「メタル・ロッド」という店で、何者かにポケットに押し込まれたそうですね」 「おぅ。このズボンのポケットだ」 言ってルフィが立ち上がると、たしぎに尻を向けた。 「所長、そこまでサービスしなくてもいいです」 余計なことを言うゾロをたしぎがきっと睨みつけ、 「貴方のような性癖の方と一緒にしないでください」 「性癖言うな」 「写真を一枚はさまれたくらいじゃ気づかないかもしれんな」 二人を無視してスモーカーが呟く。 「地下の店にはよく行くのか?」 「うんにゃ?あそこ高いからな。おとといは、10周年記念とかで招待されたから顔出したんだ。結構たくさん客いたぞ」 「店を出たのは?」 「十時ごろ、だったかな?」 「十時二三分です。戻って来られたのが二五分でしたので」 ゾロが補足した。たしぎがすぐに割って入って、 「写真に気づいたのは?」 「んーと、ゾロ待ってるから早く帰ろうと思って階段駆け上がってるときに落ちかかったのか、廊下歩いてるときに落ちてきて、目の前に着地したとき」 「おとといに間違いねェな?」 ルフィのあまり要領が良いとはいえない説明に、スモーカーが念押しした。 「うん」 ルフィは素直に頷く。 「おとといになにかあるのか?」 「写真の男の死亡推定時刻は、昨日の午後八時頃、だ」 「昨日?」 「だから写真を手に入れたときのことを詳しくお伺いしたいんです」 たしぎが真面目な顔で締めくくる。 「すげェ!死亡推定時刻が昨日の午後八時で写真を手に入れたのがおとといの午後十時!」 小説のような展開に、ルフィが興奮して手を叩いた。スモーカーが苦笑いをして、たしぎは顔を顰める。ゾロは当然のことながら無問題で微笑していた。 「人が亡くなっているんです。不謹慎ですよ」 たしぎは一応、ルフィを咎めてから、 「それで、どういう具合で写真をポケットに入れられたか、心当たりはありませんか?」 「それが全然ねェんだよ。出入り口の辺りには、おれが出て行くとき、何人か人がいたけど、不自然に寄って来たような奴はいなかったぞ」 「じゃぁ店を出て、二階へ行くまでの間に入れられたという可能性は?」 「ないと思う。誰とも会わなかったし」 「じゃぁ、元から廊下に落ちていたという可能性は?」 「たぶんない。ここは一階が商店街で、二階が美容院とか診療所とか商店があって、三階から十二階までが居住区なんだ。おれんとこと診療所だけが例外で人が住んでるけど、他は店が終わると帰るんだ。おれが階段を駆け上がったときには、両側の店のシャッターは閉まってて、廊下には誰もいなかったから、もし最初から落ちてたんなら、階段上りきる前に気づいたと思うんだ」 「なら、やはり店の中で誰かに入れられたということになるな」 「でも誰がなんのつもりでそんなことをしたんでしょう」 たしぎが半分独り言のように呟いたのを、 「やっぱりおれに対する挑戦だと思うんだけどな!犯人からの!この謎を解いてみろ、という・・・」 「なら、犯人は貴方を知っている人、ということになりますね」 たしぎのあきれたような相槌に、 「そういうことになるか」 ルフィが頷きかけるのを、 「とりあえず、もういいだろう。なにか思い出したらまた連絡をくれ」 スモーカーが打ち切った。 3 「あの写真、返してくれねェのかなぁ」 「今となっては大事な証拠品ですから、無理でしょうね」 「むー・・・失敗したなぁ」 ルフィはすっかりこの事件を自分への挑戦だと思い込んでいるので、手がかりをみすみす警察に渡してしまったことを悔やんでいる。 彼らは今、くだんの「メタル・ロッド」で事件の検証をしているところだった。写真の手がかりをなにか思いつくかもしれない、と、二人でボックス席についていた。当日、ルフィのいた席だ。 「けれど、警察に届けたからこそ、今回の事件について教えてもらえたわけでしょう」 ルフィは探偵のくせに新聞を読まないので、事件について知らずに終わった可能性は極めて高い。 「まぁ、それもそうか」 そして、後悔は長続きしない。 「死亡推定時刻が気になるよな。そうするとあの写真を撮った時点で、あいつは生きてたことになるんだろ?」 「そうですね」 「じゃぁあれは殺人予告だったのかな。おれがちゃんと早く真相に辿り着いてたら、あいつ殺されずにすんだのかな」 ルフィが少ししゅんとなる。 「あれが殺人予告だとしたら、被害者は自分が殺されるのがわかっていて、死体の真似をしたことになりますね」 ゾロの台詞にルフィが首を捻った。 「ちょっと変か?」 「所長が責任を感じる必要は全くない、と言いたいだけです」 「別にそんなこと思ってねェけど。ゾロはなにか思いつくことないか?」 「そうですね。写真を加害者が撮った、ということにして、犯人は殺し屋、ということでどうですか?」 「おぉ!殺し屋か」 ルフィの好きそうな展開だ。リアリティに欠けるという点については棚上げにしておく。ゾロの価値基準は以下略。 「死体は完全に処分して、白日には晒さない、というのがそいつのモットーで」 「わかった!依頼人がいるんだな!」 ルフィが目を輝かせて、 「被害者がただ行方不明になっただけじゃ、そいつが納得しないから、証拠写真を撮って依頼人に渡すんだ」 「だとしたら、加工の容易なデータ写真じゃなく、ポラロイドを使うわけも、まぁ、説明できる」 「おー。なるほど」 ルフィが頷いた。 「その時の客で、所長に背格好が似ている人、なんてのはいなかったですかね?」 つまり誤配の可能性である。 「むー・・・よくわかんねェな」 ルフィは少し唸ってから、 「おーい、アルビダ!おとといおれに似た奴、この店にいなかったか?」 女主人に声をかけた。その気安さに、周囲の客の視線がルフィに注がれる。年齢は不詳であるが、美しい女主人目当ての客は数知れず、店は結構繁盛しているようではある。客層はあまり上品ではないようだが、女性も何人か混ざっていた。 「今ここにいるのとそんなに変わらない面子だよ。アンタみたいなのはなかなかいないね」 アルビダは話しかけられて機嫌よく答えた。それはそうだろう、とゾロは思う。ゾロの所長に似た人間など、そうそういないはずだ。 ゾロはゾロでルフィの喜びそうな思いつきを話しているだけに過ぎないので、その説が真相だと思っているわけではない。 「うーん、そうか」 ルフィは考え込んで、 「でも埋めた死体を掘り起こされるような雑な仕事をする奴だったら、おれを誰かと間違えるくらいのこともするかも知れねェよな」 「けれど残念ながら、この展開には大きな穴がひとつあります」 「そうなのか?」 「死亡推定時刻の問題です」 「・・・・あぁ」 この場合、被害者が加害者に協力する理由はどこにもないのだ。 「うーん。そうだよな。この事件の一番不思議なとこはそこだもんな」 ルフィが水割りをちびちびと飲みながら呟く。その顔があたかも酒が不味いかのように少し顰められていて、 「なにか思い出せそうですか?」 ゾロが声をかけた。 「うーん・・・なんか今、ちょっと引っかかったんだけど、なにかな・・・」 ルフィは喉に小骨が刺さったような顔して唸っている。 「あまり思いつめてもよくないでしょう。それを飲み終わったら、少し外に出て気分転換しませんか?」 ゾロが微笑して、ルフィは頷いた。 4 あぁいう店も嫌いではないが、やはり地下よりも外の方が断然良い。階段を上がってマンションの玄関に出ると、ルフィは立ち止まって深呼吸した。冬の空気は寒いけれど、澄んでいて気持ちがいい。店の中は暖房が効きすぎているくらいだったので、寒さも大して気にならなかった。 「空がキレーだな!冬の夜の散歩も楽しそうだ。ちょっと寒いけど」 「寒くなったら言ってください。即座に暖めます」 「・・・うん。寒くなったらな」 ルフィが笑った。 「どちらに行きますか?」 「んーと、こっち」 ルフィが駅とは反対方向を指す。駅から遠ざかるその道も、宅地造成がすすんでいて、建売住宅の群れや、大小さまざまな新築家屋が、かなり向こうまで続いている。けれど、街灯は多くない。 「星が出ててもやっぱり電気がないと暗いよな」 昔の人は星や月の灯りで十分に活動できたと聞くけれど、電燈の明かりに慣れてしまうと、なかなかそのようにうまくいかない。 「歩くのに困るほどでもないでしょう?」 「うん。まぁ、それは平気」 「おれの顔は見えますか?」 ゾロの顔が近づいてくる。 「うん。大丈夫。見えるぞ」 ついでのように唇が触れたが、ルフィは気にしない。 「所長はうちのテナントの顔を全部知っていますか?」 「全員・・・は知らないなぁ。結構出入りも多いしな」 ルフィが答えると、ゾロは特にがっかりもせず、 「人の顔を覚えるのは得意な方ですか?」 「まぁまぁ・・・かな?ゾロよりは得意だと思うけど」 「それはよかった。じゃぁそろそろ始めましょうか」 片側が畑、もう片側には未完成の建売住宅が並んでいて、道はひどく暗かった。 「この次の角にしますか」 二軒目の家の角を、きわめて自然な足取りで、ゾロが曲がった。ルフィがそれに倣うと、ゾロはモルタルの壁の際で立ち止まり、ルフィの身体を引き寄せた。 ルフィが声を上げようとして開いた唇を、最初はそっと、すぐ次には力強く、ゾロの唇が覆った。ルフィがゾロの脛を蹴っ飛ばしてやろうとする前に、ゾロは素早くルフィを突き飛ばした。 「別にこのタイミングですることないと思うぞ!」 ルフィは咄嗟に身を捻って、ひっくり返りそうになるのを踏みとどまる。 「すみません。所長があんまり可愛かったもので」 と言いながら、ゾロは黒い影と格闘していた。黒い影は人間で、大柄な男だった。 ゾロだけに任せておくのも癪なので、ルフィはゾロの手刀を受けてよろめいている男の右手を後ろからねじ上げた。それから前に回りこむと、ねじ上げた右手を元に戻してやりながら、足をはらう。 男の身体がルフィの手の先で、一回転して地面に落ちた。 ゾロが苦笑して、地面に這いつくばった男の首をつかんで、ずるずると引っ張り、街灯の下まで連れていく。 「この顔、よく覚えておいてくださいね。事件が終わったら綺麗に忘れてくださると尚よいです」 男は二人が「メタル・ロッド」を出るときに、カウンターに座っていた客だった。見かけたことのない顔だが、覚えやすい顔をしていた。念のため、携帯で写真を撮る。暗いので、うまく撮れたかどうかわからないが、ないよりはマシだろう。 「名前か住所がわかるものがあればいいんですがね」 ゾロが男を押さえているので、必然的にルフィが男のポケットを探ることになった。途端に辺りが光り輝いて、ルフィは一瞬光線銃でも撃たれたかと思ったのだが、自動車のヘッドライトに過ぎなかった。 エンジン音が響く。ライトを消して徐行していた車がいきなりライトをつけてスピードを上げたのだ。 ルフィはさっきのお返しとばかりにゾロを突き飛ばして、道の脇に転がった。鼻先を車がすっ飛んで行く。 「顔、見ましたか?」 ゾロが起き上がりながら、大声を上げた。 「見たぞ!」 ルフィも大声で答える。 「おれはさっき店で見た顔ですが、知った顔ですか?」 「知らねェ、けど、たぶんテナントの一人だ」 ルフィはついでに、店で引っかかっていたことを思い出した。おととい、店を出るときに、ルフィを追い越して出て行った女の顔だ。丁度、店に入って来た中年の紳士に声をかけて、女は店を出て行ったのだ。紳士は店に入るのをやめて、女と一緒に出て行った。 その顔をさっきの店で見つけて、ルフィは引っかかっていたのだ。つかえが取れてすっきりする。 「おとといもあいつ、いたんだ」 ルフィはそこまで喋って、ようやく何故自分が大声で話しているのかに気がついた。すぐそばで、すごい唸り声がしていたからだ。 二人を襲った男が妙な具合に曲がった片足を、両手で抱え込んで、地面を転がりながら、盛大に唸っている。 「あぁ、悪ィ。忘れてた。救急車・・・」 ルフィが携帯を取り出すと、 「先に全部喋らせた方がよくないですか?救急車来たらもう喋らないかもしれませんよ?」 ゾロが鬼のようなことを言う。 男が二人を尾行してきたのには気づいていたが、その理由については未だ不明なのである。あの女に頼まれたのだということは想像がつくけれど。 「助けてくれ、救急車呼んでくれ、死にたくねェ」 男が情けない声を上げた。 「まぁ、死ぬことはないとは思うけどな。いいや。ひとまず呼んどこう」 ルフィは救急車の手配を行った。 5 真相はばかばかしいくらいものだった。しかし、ルフィが一番腹立たしかったのは、必死で覚えた女の顔が大した役には立たなかったことだった。タイヤで片足を潰された男が、女に復讐するために洗いざらい喋ってしまったせいだ。女の名前もなにも、それで全てわかってしまった。もちろん男が犯した殺人についても。 被害者は女のヒモだった男で、いろいろ弱味を握ってゆすっていたらしい。詳しい事情はスモーカーがルフィに教えてくれなかったので、よくわからないが、とにかく金をしぼりとっていたらしい。女には金持ちの後妻になる話が進んでいて、ヒモとは手を切りたがっていた。 そこに登場したのが、足を轢かれて洗いざらい喋った男で、これが殺し屋だった。といっても、実にインチキな殺し屋で、今回が初体験、ヒモに金を貸していたとかで、つまりヒモと組んで女からまとまった金を引き出そうと企んだのだ。 ヒモが死体の真似をして、それを殺し屋がポラロイドで撮って、奴はこのとおり片付けた、死体は完全に始末した、と女に見せた。その場所が「メタル・ロッド」の片隅だったのだ。女は納得して二、三日じゅうに金を払う、ということになったが、その分け方で、ヒモと殺し屋がこんぐらがった。 「今から電話して、生きていると言ってもいいんだぜ」 と言われかっとなり、殴りつけてしまったらしい。殺す気はなかったそうだが、結果として女の依頼を実行することになってしまった。 芝居が現実となった殺し屋は、びくびくもので、林の中に死体を埋めた。それがあっさり発見されて、早く金をもらおうと、女と「メタル・ロッド」で会うことにしたが、一足早く来ていた女が、ルフィとゾロの話を聞いて、顔色を変えた。 ゾロがそれを見咎めて、女と入れ違いのように入って来た殺し屋に目をつけて、罠にかけたというわけだが、ルフィの機嫌はすこぶる悪い。 「ほんとにゾロの失敬さは全然直らねェよな」 「すみません」 「ほんとに悪いと思ってねェだろ」 「半分くらいは思ってます」 「全部思えよ」 「それは所長命令ですか?」 「・・・そうじゃねェけど」 ルフィが気に入らないのは、あの殺し屋が襲ってきたとき、ルフィが先に仕掛けるのをゾロが邪魔した件についてだ。あの路地裏でのキスは、ルフィが無茶をしないための牽制だった。もちろんそれだけではないけれど。 「あのくらいの奴ならおれ一人でも十分だったのに」 ゾロはあまりルフィにケンカをさせるのが好きではないようなのだ。ああいう時は常に自分が矢面に立ちたがる。 「だからこそ、あんな雑魚相手に所長が出るまでもないと思いますが」 「・・・自分がケンカしたいだけじゃないだろうな」 「・・・結局所長が止めを刺したようなものじゃないですか」 微妙に話を逸らされた。止めを刺したと言うなら、それはやはりあの女なのだろう、と思うが。 「そういや、おれのポケットにあの写真を入れたのは、やっぱりあの女だったのか?」 「そうですね。他に該当者がいませんから」 「あいつ、おれのこと知ってたのか?」 「まぁ、同じテナントなんですから知っていてもおかしくはないですがね。残念ながら挑戦ではなくただの偶然でしょう」 「偶然?」 「写真をおいて殺し屋が帰った。あの女は写真を始末しようとして、自分の部屋に帰ろうとした。だがその時、運悪く・・・」 「中年紳士が店に入って来た?」 「そう。所長の見たその中年がたぶん女を後妻にしようとしていた金持ちでしょう」 「それで?」 「もう写真を破ることが出来ない。男と一緒に部屋に行けば、裸にもならなきゃいけないでしょうから」 「・・・・・」 ルフィはが少し顔を顰める。 「なにげなく足元に捨ててもよかったんですよ。男はヒモの顔を知らないんですから。見咎められて、お前が落としたんだろう、と言われてもとぼければすんだんだが、直接に手を下したわけでなくても自分が殺した男の写真だと思うから、変に考える。すると目の前に、丁度店を出ようとしている所長の肉付きがなくとも締まって弾力のある、均整のとれたこの尻があった」 「・・・・・・・・」 ルフィはなんとなくゾロを殴った。 「そこで所長のヒップポケットに写真をつっこんで追い越し、男に話しかけて店を出た。所長が好奇心の強い探偵でさえなかったら、あとで気づいても、悪戯だと思って破り捨てる可能性の方が高いですからね。まぁ、まるきりバカな真似、というわけではないでしょう」 ゾロが気にせず締めくくる。 「ふーん」 ルフィが気のない風に頷いた。まぁ、納得はした。だがやはり面白くない。 「女のことはよくわかるな」 店であの女の様子にすぐに気づけるくらいだから、よほどアンテナを張っているのだろう。ルフィの憮然とした呟きにゾロは片方しかない目を丸くして、 「いやに機嫌が悪いからてっきりあの時のキスのことかと思ってたんですが、妬いてたんですか」 「そんなわけあるかバカ」 ルフィが口をヘの字にして怒る。けれどゾロは意に介さず、ルフィを腕の中に収めてしまった。むずがるルフィに軽く口づけると、 「犯人はあの店の客に違いないんですから、気にしていただけですよ」 「別にどうでもいい」 「可愛いですねェ、所長は」 「ほんとに怒るぞ」 「すみません」 「悪ィと思ってねェだろ」 「1割くらいは思ってます」 「少なっ!」 ゾロがあんまり嬉しそうなので、ルフィは怒るのをやめて笑ってしまった。 「今ならしてもいいですか?」 「ダメだ」 「なんでです?タイミングとしては悪くないと思いますが」 嬉しそうな顔が途端に不満そうな顔になるのも面白い。 「スピード解決のご褒美に今からケムリンが奢ってくれるって」 「・・・あいつも敵か?」 ルフィが首を捻って、 「ゾロも一緒にって」 「・・・説教されるかもしれませんね」 その辺がアルビダとは違い、敵と断定できない点でもあった。ゾロは長いため息を吐くと、ルフィにコートを羽織わせて、 「仕方がないので我々の解決祝いは食事のあとと言うことで」 「次の事件が起こらなかったらな」 不吉なことを言ってルフィが笑うので、ゾロはそうならないよう、こっそり念じた。十年も経てば、ルフィが食事より事件より自分を優先してくれる日が来るだろうか。永遠に来ない気もするし、案外すぐ来るような気もする。 とりあえず、もう一度口を吸うくらいの時間はあるはずだと、ゾロはルフィの手を引いた。 2011.8.8再UP 今年2月に出した無料配布本から再録。 知らない人もいるかと思いまして。 オフラインで出したものをオンで再録ってどうなのさ、 と思いましたが、 まぁ無料だったんで・・・。
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