25階の窓

  

 そこは、三つあるうちの候補の二番目だった。
 しかし、最後のひとつの候補については、あまり視野に入れていなかったので、ふたつある候補のうちの後の方、と言っても差し支えない。
 営業マンは今年入ったばかりだと思われる若い男で、いかにも慣れていない、という風だったが、先ほどの営業より好感が持てた。しかし、若干、不安は残る。
「えぇと、こちらの部屋になります」
 エレベーターの階数表示は25階になっていた。
 玄関も、その先に続く廊下も、思っていたよりは狭い。
「廊下の両脇にひと部屋ずつ、奥がオープンキッチン付のリビングになります」
 判で押したような説明だった。
 ゾロはなにも言わず、若い営業の後についてまず向かって右の部屋に入った。
「クローゼットもついてるので、そんなに狭くはないと思います」
 狭いどころか、なにもない部屋は奇妙なほど広く見えた。
「狭いとは思わねェ。これがふた部屋あるんなら、一人じゃ広すぎるくらいだ」
「そうですか!」
 営業の顔が嬉しそうにほころんだ。ゾロはくるりと四方を見回して、
「・・・窓がねェんだな」
 営業が少し困った顔をして、
「角部屋じゃないから、窓はリビングにあるだけなんだ・・・です」
 マニュアルにない質問には弱いらしい。口調が崩れた。
「全部の部屋に窓あった方がいいですか?」
「いや・・・今住んでる家がそういう家なんで、窓がない部屋ってのに慣れてねェだけだ」
「今住んでるのは一戸建て?」
「そうだ」
「なんでまたここに?」
 純粋に疑問だったらしい。営業の顔ではなくなって、たぶん失言だろう質問を吐いた。
「今住んでる家に国が道路を作りたいそうでな。代わりの住居に紹介されたうちのひとつだ」
「・・・そう・・・デシタか」
 なぜか営業が項垂れた。
「それはちょっと寂しい・・・ですね」
「いや・・・別に・・・」
 ゾロの返答に営業は少しムキになって、
「でも思い出いっぱいあるだろ?」
「あるにはあるが、必ずしもそこにしがみついてなきゃいけないもんでもねェだろ」
「・・・・・・おぉ・・・そうか」
 営業は目から鱗がおちたとばかりに目を瞠って呟く。変な営業だ、とゾロは思う。およそ営業らしくはない。そして、何故こんな話を初めて会った人間にしたのか、少し不思議な気もした。
「他の候補もマンションばっかりか?」
「いや、マンションはここだけだ」
「そうなのか」
 少しだけがっかりした風なのは、ゾロがこの場所を選ぶ可能性が少ないと感じだせいなのだろう。
「うーん、やっぱり一戸建ての方がいいよなぁ」
 本当に営業としては失格だ。
「住み慣れてるし、土地も残るし、共益費とかいらないし」
「共益費?」
「うん。マンションだと分譲で買ったとしても駐車場代とか共益費とかが別にかかるんだ。ロビーとか受付とか共有のスペースもあるだろ?警備会社とかの契約もあるし」
「なるほど」
 営業は自分が丁寧語を忘れていることに気づいていなかったが、ゾロは特に咎め立てしなかった。別段気になるほどのことでもないし、至極自然な気がしたせいだ。
「そんでも、持ち家ほど手入れは難しくないと思うんだ。持ち家だと、外壁工事とかそういうの、10年に一回は必要だって聞くし」
「・・・そうかもな」
「維持費とかはその分ちょっと楽だと思うけど、こやって窓のない部屋の方が多いしなぁ・・・」
 しゅんとなったかと思ったら、なにかいいことを思いついたみたいにがばりと顔を上げて、
「あ、ここの一番いいとこ、お客さんにまだ見てもらってねェな!」
 言うが早いが、部屋を出て、廊下の奥にゾロを手招きする。
廊下の先の扉を開くと、正面に空が広がっていた。
「これはちょっと一戸建てには真似出来ねェとこだと思うんだ」
 扉を入って正面に、床から天井までの大きな窓がある。25階だけあって、扉から見られるのは、まず、空だ。田舎の駅前にぽつんと建った高層マンションなので、遮るものはなにもない。 営業はまるで自分の部屋であるかのように、腕を腰に当てて自慢げにしている。
「おれはこの景色大好きなんだ。お客さんもきっと気に入ると思うんだけど・・・どうだ?」
 言ってる途中で自信がなくなってきたのか、最後の問いかけは上目遣いで弱かった。だがこれがこの営業の武器なのではないかと、ゾロは意味不明に思った。そんなことを思ったせいで、咄嗟に目を逸らした。
「高所恐怖症には辛いだろうな」
 営業の顔色が変わって、
「ごめんなさいっ!そんな風には見えなかったんだけどっ!」
「いや・・・一般論を言っただけで、別におれはそういうのじゃない」
「・・・なんだ、よかった。脅かすな」
「すまん」
 素直に詫びれば、営業ははたと気がついたように、
「いや・・・こっちこそすみません」
 言葉遣いが変わった。
「・・・今更」
 何故かそれを不満に感じて、ゾロは首を捻る。
「えぇと・・・それで、どうですか?」
 サッシを開けて営業とゾロはバルコニーに出た。手すりの向こうには、小さな家々と川、その向こうには山と空がある。
「都会の夜景みたいにはならないけど、夜には星が見えて、結構よい・・・です」
「ここで夜景を見たことあるのか?」
「うん。夜遅くしか時間とれないお客さんもいるからな。すっごいキレイだぞ!こんなの毎日見られたらすごくよい、とおれは思った。夏になったら、川の花火だって見られる位置だ。これはさすがに見たことねェけど」
 営業が少し興奮したように、夜景の感想を連ねた。危ねェな、とゾロはまたしても意味不明に眉間に皺を寄せる。その皺をどう捉えたのか、営業は少し眉を寄せて、
「ここがこの部屋一番のセールスポイントなんだけど・・・」
「・・・まぁ、悪くはねェ」
「よかった!」
 営業はほっとした顔になって、
「あ、でも一生の買い物だから、他の候補もきちんと見て、それからまた考えてくれたらいいと思う」
「どのくらい空いてそうだ?」
「・・・それはまぁ、わかんねェです。こういうのは縁だから。ずっと空いてるかもしれねェし・・・」
「即日に決める奴もいる?」
「はい」
 営業は頷いた。
「おれは自分の直感はわりと信用することにしてるんだが」
「はい?」
「お前は実家通いか?」
「実家っていうか・・・兄ちゃんとアパート借りてるけど」
 営業の顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。まぁそうだろう。
「そこはここより広いか?」
 営業はぶんぶんと首を横に振って、
「部屋全部合わせてもここのリビングより狭いぞ。エースもいっつも狭い狭い言ってて、喧嘩するとすぐにおれに出てけって言うんだ。ひどくねェ?」
 怪訝そうではあったが、警戒心はまるでないようだ。エースというのは兄の名前だろう。
「なら、共益費半分出してここに住む気はねェか?」
「・・・・・・・・・・・・はい?」
「とりあえず、問題は共益費と、ここはおれ一人で住むにはちょっと広すぎる、ってとこだ」
「・・・・・・おぉ」
「お前がここで暮らせばそれは概ね解決する。それで、この景色もお前のものになる。悪くねェと思わねェか?」
「・・・・・・・・・・悪くはねェ・・・と思う・・・けど・・・・」
 営業は目を白黒させている。なにかがおかしいが、そのおかしさを見つけられない、というように眉間に皺を寄せていた。
「縁のものなんだろ?こういうのは」
「・・・・うん」
「それとも自分が住む気にはなれないような物件か?」
「そんなわけあるか!」
「じゃぁ、決まりだな」
「・・・・・・んん?」
 それはこの物件は絶対に逃してはいけない、という直感だった。

初出いつか覚えてないですが
たぶん2011くらいかと・・・

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