7.
カシャリ・・・。シャッターを切る音が随分と大きく聞こえるものだとルフィは思った。ここは戦場にしては静かすぎる。ルフィの知っている戦場は、爆音と轟音、逃げ惑う人々、死が日常でありながら、運の良いものは生き残る。
なんの変哲もない、ありふれたビルだった。古くもなければ新しくもない。これがゾロの「勤め先」だ。ルフィはなんの気負いもなく自動ドアをくぐって中に入った。守衛とおぼしき男が二人、倒れていたが、この位置からでは息があるのかないのかよくわからない。少し気になりはしたが、今は二人を介抱するより大事なことがあった。 少し考えて、階段を使うことにした。エレベーターのドアが開いた途端、誰かと鉢合わせ、という事態は避けたい。鉢合わせる誰か、がいればの話だが。まず二階にあがったところで六人。一目で絶命していることがわかった。皆きちんと背広を着ていて、ルフィの目にはどこにでもいるサラリーマンのように見える。それでも手に持たれた銃が、彼らがただのサラリーマンでないことを告げていた。ルフィは黙ってシャッターをきった。
「社長室」は3階にあるのだと「彼女」は言っていた。4階には会議室が3室あり、5階には営業本部室と調査課。ゾロが本部に顔を出すことなどまずないのだそうだ。本部からの指令を好きな場所で待てばよい。本来ならばゾロは4階の会議室で査問委員会にかけられるはずだった。けれどきっと3階にいるだろう、ルフィは少し息を大きく吸って吐いた。3階に辿り着くと、独特の臭いが鼻についた。血と汚物の混ざり合った臭いだ。階段を上った先のフロアには10人が手に銃を持ったまま血まみれになって倒れていた。手に持った銃は発射されたのだろうか。彼らの血以外が流された形跡がないことに、ルフィは不謹慎にもほっとした。同時に銃を持った大勢の男の命をこんなにあっさりと奪ってしまえるゾロに憐憫を感じた。 ルフィはただ黙ってシャッターを切る。
フロアの奥に左へ抜ける狭い廊下があった。道をふさぐように何人もの人間が倒れている。ルフィの足が血だまりを踏んだ。呻き声が聞こえる。目をやれば男が一人、頭から血を流しながら、ルフィに銃を向けていた。ルフィもカメラを男に向ける。ルフィがシャッターを切ると同時に銃声が響く。弾はルフィの腰のかばんをかすめた。男は絶命していた。人は簡単に死ぬ。彼らの命はすべて理不尽な暴力によって奪われている。たぶんその理不尽はルフィが作り出したものだ。 ゾロが組織に属した殺し屋である以上、その正体を知る者がいるということは組織にとってはマイナスでしかありえない。そしてその組織は人間を一人消すことなんて造作もない、と考えている。ゾロがルフィと接触する、ということはルフィの身を、ひいてはゾロの身を危険にさらすことだった。一番良い方法は、ゾロの手でルフィを消してしまうことだったのに、ゾロはそれを選ばなかった。そしてこれが答えだ。ゾロは自分の死を恐れてはいない。ルフィ一人の命を生かすために、組織そのものの壊滅をゾロは望んだ。 右手にある重厚な扉の前に立つ。間違いなくこの中にゾロはいる。ルフィには妙な確信があった。不用意に扉を開けて撃たれることも予測したが、ゾロには悪いがそれはそれで運がないのだと思うことにした。カメラを握る手に力が入る。 その部屋はガランと広く、やはり数人の男が頭や胸から血を流し倒れていた。部屋の奥には机がひとつあるきりで、そこには一人の男が座っている。左手でクリスタルの灰皿を弄んでいた。右手の方は机の前に立った男の影に隠れて見えなかった。 座っていた初老の男は目の端にルフィを映した。けれどすぐに目の前の男に意識を戻したようだ。ルフィに背を向けて立つ男はピクリとも動かない。 「お前に私が撃てるのか?」 「あんたを殺すより道はないからな」 「お前が意思を持つとは思わなかった。そんなに彼が」 銃声が響いた。男の背中からふくれあがる殺意をルフィの目は捕らえた。男は引き金を引いたが、ルフィはシャッターを切ることをしなかった。
ドアの向こうで銃声が聞こえた時に、ゾロはこの事態を予測していた。たぶんルフィが来たのだろう。この場所はたぶん、あの女が教えたに違いない。ゾロは舌打ちしたいのを堪えた。この男の前で隙をみせるわけにはいかなかった。 この男の本名をゾロが知ることはなかった。知る必要もなかった。わかっていることはこの男が自分の作り上げた組織を守るためにはなんでもする男だということ。自分に必要な結果を得るためにはどんな犠牲もいとわない。 「今のお前となにが違う?」 男が酷薄そうな笑みを唇にのせた。 「あんたのようにその人間が最も大切にしているものをテコに使うような真似は得意じゃない。おれにできるのはただ壊すことだけだ。あんたを殺せば組織の脳は潰れる。」 「・・・あぁ、あの女と手を組んだのか。道理で手際がいい。」 「あの女の思惑など知らん」 ゾロの目的はルフィを組織の標的にしないこと。ただそれだけだ。それをあの女に利用されているのだとしても知ったことではない。 「すべてを壊してお前になにが残る?手元に置けば今守ろうとしている者さえお前は壊すだろう。」 「なにも残らなくていい。」 元より手元に置くつもりはない。 カチャリ、とドアが開いて、場違いに暖かな空気が流れ込む。振り返らなくてもわかる。ゾロは一瞬だけ息を止めて、それから呼吸を整えた。男がルフィに目を向けたのがわかった。それでも男は右手に持った銃をゾロから放すことはしなかった。ゾロの左手にも銃が握られている。 引き金を引いたのはわずかにゾロの方が早かった。ゾロの心臓に狙いを定めていた男の弾丸は衝撃で少しホイップし、ゾロの左肩を打ち抜いた。男のボディガードは一人残らず消したはずだし、仮に残っていたとしてもまだ右手がある。問題ない。ずいぶんあっさりと、この組織の脳は壊された。あとの始末はあの女がつけるだろう。 振り返れば、ルフィがこちらを見ていた。手にはゾロが返したカメラを構えている。懲りない男だ。唇を引き結び、厳しい顔をして、ゾロの向こうで椅子にもたれて絶命している男にカメラを向けて、シャッターを切った。ゾロはなにも言わずルフィの横を通り過ぎた。ルフィがゾロを追うように振り返る。背後でシャッターを切る音が聞こえた。
「よし。これで最後だな。」 サンジが満足気に頷いた。 「なんとかなりそうか?」 居間のソファに座り写真を推敲しているサンジにルフィはダイニングテーブルから話し掛ける。いつか約束したピラフを食べ終わったところだ。 「これをなんとかできなきゃ、おれは転職するべきだろうな」 サンジの機嫌はどこまでも良い。 「一時はどうなることかと思ったがなぁ。良い方に転んでよかった。・・・で。いつ紹介する気だ?」 「は?」 ルフィはなにを言われたのか理解できないで、動きを止めた。 「彼女、できたんだろ?いくらおれでもお前の彼女に手ェ出したりしねェから安心しろ。お前にこれだけの影響与える女性、ってのを見てみたいんだ。」 「・・・・・」 「やっぱり恋をすると変わるのは男も同じだよなぁ」 「・・・わかるもんか?」 「そりゃわかるだろ。写真に色と艶がついた。クリエイターが恋をするのは良いことだ。」 まぁ、賛否両論出るだろうが、それも話題作りになる。サンジはしきりに頷いている。なんだかよくわからないがサンジはすごい。けれどこれで切り出しやすい。 「・・・おれこの国出るから」 「は?旅行か?」 今度はサンジが動きを止めた。 「好きな奴がいる場所がわかった。今からそいつのとこに行く。」 「・・・は?」
「おめでとう。」 声をかけられてサンジは一瞬言葉につまった。それがついぞ見たこともないような美女だったからである。そしてその黒髪の美女はサンジに持っていた花束を渡す。 「あぁ、ありがとうございます。けれどルフィは今日この場にはこれなくて」 「いいのよ。それはあなたに。あなたがいなければ彼は3冊目を出そうとは思わなかったでしょうから。彼のファンとしての感謝の気持ちよ」 微笑まれた。ルフィの3冊目の写真集の発売と同時に開かれた個展での出来事だ。サンジは曖昧に頷いた。 「失礼ですがルフィと会われたことが?」 「えぇ、あなたの話も聞いたわ。とても大事な友人だと言っていた。本当はすぐに追いたいのだけれど、あなたとの約束を果たしてからじゃないと行けない、って。」 女はルフィに会った日のことを思い出す。
ルフィの家を訪ねた時、開口一番にルフィは女に男のことを聞いた。女は自分の知る限りの男の話をルフィに聞かせた。男が決してそれを望まないことを知っていて、話した。ルフィがどう動くかに興味があったせいだ。 「えぇと。お前名前は?」 聞かれて少し戸惑った。そういえばルフィは男のことを「ゾロ」と呼んでいた。男が教えたのだろうか。少し微笑んで 「ロビンと言うの」 答えた。 「そっか。ありがとうロビン」 名前を呼ばれることが少しくすぐったかった。礼を言われることにも慣れていない。 「あなたはこれからどうするの?」 「見届けてくる。ゾロがおれのためにすることを。たとえどんなことでも。」 「カメラを持って?」 少し意地悪だったかもしれない。 「ファインダーを通さないと忘れちまうかもしれねェから。おれがファインダーを通さずに見るのはきっとゾロだけだ。」 揺るがない。 「私は彼のおかげで自由になるわ」 「じゃぁゾロはロビンのおかげで不自由を知るな。」 「恩を仇で返すことになるのかしら?」 ロビンは笑った。 「なんで?あいつなんにも知らねェから、教えてやるのはいいことだろ」 自由とは孤独であると言うことだ。ルフィは彼に孤独を教え、そして不自由と言う名の束縛と安心を与えられるだろう。どこまで考えているかはわからないけれど。 建物から出てきた男にロビンは何も言わず航空券を渡した。男はなにも言わず券を受け取る。ルフィのことを聞かれるかと思ったが、男は終始無言だった。たぶんこのまま空港へ向かうのだろう。ロビンは息を吐いた。男が自分を殺すことも考えていたせいだ。思ったよりも自棄にはなっていないようだ。ロビンがいなければこの建物内で起こったことに収拾をつけられる者はいない。 ロビンは建物内に入る。ずいぶん派手にやったものだ。必要なデータはすでに運び出している。死体の始末には少し手間取るだろう。社長室の中に入る。部屋の中央にルフィが一人で立っていた。この建物の中で生きている者はロビンとルフィ二人だけだ。この惨状は堅気の人間には刺激が強すぎるだろう。ルフィがポツリと言った。 「写真を撮ったから、あとでこいつらの名前教えてくれるか?」 「聞いてどうするの?」 「祈る」 ロビンにはない発想だ。きっとゾロにもない。 「彼らのために?」 「よくわからない」 「・・・できる限りのことはするわ」 「ありがとう。ついでにゾロがどこに行ったか教えてくれるか?国だけでいいよ。あとは自分で探すから。」 「怖くはない?」 「なんで?」 男はロビンの思惑通り、一人で組織の頭を潰してしまった。その力をロビンは恐ろしいと感じたが、ルフィにはたいした障害ではなかったようだ。ロビンは息をひとつ吐いて飛行機の行き先を告げた。ルフィと会った時の男の顔が見られないのを少し残念に思った。
部屋の中から気配がする。ゾロは懐の銃に手をのばしかけて躊躇した。その気配が知ったもののような気がしたからだ。ここにいるはずのない人間のものだ。自分の躊躇に舌打ちしてゾロは右手に銃を握った。空き巣や強盗に遅れをとる自分ではない。下手な感傷にとらわれなければ問題ない。 思い切りドアを開けた。少しでも殺気を感じたら迷わず引き金を引く気でいたのだが、 「お前が行くなら治安の悪いトコだと思ったけどさー。タクシーの運転手まで強盗ってトコはちょっとどうかと思うぞ」 返り討ちにしてやったけどな。と、なんでもないことのように言うルフィに真っ先に覚えたのは、怒りに近い感情だったかもしれない。 「・・・・」 どうして、と言う言葉が出かかった。どうしてここがわかったのか。どうしてここに来たのか。最初の質問の答えならたぶんあの女が一枚噛んでいるに違いない。ゾロの元上司。本部長の席にいた女だ。後で気づいたが、あの女はルフィに甘い。初めて会った時からルフィのことを知っているようだったし。そしてルフィがここにいる理由については、あまり聞きたくない。 「なんで今更」 そう。今更なのだ。あのビルで別れてからもう半年ほどたっているはずだ。ゾロには時間の感覚があまりないのであやしいが、たぶんそのくらいはたっていると思う。もっとだろうか。つい昨日会ったかのような錯覚も覚えるのだが。 「一昨日、やりかけだった仕事が終わったんだ。だから来た。全然今更じゃねェよ。忘れたことなんてねェし。」 終わってすぐ出たのに二日もかかった。ルフィは少し笑った。 「ゾロはおれに会いたくなかった?」 名前を呼ばれた。ルフィ以外は呼ばない名前。 「おれはすごく会いたかった」 ルフィはゾロの答えなど求めていないようだ。 「会えて、嬉しい」 まるで変わらない。あの光景を見ても尚。ゾロはルフィにあの光景を見られることを望まなかった。あの光景を見てルフィに軽蔑されることを恐れたのではなく、すべてを知って尚、許されることを恐れていた。こんな風に。 「・・・おれを壊しに来たのか?」 「おればっかり壊されるのもシャクだからな」 ルフィがゾロの目をまっすぐに見た。 「おれがお前を好きでお前に会いに来たんだ。お前がおれをどう思ってるかなんて関係ない。おれはおれの好きなようにする。邪魔なら消せばいい。」 ルフィは言い切った。ゾロがルフィを消せないことなんて百も承知で言っているに違いない。ルフィの本質は恐ろしいほど性質が悪い。ゾロはギリリと奥歯を噛みしめて、ルフィの肩を掴むと壁に押し付けた。ダンっと鈍い音が響く。ルフィは痛みのせいか、一瞬だけ顔を顰めたが、それでもゾロから目線を逸らすことをしなかった。この目を閉じさせる方法はひとつだ。 ゾロが顔を近づければやはりルフィは目を閉じた。そのまま唇を重ねる。ずいぶん長いことそうしていたような気がする。ルフィの頬が上気していて、ゾロは欲望を感じた。 「ゾロは知らないだろうから教えてやるけどな。お前がおれを殺せないのはお前がおれを好きだからなんだぞ?」 ルフィが至極真面目に、赤い顔をして言うので、ゾロは少し笑いたくなった。笑いたくなる回路が自分に存在していたことに軽く驚く。壊されて、作り直されたのかもしれない。 「・・・知ってる」 呟いてルフィの首筋に顔を埋める。ルフィはそれきり何も言わず、ただゾロの背中に手をまわした。
「やっぱりこれかしらね。」 女の目が更に柔らかくなる。視線の先には今回の写真集の表紙に使われた写真だ。絨毯に映った誰かの影。蛍光灯の光でできた影のようだが妙に濃い色をしている。その影を別の人間の足が踏んでいる。写真のはしに先端しか写っていないが、サンジにはそれがルフィ本人の足であることがわかる。つけられたタイトルはモノクロであるにもかかわらず「COLOR」。妙に人を惹きつける不思議な写真だった。 「彼の写真なのに、とても退廃的。そして凄艶。余程好きなのでしょうね。」 「あいつが今どこにいるのか知っていますか?」 サンジに女は微笑んで答えた。 「さぁ。きっとその影を今も踏んでいると思うけれど。」
2005.5.22UP
終わりましたー。 一回一回の間があきすぎて随分長いこと引っ張ってしまいましたが、 投げずにお付き合いくださってありがとうございます。 あまりに自分の中での問題作だったので、 いろいろと苦労はしましたが 普段描かないタイプの二人だったので 終わってみれば楽しかったです。 よろしければ、読んだよーと一言教えてくださると嬉しいなぁと思っております。
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