ありふれた話

 

 映画館というのは映画を観たい人が入るものなのだとばかり思っていた。

 その時、ルフィは少々困っていた。映画が始まってまだ数分しかたっていない。タイトルクレジットも今出たところだ。なのに、隣の席に座った男は現在爆睡中である。それもルフィの肩を枕にして。

 余程起こそうと思ったのだ。けれどあまりにも深く眠り込んでいるため気が引けた。確かに映画館は暗いし、程よくエアコンも効いているから、眠るにはいい場所なのかもしれない。でも、まったく映画を観る気もないのに映画館に入るものなのだろうか。映画自体に興味はあまりないのだが、彼女に強請られて仕方なくチケットを買ったのに、彼女の都合がいきなり悪くなり、そのままチケットを無駄にするのが癪で意地になって入ってみたとか。そこまで考えて少し笑う。もし本当にそうなら気の毒だと思う。

 ルフィが少し身じろいでも男はまったく起きる気配を見せなかった。よっぽど疲れているのかな?と思う。でなきゃ、こんな風に他人の肩でここまで熟睡できないだろう。背はルフィより幾分高い。規則正しい寝息だ。顔は・・・暗い上に横顔しか見えないからよくわからないが、男前・・・だと思う。とても彼女にドタキャンくらうようには見えない。ひとまず自分の推理を撤回することにした。じゃぁ、なんでだろうなぁ、とその顔をしげしげと見ながら考え始める。人の顔をこんなに近くで見ることなんて滅多にないせいか、少し動悸が早まった気がする。そして自分も映画そっちのけであることに気づいた。あとでストーリーを聞かれても絶対答えられない自信がある。なんだかそれはおもしろくない。少なくとも自分は映画を観る目的で映画館に入ったのだ。それなのに、この現象はどうしたことか。

「困ったなぁ」

 ルフィは心の底から呟いた。

 

 映画館というのは、程よくエアコンが効いていて、程よく座り心地のよい椅子があり、程よい暗さであり、眠るには結構よい場所だと思う。ただ、映画の内容によっては多少、向き不向きがあるだろう。その時かかっていた映画は確か、そんなに静かなものではなく、どちらかと言えば、騒がしく、忙しい内容だったと思われる。知り合いがチケットをくれたので、どんな映画だかわからないままになんとなく入ってみただけだった。気分転換くらいにはなるかと思ったのだ。興味があまりなかったという点では向いていた内容なのかもしれない。それに自分は寝汚いという自覚はあるし、疲れてもいたと思う。

 けれど、見知らぬ他人の肩を枕に熟睡するような真似はいまだかつてしたことがなかった。

 目が覚めたら、スクリーンにはスタッフロールが流れていて、自分が誰かにもたれてうたた寝していたことに気づいた。いや、映画の記憶がまるでないことをかんがみると、始まりから終わりまでほぼ2時間。うたた寝と呼べるレベルではない。そんな長い時間、自分は他人の肩を借りていたことになる。(最悪だ・・・)まず謝るべきだと気づき、提供者の顔を見た。少し小柄な少年だ。気のせいか、少しびっくりしたような顔をしている。暗くてよくわからないが、目が大きくて、活発そうだ。2時間もじっとしているのはさぞかし大変だったろう、と脈絡なく思う。こっちの出方を待っているのか、少年はこちらをじっと見たまま動かない。なんだかすごく見られている気がする。早く謝りたいのだが、なかなか言葉が出てこない。どうにも焦って言葉が出ない。どんどん落ち着かない気分になってくる。この目のせいだろうか。この暗さの中でも射るように視線がぶつかってくるのがわかる。それならこちらが目を逸らせばいいのだが、それもできない。(これが生まれて初めてかかる金縛りというヤツだろうか)なぜかそんな考えが頭をよぎった。

「お前、名前は?」

業を煮やしたのか、少年が先に口をきった。その言葉でやっと金縛りがとけた。

 

「ゾロ。ロロノア・ゾロ。」

男は一瞬なにを言われたのかわからない風だったが、すぐに答えた。なんだか想像通りの声だ。正面から見る顔はやっぱり男前だと思う。少し年上だろうか。

「ゾロか・・。おれはルフィっていうんだ」

「ルフィ・・・」

男、ゾロが呟いた。なんだかその声にも少しドキドキした。

「起きたら一番最初に名前聞いてやろうと思ってたんだ。」

じっと見ていたら視線を外された。

「悪かった」

ゾロが頭を下げた。ほんとうにすまなそうで、ルフィは少しおかしくなった。たぶん年下であろう自分に対して、真剣に謝っている。たぶん、さっきから、頭の中は謝罪の言葉でいっぱいだったのだろう。

「いいよ、気にすんな」

映画よりおもしろいものを見た気がする。気になっていた名前も聞けた。最終的には満足だ。そう言った時、明かりがついて、ゾロの顔がきちんと見れた。

「やっぱり男前だ」

思わず口に出ていた。

「は?」

ゾロが怪訝そうな顔をする。明るいから表情もきちんとわかる。ちょっと強面ではあるが、そこがまた強そうでかっこいい。この顔であんな風に謝ったんだ、と思ったら、余計おかしくなってルフィは笑った。

「おもしろかったからいい」

じゃぁな、歩きながら寝るなよ、そう言ってルフィは席を立った。否、立とうとした。

「えーっと」

腕をつかまれて、その場から動けない。

「あぁ!悪ィ・・・」

ゾロはとっさに謝って、それでも掴んだ腕を離さずになにか考え込んでいる。(男前は得だなぁ)、とルフィは呑気にゾロを眺めていた。その間も、どんどん観客は外に出て行き、館内は二人だけになる。そろそろ出ないと、次の放映が始まるんじゃないかな?と思った頃、ゾロがおもむろに言った。

「お前、これから時間あるか?」

 

これは、ひょっとしたら、ナンパってヤツじゃないだろうか・・・。ゾロはそう考えてあわてて打ち消す。単純に詫びがしたかっただけなのだ。少年はルフィと名乗って、気にするな、と言ったが、そうはいかんだろう、と思った。なんとかして、謝罪の方法を考えていたのだが、ルフィは笑って立ち去ろうとした。その笑顔がまたゾロの思考を鈍らせて、気がついたら腕をとって引きとめていた。

結局、食事を奢ることにしたのだ。ルフィはあっさりついてきて、今、目の前ですごい勢いで出された肉と格闘している。けれど、こんなに無防備でいいのか、とちょっと心配になる。知らない人について行ってはいけません。とは、幼稚園児でも知っていることだ。このまま酒でも飲まされて、どこかに連れ込まれたらどうするつもりだ、と苦々しく考えて、愕然とする。(その発想はなんだかおかしくないか?)

「ゾロはなんであの映画観に行ったんだ?」

ルフィがいきなり聞いてきて、ゾロはあわてて気持ちを切り替える。

「あー。友達が券くれたから、だな」

知り合いから、友人に昇格している。なんだか、そいつにも飯のひとつは奢ってやりたい気分になっていたのだ。

「なんだ。案外普通の理由だな」

いろいろ考えてたのに。とルフィが呟いた。なんとなく微笑ましく思えるから不思議だ。

「どんな映画だったんだ?」

ルフィはやはりあの映画に興味があって入ったのだろう。自分のせいであまり観られなかったのならば、やはり申し訳ない。けれどおもしろかったと言っていたからそれなりに観ることは出来たのだろう。ルフィがなにに興味を持って、なにをおもしろいと感じたのかを知りたかった。けれどルフィはしばらく黙ってから

「わからない」

と答えた。ゾロは一瞬不思議そうな顔をしたが、続く

「ゾロのことばっかり考えてたから」

という一言によって一気に血液が上昇した。

 

「ゾロ、顔赤い」

今度はルフィが一瞬不思議そうな顔をしたが

「お前のせいだ」

という一言によって血液が上昇した。言われたことを理解するまでに多少のタイムラグはあったが。

「いやっ!違うぞ!そういう意味じゃなくて!」

「違うのか?」

なんでそんな残念そうな顔をするのか、この男は!

「いやっ!ただこう、なんで映画観に来て映画観ないんだろう、とか、すげぇ疲れてんのかな、とか、すげェ男前だ、とか、名前なんていうんだろう、とかそういうことを考えていただけでっ!」

そしてなんで自分は真っ赤になって墓穴とも思える言い訳をしているのか。

「名前だけでいいのか?」

ゾロがルフィとは対照的に少し落ち着いた感じで、静かに聞いた。

「おれは、他にもいろいろ知りたい。ダメにした映画もお前がいいなら、また連れて行く。映画以外でも好きな所、どこだっていい。いろいろな話をしたい。」

そんな風に真正面から穏やかに言われても、ルフィの頭の中は展開についていけない。テーブルの上の水を一息に飲んで、頭の中を整理する。

「肩貸したことだったら、十分詫びてもらったぞ?」

「別に詫びじゃなくて、お前に興味がある」

「それは、これからも一緒に遊んだりしようということか?」

「とりあえず、そうとってくれてかまわないが、迷惑か?」

「全然迷惑じゃねェけど」

なにか釈然としない。言われるままに連絡先を渡しながらも、どう釈然としないのかを考えていた。ゾロとこれからも付き合いを続けることに異論はない。今日だけで会えなくなるというのはルフィも残念だと思っていた。連絡先を聞かれたのだって、正直嬉しかったのだ。

「それじゃぁまた連絡する」

駅前でゾロが言うまで考えて、理由に思い当たった。

「ゾロッ」

とりあえず、伝えることにする。それは少し、宣戦布告に似ていた。

「覚えとけよ!おれの方が先に好きになったんだからな!」

ゾロはそれはもう、驚いた顔をして、それから大笑いした。こんな風に笑うんだな、とやっぱり少しドキドキしながら言い捨ててルフィは改札に入った。ゾロは笑いながらルフィを見送っていた。走って電車に飛び乗る。動悸は全力疾走のせいだ。そう結論付ける。

「あ、おれゾロの連絡先聞いてねェや」

と後から気づいたが、まぁ、いいや、と思う。あの律儀そうな男が連絡する、と言ったからにはたぶん連絡はくるのだろう。

 

映画館に行って映画を観ずに帰ることもあるんだということを、ルフィはその日初めて知った。

 2004.8.1up

すみません。

出来心です・・・。

 

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