春病B                        




「てめェロロノア、なにしけたツラしてんだよ」
 珍しく誘いに乗ってきた同期はやたらと仏頂面で、かなり早いピッチでグラスを空にしている。
「もともとこういうツラだ。コーザ、てめェこそなんか言いてェことあるんじゃなかったのか」
 そう言って、ロロノア・ゾロはジンのロックを呷った。酒量のわりにあまり酔ってはいないらしい。コーザと同期入社のこの男とは、年が同じこともあって、同期の中では一番親しくしていると言っていい。それでもたまに飲みに行く程度だが。
「だいたいなぁ、おれみたいな下っ端に、人事の情報なんて入ってくるはずねェだろ」
「それに気づかなかったことに落胆してるとこだ」
 総務には人事も入っているし、異動後、IDの登録や細々とした仕事を行わなくてはならない部署なだけに、事前に情報のひとつも入っているかと思ったらしい。
「せめて内命がいつか、とかぐらいわからねェのかよ」
「おれは直接聞いてねェし、聞いてたとしても守秘義務ってのがあるんじゃねェのか?」
「なんでお前、そんなに気にすんだよ。どうせいつかわかることだろうが・・・」
「なるだけ早く知って、対策を立ててェんだよ」
「なんの対策だよ」
「守秘義務だ」

 4月に入社したこの会社、というより、入社直後に配属された現在の部署、を、ゾロはかなり気に入っていた。簡単な研修期間を経て、配属された部署で直接の仕事を教えてくれる人間として紹介されたのが、自分より年下の、下手したら中学生にも見える童顔の青年、というよりも少年であったことには正直驚いた。けれどそれは相手も同じだったらしく、あからさまに「がっかり」という風情を見せた。思ったことがそのまま顔に出るタイプのようだった。
 それでも新入社員らしくきっちり礼を行えば、途端に嬉しそうな顔になった。どうやら「先輩」と呼ばれたのが嬉しかったらしい。社会人としても仕事にしても先輩には違いない。ゾロは年を重ねていることのみをもって偉いと考える風潮は好きではない。
「自慢じゃねェけど、おれは説明苦手だから、見て覚えてくれ。で、質問があれば答える・・・っていうのでもいいか?」
「先輩」はそう言った。その上目遣いに負けたわけではないが、ゾロに選択の余地はなかったような気がする。仕事中はいつも「先輩」のあとをついて、「先輩」のすることを真似た。普通、他人からこんな風に見られるのはあまり気持ちのよいものとは思えないのだが、先輩は一向に平気そうだった。自分に自信があるのだということがすぐに知れた。そして仕事は楽しいらしい。ゾロにとって仕事とは、必要最低限の生活のための手段でしかなかったので、その発言にも少々驚いた。実際先輩はいつも楽しそうだった。その点はいつまでたっても真似できない点だ。
 一ヶ月もすれば、すっかり仕事も覚え、それなりの成果も出せるようになった。先輩の苦手分野も見えてきて、ゾロはそっちの方に力を入れるようになった。先輩もそのことに気づいたらしく、褒めたり、礼を言ったり、飲みものを奢ってくれたり、とにかくいちいち評価してくれた。ただし、飲みものに関しては、ゾロの給料明細を見て以来、滅多に奢ってくれなくなった。たまに、年相応、というか、外見相応に子供っぽくなるのだ。
 今までの学生生活の中と比べ、一番尊敬できる先輩であることに間違いはなかった。

「それが、たった一年で異動って・・・」
 その上、約8割が変わるとの噂だが、クラス替えよりひどい。
「会社でそんな無茶苦茶な人事ってあんのか?」
「おれに言うなよ」
 あくまで噂で、実際はそんなに変わらない、ということもあるのかもしれない。
「お前、ほんとルフィ先輩好きだな」
 コーザの口が滑った。案外酔いがまわっているのかもしれない。
「気安く呼ぶな」
 そしてそれはロロノアも同様なのかもしれない。この同期はいまだに一番懐いている先輩の名前を呼べずにいるのだ。なんだかなぁ、とコーザは呟いて、
「別に部署変わったって、会えなくなるわけじゃなし・・・」
「格段に減る」
「じゃぁ、会社終わってから会えばいいんじゃねェ?メシでも酒でも誘えよ」
「それはなんかマズイ気がする」
「なんでだよ」
「・・・さぁ」
 心底不思議そうなコーザに、ゾロも不思議そうな顔をする。
「言っとくが、4月からはおれたちも「先輩」になるんだからな。覚悟はしとけよ」
 コーザの言葉にゾロはなんだか腹の中がざわざわした。
 別に後輩ができるのはかまわない。実際学生時代の後輩は山ほどいる。ただ、あの先輩にも別の後輩ができるということだ。妙に不愉快になって、ゾロはもう何杯目かわからないジンのグラスを空けた。



    2007.3.20 初出。
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