サマーバーゲン

 

 ルフィの住んでいる十二階建てのマンションは一階と二階が商店街になっている。かくいうルフィが住んでいるのも、その商店街がある二階だ。

 しかしその時ルフィがうろついていたのは一階で、晩ご飯のおかずを物色しているところだった。

普段なら素通りしてしまうはずのメンズ・ウェアの店の前で不意に立ち止まったのは、バーゲンセールの赤札と、ショーウインドウに飾られていた半袖シャツのコラボレーションによるものだった。

 気取った高い店なので、普段は全く気にしない。けれど、ショーウインドウに飾られたシャツは、なんとなくゾロに似合うような気がしたし、「全品正札半額」と書かれた赤いポスターを見るにつけ、たまにはこういうものを買うのも悪くないのではないかとルフィは考えた。なんにせよ、ゾロを喜ばせることが出来たらそれはとてもよいことだ。

 もっとよく見ようと思い、ルフィは窓に顔を近づけた。

「・・・・?」

 その時、男の顔に気がついた。最初はマネキンだと思ったが、ガラスの向こうに頬をくっつけて、見開いた目が尋常ではなかった。その頬には14,500と書かれた値札が貼り付けられている。

「・・・これは売れねェだろう」

 ルフィはぽつりと呟いた。

男はTシャツにジーンズを着ていて、その顔面は蒼白だった。そばに、サマーセーターを着せたスタンドが倒れているし、異常事態なのは間違いない。

「あれ、売り物じゃねェよな?」

 ルフィは早速店の中に入って、主人に声をかけた。相手はきょとんとして、

「おぉ、探偵か。どうした?どれのことだ?」

 ルフィはこのマンションの二階で探偵事務所を開いているのだ。これでも所長である。しらばくれている様子もないので、ルフィは主人をウインドウのところまで引っ張っていった。

「げ」

 と言って主人は立ちすくんだ。こちら側からは、男の後頭部が見えたのだ。その後頭部はあきらかに血で固まっていた。それから、もっとはっきり異常を告げているもの。

「真っ赤だな」

 ルフィが見たままを口走る。Tシャツの背中が逆三角形に真っ赤に染まっていた。血で汚れていたのだ。たちまち店内にいた客が、ルフィたちの後ろに押し重なった。女性の声が悲鳴を上げる。

「お客に出て行ってもらって、シャッター閉めた方がいいんじゃねェか?こいつ、死んでるぞ?たぶん、殺されたんだろうな。知ってる奴か?」

「いや、知らねェ奴だ・・・そうだな・・・なんとかしねェと・・・どこかに運んでもらって・・・」

「いやー、勝手に死体を動かすと、なんか罪になるらしいぞ?」

 正しくは他殺死体を、なのだが、主人はそこまで頭が働かない。ルフィの声はどこか暢気だ。しかしその顔がすぐに顰められた。誰が呼んだのか、警備員の姿を認めたからだ。

「うるさいのが来たなー・・・」

 いっそ警察がすぐに来た方がよかった、とルフィは思う。マンションの店子とはだいたい友好的な関係を築けているルフィだったが、こと警備室に関しては、とても友好的、とは言えない。

 制服の男たちの姿が見えると、店内の客が慌てて逃げ始めた。しかし警備主任である長髪の男は容赦なく、出入り口に立ちはだかり、

「申し訳ないが出ないでもらおう」

 威圧的に言った。警察は喜ぶかもしれないが、店はいい迷惑だ。

「誰かこの男を知りませんか?叫び声や、物の倒れる音を聞いた方でもいい」

 客は店内に十人ほどいたのだが、誰も答えるものはいない。警備主任はイライラしたように、

「そんなはずはないだろう。皆さんのいるところで殺されたんです。自分で転んでこんなことになるはずがない。探偵、お前もなんにも知らないのか?」

 ルフィはこの男の高圧的なところがあまり好きではない。一番好きじゃないところはまた別のところなので、とりあえず状況を話す。

「おれが外から見たときはもう死んでた。最初はマネキンかと思ったくらいだ。他の奴もそうなんじゃねェか?」

「こんなマネキンがあるわけないだろう」

 早くも疑いモードだ。彼はルフィの言うことにとりあえず反発するクセがある。

「そうか?服屋の店先に人間が飾ってあるとかフツー考えねェと思うけど」

「それにしたって朝からここで死んでいたわけじゃないだろう」

 警備主任が面白くなさそうに眉を吊り上げると、主人があわてた口調で、

「そうだ、一時間ほど前にそこに出してあった上着を売ったんだが・・・その時はいなかったはずだ」

「そういえば、その人、一人で入ってこられたような気がします。やけに青白い顔をしてたんで、なんとなく覚えてるんですけど・・・」

 と言ったのは、この店のバイトの娘だった。それに誘われたように、客の一人が口を開いて、

「私を入口で押しのけたの、この人だわ。ちらっと顔を見ただけだけど、妙に生臭かった。あれ、きっと血の臭いだったのね」

「・・・こいつ、外で殴られたんじゃねェか?」

 ルフィが思いつきを口にした。

「ここで殴られたんなら、声も出したろうし、音もしただろうから、誰も気づかない、ってことはないだろ?」

「関わり合いになりたくなくて、目撃者が口をつぐんでいることも考えられる」

「ほんとお前、感じ悪いよな」

 常に人を疑ってかかる。そしてそれを隠しもしないので、この警備主任を嫌っている住人は多い。が、女性ファンがついているという噂もあるので人それぞれだ。

「だいたい、ここまで殴られてふらふら歩けると思うのか?」

 警備主任は言下にルフィの言い分を退けたが、そこで援護が入った。

「そうとばかりは言えないだろう。頭を打った翌日に、急に頭痛がすると言ってそのまま死んじまったって話はよく聞く。あのTシャツの様子から見ても、血がじわじわ背筋に流れて布地に広がっていったんだろうから、かなり長い間立っていたということになる」

 いつの間にか、ルフィの後ろにゾロが来ていて、ルフィは元気づいた。ゾロはルフィの事務所の唯一の正社員だ。

「そう、そんな感じだ」

 警備主任は舌打ちをして、

「わかったからとっとと出て行け」

 この警備主任の一番嫌いなところである。言葉は悪いが、ルフィ的にせっかく起きた事件から、ルフィを遠ざけようと邪魔するのだ。

「おれだけ帰らせたら、他のお客から不公平って言われるぞ」

 ルフィは抵抗を試みる。

「お前は単に野次馬根性で死体を見つけて飛び込んだだけだろう。ここに置いておいたらやたらと口を出して、署の連中が迷惑する」

 ここの警備会社の人間には元警察官が多く、住人よりも警察よりの考えをするところも評判の悪い原因のひとつだ。ルフィにもまったく納得のいく話ではなかった。なかったが、

「そろそろ腹が減りませんか?」

 耳元で囁かれたゾロの声に、しぶしぶ頷いて店を出ることにした。そういえば買い物の途中だったのだ。

 

 

 なんとなく買い物どころじゃなくなって、その日の夕飯は外食となった。と言っても、同じマンション内の一階にあるレストラン「バラティエ」での食事である。

 バラティエは美味いと評判のレストランなので、住人以外にもお客は多い。ボックス席は満席だったので、二人はカウンター席に並んで座ることになった。

「しかしほんとにそいつ、致命的な怪我を負わされて、半分死にながら歩いてたってのか?」

 食事中にする話でもなかったのだが、自然その話になってしまい、店の主人であるサンジがカウンター越しにルフィに聞いた。

「おう。肉屋のおっさんが背中の半分が真っ赤なシャツ着てクリミナルの方に歩いてく若い男を見たって言ってるしな。酒に酔ったみたいな歩き方してたって」

 クリミナルというのは死体発見現場となった洋品店の屋号だ。クリミナルを出てすぐに、ルフィは周辺の聞き込みを行っていた。

「事件そのものより周囲の無関心の方が怖いな」

 カウンターの向こうで、作業の手を緩めずに、サンジが少し大げさにため息を吐いた。

「おれはわざわざショーウインドウに上がりこんだことの方が気になるけどなぁ」

「自分の家と間違えた、とか、もう歩けなくなったとか言うなら声くらい出しそうなものですからね」

 ゾロがルフィの疑問に頷く。

「そうだよな。どこから歩いてきたんだか知らねェけど、周りに人がたくさんいるのに、誰にも助けを求めてない、ってのが不思議だよなー」

「逃げはしても、助けは求められない立場だったんですかね」

「逃げる?」

「普通、頭を殴られて意識があれば、反撃するか逃げるかしませんか?」

「あぁ、そうか」

 ルフィは納得したが、サンジは納得できないようで、

「それでなんでショーウインドウだ?」

「力尽きて逃げる努力を放棄した、ってとこじゃねェのか?」

 ゾロがぞんざいに答えた。ゾロの態度は所長であるルフィとその他に対するものとで天と地ほどの違いがある。が、周囲はすっかり慣れてしまっているので大して誰も気にしない。

「わざわざショーウインドウに立つ説明になってねェだろうがよ」

 だからサンジがゾロに突っかかるのは単に相性の問題だ。だが、サンジの言うことも尤もだった。

「ひょっとして、これダイイング・メッセージじゃねェかな!」

 ルフィの顔が俄然輝きだした。被害者が犯人の正体を知らせるために最後の力を振り絞って残すメッセージは、古今東西のミステリーにおける魅力的な謎となっている。

「いやぁ・・・どうだろうな」

 物事をなんでも面白い方向に持って行きたがるルフィの暴走癖を知っているサンジが苦笑した。しかし、ゾロは基本的に所長の言うことを否定しないので、

「そうすると、被害者の頬についていたという正札が気になりますね」

「あー、正札っていくらだったんだ?」

 サンジが舌打ちしながらルフィに聞いた。

「一万四千五百ベリー」

「命の値段にしちゃ安すぎるな。自分で貼ったってのは考えにくいんじゃねェか?」

 サンジがあっさり片付けようとするが、ルフィはがんばった。

「でも意味なくほっぺたに値札はつけねェだろ?」

「そもそもその値札ってのは死体のそばにスタンドごと倒れていたサマーセーターのものだったらしい」

 ゾロが補足する。

「それじゃ偶然の可能性が一番高いんじゃねェか」

 と、サンジが口を出すのをゾロが鼻で笑って、

「話は最後まで聞け。正札は細い糸で品物にゆるく縫いつけてあるから倒れたくらいでは取れないって話だ。札自体は紙だから、少し強く引っ張れば穴が裂けて取れるだろうがな。だから被害者が自分で頬につけたか、犯人があとをつけてきてつけたか、ということになる。で、被害者はショーウインドウのガラスに顔をくっつけて発見された。そうですよね?所長」

 最後だけルフィに向かって言った。

「つまり、札はガラスと頬の間に挟まってたわけか。裏に糊がついてるわけじゃねェから、被害者がやった可能性の方が高くなってくるな」

 犯人にも出来ないことはないだろうが、ガラスの向こうは商店街の人通り、それをするにはかなりの勇気がいるだろうし、それこそそんな危険を冒す意味がない。サンジが眉を顰めて呟いた。ルフィもつられて眉間に皺を寄せる。

「少し、整理してみましょうか」

 ルフィの眉間の皺を気にしたのか、ゾロが提案する。

「被害者はどこかで後頭部を殴られて、死ぬほどの怪我を負った。が、すぐには死なないで犯行現場から歩き出し、シャツの背を血に染めながら、商店街までやって来た。ここまではいいですね?」

 ルフィは黙って頷く。

「かなりふらついて酔っ払いのように見えたというからには、そんなに長距離を歩いたとは思えない。犯行現場は案外このマンション内かもしれない」

「わかった!」

 ゾロの言葉にルフィが立ち上がった。

「ダイイング・メッセージだ!やっぱり正札の数字に意味があったんだ!数字は部屋番号を表してんだ、一四五〇〇」

「ゼロを省いてみたところでおかしいだろう。一階には部屋番号はないし、ここは十二階建てだ。一四五〇号室はない」

「む・・・」

 サンジが言うと、ルフィは明確な間違いを指摘された子供のように口をヘの字に曲げた。そこへゾロが呟いた。

「全品正札半額だったんでしょう?」

「そうだ!14500を2で割って・・・いくつだ?」

「七二五〇」

「それだ!0取ったら七二五号室!」

「・・・お前無責任にこいつの意見を拾うなよ」

 サンジが呆れたようにゾロに言ったが、

「責任は取る」

「そういう問題じゃねェんだよ」

 相変わらず問題の答えにはならない回答が返った。

「おい、うるさいぞ。客はほかにもいるんだからな」

 その時、後ろのテーブルから若い男が二人立ち上がった。見覚えのない顔だったが、三階から七階までの賃貸の部分は、しばしば住人が入れ替わるので、顔を覚えていないこともある。サンジが頭を下げて、

「あぁ、すみません。少し声が大きかったようで、気をつけます」

 客の二人連れに謝ったが、ルフィは気にせず、

「今から七階行ってみよう!ごちそうさまでした!」

 サンジに元気よく告げた。それが悪かったのだろう、

「なにが七階だ、文句つけられりゃただ出てきゃいいってのかよ」

 若い男の一人がルフィの腕をつかんだ。否、掴もうとした。

「気安く触らないでいただきたい」

 逆に腕をねじり上げられて悲鳴を上げる羽目になっていた。

「いや待て、悪いのはどう考えてもお前らだ。こんなとこで暴れたら、損害賠償を請求するぞ。その前に警備員を呼ぶ」

 サンジが慌てて割って入る。

「ルフィ、お前もお前だ。今から他所の住人のところへ押しかけるような非常識な真似するな。住人のプライバシーの侵害になるし、警備室もうるさいぞ」

「むー・・・」

 ルフィはまだ納得がいかない顔をしていたが、腕をねじり上げられてる男を見るにつけ、考える時間はあまりなさそうだった。

「わかった。うるさくしてごめんなさい。ゾロ、もう帰ろう」

 ルフィがペコリと頭を下げてそう言うと、ゾロもあっさりと手を離す。腕をねじり上げられた男の方がなにか言いかけたのを、もう一人が制して、その腕に手をかけた。するとスポークスマンは急に態度を改めて、

「プライバシーを侵すようなばかな推理ごっこをやめるってんならそれでいいんだ。こっちも喧嘩を売りたいわけじゃない」

 黙り屋の方に腕を掴まれたまま、男はレジの方に向かった。終始黙っていた男の方が実力行使には慣れているらしい。顔には酔いが斑に発していて、酔っていない部分はいやに白茶けていた。眉の間に皺を寄せてしきりに唇をなめている。目が異様に光っていて危険な気がしたが、ここは引くつもりらしい。勝ち目がないと見て取ったのか、警備員を呼ばれたらまずいとでも思ったのか、その辺りの判断はつかなかった。

「サンジもごめんな。ごちそうさまでした」

 サンジにも軽く頭を下げて、ルフィはゾロと一緒にバラティエを出た。時間は八時を少し回ったところだった。

 

 

 事務所兼住居に戻った二人を、二人の男が待っていた。先ほどの二人ではない。顔見知りの所轄署の刑事だ。

「夜分に失礼します」

 礼儀正しく挨拶したのはコビーという新米で、派出所時代からの知り合いだった。

「遅いって時間でもねェよ。入ってくか?」

 ルフィが気さくに言えば、コビーはほっと息を吐いて、

「出来ればお願いします」

 玄関先で気楽に出来る話ではないらしい。一緒に来ているもう一人も、コビーと同期で、新人同士が組まされることなど滅多にない組織なので、非公式なのだということがわかる。

「あの・・・ルフィさんはそれなりにここの住人と顔を合わせることが多いですよね」

 事務所に入るなり、コビーが口を開いた。ルフィがいきなりの質問に首を傾げつつも、

「まぁ、買い物のときとかには結構会うな」

 ゾロは仕事以外では出不精な上、社交的とは間違っても言えないので、自然、買い物などはルフィが行うことになっていた。

「最近様子のおかしい方はいませんか?」

「どういう風に?」

 コビーは一緒に来た相方と顔を見合わせてから、

「このことは秘密にしておいていただきたいんですが、いいでしょうか」

 もとより探偵には守秘義務というものがある。別に相手は依頼人というわけではないが、その辺りはルフィも心得ていて、こくりと頷いた。

「おかしな様子というのは、覚せい剤中毒らしい方はいないか、という話なんですが・・・そう言ってもわからないかもしれませんが」

「わざわざこんな時間に来るってことは、今日の事件のことだろう。あの被害者、覚せい剤の売人だったのか?」

 ゾロが突っ込むと、コビーは曖昧に頷いて、

「はっきりしたことはまだわからないんですが、どうもそうらしいです。ポケットの中に薬が少量こぼれて付着していましたから・・・といって、当人は中毒者じゃないんです」

 自分が使うのではなければ人に売るのが目的で持ち歩くのだろう、という結論に達するのは容易だ。

「今は一般家庭にまで出回ることがあって、こういうマンションなんかは特に狙われやすいんです。お金と時間のある方が多いですからね。売人らしい男がここで殺された、となると、お得意さんがいたんじゃないか、という話になるでしょう」

「うーん、そっか」

 あまり嬉しくない話だった。が、なんとか気を変えて、

「そんで、覚せい剤を打ってる奴ってのはどんな風なんだ?」

「あれを打つとやたら自信が出てきて、精神が高揚状態になるんです。動悸が早くなって、歩いていても走っているような感じになって、目がぎらぎらしてお喋りになることが多いようです」

 ルフィは心当たりを探ってみる。お喋りには心当たりがあるが、目がぎらぎらしているかというとそうでもない。が、なにか引っかかりはする。

「といっても、正常なエネルギーの活動でそうなるわけではないので、額に脂汗が浮いて、そのくせ頬は乾いた感じになるらしいです。ぼくも実際に目にしたことは数えるほどしかないのですが・・・」

「覚せい剤中毒には幻視幻聴がつきものなので、びくびくして虚勢を張っている感じも目安になるでしょう。あと、薬が切れかかってくると、唇を舐めたり、腕をさすったりします。口の中が乾くし、皮膚が乾いて収縮するのでちくちくするらしい」

 ゾロの補足にルフィは「あ」と叫ぶ。

「あいつらか!」

 先ほどバラティエでからんできた二人組を思い出した。やたらと目をぎらつかせていて、片方はやたらとお喋りだった。

「死んでた売人から薬を買ってて、それが手に入らなくなったから、八つ当たりされたんだな」

 そう思うと少しだけ腹が立つ。

「なんのことです?」

 コビーにバラティエで見た二人の話をすると、

「ありがとうございました!バラティエのご主人がその二人を知っているかどうか聞いてきます!」

慌てて部屋を出て行った。

二人を見送ってルフィはがっかりと首を垂れる。

「こんなことならあの時、捕まえとけばよかったなぁ」

「そう気落ちしたものでもないと思いますけどね」

「そうなのか?」

「あそこであの二人を捕まえたところで大した進展はなかったと思いますよ。まだ手がかりはあるでしょう。むしろ、うまくつながった気がしますが」

 ルフィが垂れていた首を傾げた。

「七二五号室、行ってみませんか?」

 ゾロがニヤリと笑って言った。

 

 

 七階に住む友人に電話で尋ねたところ、七二五号室には近所の大学の先生が住んでいるということだった。ただ、現在は海外に赴任していて、留守らしい。

「その留守に売人が入り込んでた、とか?」

 あんぱんをかじりながらルフィが小声で話す。

「管理課が月に何度か換気と掃除を頼まれているそうですからその線は薄いでしょう」

「管理課が買収されてるとか」

「そんなことをするより、普通に部屋を借りた方が早いと思いませんか?」

その方が費用も安くすむし、秘密の漏洩も防げる。

「あぁ、なるほど。んん?でもじゃぁなんで張り込みだ?」

 彼らは今、八階から七階に降りた階段の踊り場から七階廊下を見張っているところだった。あんぱんはルフィ的張り込みマストアイテムである。

「さっきの二人のアレは単なる八つ当たりじゃなくて、所長に七階に行って欲しくなかった、と考えられませんか?そんなのは売人まかせにして放っておけばいいものを、薬を使うと考えが局所的になるらしいですね」

「んーと、つまり、売人の部屋は七階で当たり、ってことか?」

「たぶん」

「でもエレベーターは4つもあるんだから、手分けした方がよくないか?」

 マンション内には住人専用のエレベーターもある。

「おれと二人はイヤですか?」

「いや、そうじゃなくて・・・」

 単にここからは見えない廊下もあるということを懸念しているのだ。ルフィだって一人より二人の方がよいに決まっている。そう言えば、

「大丈夫です。商店街に出たんだから、あのエレベーターか、階段です。七階ならエレベーターを使うのが妥当でしょうね。あれだけ血が出てれば、八階か七階から商店街まで降りていくのがやっとでしょう。思考力もだんだん鈍っていきますが、そういう時は、一番気にしていることだけは最後まで考えつめるものです」

「一番気にしてることって?」

「薬のいざこざで殺されたのなら、たぶん、薬のことでしょうね」

「最期に考えるのがそれって、なんかがっかりだな」

「そういう風に生きてきたんだから仕方がないでしょう。所長が気にすることではありません」

「まぁ、そうかもしんねェけど」

 ルフィが少し眉を寄せた。

「しかし、ここは暑っちいよな・・・七階に犯人がいるとしても、今夜これから出かけるとは限らないんじゃねェか?部屋戻って別の手を考えた方がよくねェ?」

 あんぱんを食べ終わって、早くも張り込みに飽きてきたらしいルフィが囁いた。しかし蒸し暑いのも事実で、ルフィの首筋に汗が流れている。

「こう暑いと、もっと暑くなることをしたくなるのが不思議ですよね」

「へ?」

「退屈でしたら、少し游びますか?」

 言ってゾロがルフィの首の汗を舐める。ぞくりと背筋が粟立ってルフィは慌てた。

「いやいやいや、ここ、外だし」

「こんな時間に七階の階段使う奴なんて滅多にいませんよ」

「そうかもしんないけどっ」

 滅多に、ということは少しはいるかもしれないということだ。

「大きな声は出さないように」

「なんで今ここっ!?」

「所長としたいのは今に限ったことではないんですが、とりあえず、犯人が動くとしたら今夜なんで、この場所を離れるのはどうかと思います。よって今この場所で、ということになりますね」

 説明されてもよくわからない。

「非常灯だけの薄暗がりで、暑がってる所長と密着するというのは、殊のほか興奮するものですから」

 相変わらず冗談なのか本気なのかわからないが、流してはいけない点があった。ルフィはゾロを押しのけて、身体に隙間を作ると、

「えーっとごめん、なんで動くとしたら今夜、なんだ?」

 それでもゾロは大して気を悪くした風でもなく、

「テレビのニュースではまだ簡単にしか出てませんが、明日になれば新聞なんかでもっと詳しい報道がされる。正札のことを面白がって書いた記者がいるかもしれない。犯人がそのことに気づいていれば、動くのは今夜しかないんですよ・・・あぁ、残念ながら気づいてましたね」

 何に対して残念なのか、ゾロが軽く舌打ちする。ルフィが廊下を覗いてみると、中年の男がエレベーターの前に立っていた。安っぽいビニールバッグをぶら下げて、黒っぽい服を着ている。ゾロがルフィの腕をつかんでそっと立たせると、

「今から競争です。どっちが先に駐車場まで辿りつくか」

「駐車場?」

「おれが勝ったらさっきの続きを要求します」

「へ?」

「くれぐれも大きな音は立てないように」

 言うが早いがゾロが階段を駆け下り始めたので、聞きたいことはいくらもあったが、ルフィも慌てて後を追った。 

 地下の駐車場に停めてある二人の車には、ゾロの方が先に着いた。けれど、駐車場に着いたのはルフィが先だとルフィは言い張る。その判定は第三者がいない以上難しいようだったが。

「車で行くってのは確信あんのか?」

 七階から全力で階段を駆け下りた割には、二人共にあまり息も切れていない。ゾロはいつでも車を出せるようにして、エレベーターを見ていた。

「そもそもあいつが犯人ってなんでわかるんだ?」

「バッグの中に、釘抜きや金てこが入っているように見えるからですよ。あれは箱かなにかをこじあけて、なにかを持ってくるための仕度でしょう。それにあの男は薬をやってます。売人をやっているうちに自分も中毒者になったのか、今日、人を殺してしまって、勇気付けに初めて射ったのかは知りませんが」

 エレベーターのドアが開いて、さっきの中年男が出てきた。壁の電灯の下を通るとき、目がぎらっと光るのを見て、ルフィはバラティエでの二人組を思い出す。薬をやっているというのは本当だろう。

 男が車に乗って走り出すと、ゾロも車を滑り出させて後を追った。前の車はマンションを出たところで、男二人をひろった。バラティエにいた二人だった。

「あいつらグルだったのかな」

「というより、薬欲しさに犯人に手を貸すんでしょう」

 たぶん、殺人事件自体とあの二人組は無関係だろう、というのがゾロの予想だった。

 前の車は三〇分くらい走って、どこかの工場の脇に停まった。工場は門を閉ざしていたが三人は隣に暗くわだかまっている倉庫らしい建物に近づいた。中年男が鍵を開けて、三人は中に入った。ルフィもゾロと後に続く。

「自分の倉庫に忍び込むってのもおかしな話だな。しかしあいつも考えやがった、ここにブツを隠すとは」

 中年男が低く笑うのが、高い天井に響いた。

「七二五〇か。向こうの荷だ。確かそんな番号がついていた。ライトをつけろ」

 懐中電灯がついたおかげで、三人を見失うことはなかった。倉庫の中には、木箱やダンボール箱が山のように積まれている。

「こいつだ。七二五〇と書いてある。この箱の中ですよ」

 若い男の声がした。中年男の声が続いて、

「あきれたな。ここのひと山はあいつがおれを裏切って手を組んだ相手方に行く品物だ。お前たちの言うとおりだったな。あいつ正札でブツの入っている箱の番号を教えようとしてたんだ。新聞なんぞに出ないうちに君たちが気づいてくれて助かった。礼を言う」

「その礼はこっちに言うべきだぞ!」

 ルフィが物陰から立ち上がる。その番号にたどり着いたのはルフィとゾロで、あの二人はそれを後ろで聞いていただけに過ぎない。

「ばかな推理ごっことか言ったくせに、ちゃっかり流用するなんてせこいぞお前ら!」

 ルフィの矛先は主に二人の若い男の方に向いている。金てこと釘抜きで箱をこじあけていた二人の若者は、向かってくるかと思ったら、意気地なく逃げようとした。

「二人ですが、任せていいですか?」

「当ったり前だ!手出したら怒るからな!」

 ルフィが二人の前に立ちふさがって、蹴りをくらわせると、一発であっさりうずくまってしまった。その間にゾロは中年男を取り押さえている。

「まとめて署の方に届けますか。こんな時間でも誰かはいるでしょう」

 明らかに暴れたりない、という顔をルフィはしたが、それはゾロも同じだったようだ。

「まぁ、この不満は先ほどの続きをすることで晴らすとしましょう」

「いやいやいや、あれおれの勝ちだったって!」

 とりあえず場所の変更という妥協案で妥結したとかいう話らしいが、真相は定かではない。

 

 

「クーラーつけねェでするの暑いからヤだって言ったのに!」

「いいじゃないですか。節電になります」

 しれっと言うゾロの機嫌はかなり良い。

「うー・・・まぁいいや」

 対するルフィの機嫌も実はかなり良かった。事件解決の記事に、ルフィの名前が載ったせいだ。

 中年男は事業に失敗した貿易商で、暴力団の幹部と組んで覚せい剤の密売を始めたのだが、使っていた被害者に裏切られて、品物を横流しされた。それに気づいて被害者を責めたのだが、品物の隠し場所を聞き出さないうちに、脅しのつもりで振り上げたゴルフクラブで相手を殴り殺してしまったらしい。もっとも倒れた被害者が、血を流しながらも立ち上がって部屋を出て行ったので、その時には殺したとは思っていなかったらしいが。

 遅い朝食を食べ終わった頃に、チャイムが鳴った。

「ごめんね、ルフィちん、まだ寝てた?」

「いや、さっき起きたとこだ。なんかあったのか?」

 出れば、クリミナルの店員だった。よくよく考えれば今回一番の貧乏くじを引いたのは、あの店だったのかもしれない。

「事件早く解決してくれてありがとうって、これ、うちの店長から!バーゲン品で申し訳ないんだけど・・・」

 ルフィは遠慮なく袋の中身を物色する。

「おぉ!ありがとう!これはあれだな!飾ってあったやつだよな!」

「あ、ごめんね。もし気に入らなかったら取り替えてくるけど」

 死体のそばに飾ってあった服など、押し付けのようで気を悪くするかもしれない、と店員は思ったのだが、

「いや、これが欲しかったんだ!ありがとう!」

 ルフィは上機嫌でにこにこ笑っている。この服がきっかけでルフィが死体を見つけたのだし、死体のそばにあったとか、そういうことを気にする神経も持ち合わせていない。

「なんでした?」

「もらった!」

 ルフィがやけに嬉しそうなので、自然、ゾロの機嫌もよくなる。

「存外、義理堅いですね」

 こうなると、一度買い物のひとつでもした方がいいだろうか、とやはりこちらも義理堅いゾロなどは思ってしまう。それでもルフィ袋から取り出した半袖のシャツを見て、

「・・・所長には少しサイズが大きいようですね」

「うん、だからゾロにやりたかったんだ」

「・・・大きいサイズの服を着てるというのも結構そそるので別に気にしなくてもいいと思いますが」

「そうじゃなくて!最初からこれゾロにいいかな、と思ってあの店のショーウインドウを見たんだおれは!」

「・・・・・・・・」

 普段の回転は速いくせに、こういう時のゾロは非常に鈍くて結構可愛い、とルフィは思う。

 ただ、ルフィがゾロ相手になにかしてやりたいと考えていることなどないと思っている節がある点が、ルフィが唯一ゾロに対して不満に思うところでもある。

「・・・・・ありがとうございます」

 ようやく理解が出来たようだった。

「うん」

 ルフィはにっこり笑ってゾロを抱きしめる。

「所長?」

「うん。なんかこうしたくなった」

「・・・すみません。少々図に乗りたくなってきてるんですが」

「・・・クーラーつけてくれるならいいぞ」

 ルフィはゾロの頭を抱きしめたまま、抱え上げられる。節電はなかなか難しそうだ。

「・・・あと、今日の買い物も行ってくれ」

「御意」

 

 後日、二人は揃いの服を着ているところを目撃されては、周囲にため息を吐かせることになるが、やはりそんなことは全く気にしなかった。

 

 2011.8.9UP

探偵もの第二弾。
事件は某小説のパクリなので、
怒られたらすぐ下げます。

 

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