HIDE AND SHEEK

  

 その店の戸をくぐって、ゾロはため息を吐いた。どういう意味のため息なのか自分でもよくわからなかった。ただ「あぁ、やっぱり駄目だった」と思った。店の中にいた男はゾロの顔を見ると、

「いらっしゃいませ」

とにっこり笑って言った。酒場には不似合いの明るい笑顔だ。

「まだ生きてたんだな」

ずいぶんな挨拶だ。

「ジントニック」

ゾロはカウンター越しに男に声をかけて椅子に座った。座り心地はよくもなく、悪くもない。店の中はバーカウンタで仕切られていて、左奥が酒棚、右側がボックスだ。ごく小さい店で、他に客はいなかった。

「あと少しで閉めようと思ってたトコだ。相変わらず運が強いな」

男はカウンターの内側から一抱えもある氷の塊をとりだすと、アイスピックを突きたてながら言った。

「それとも運が悪ィのかな」

氷はさほど力を入れる様子もなくふたつに割れた。冷蔵庫から冷やしたグラスを取り出し、ジンと氷をいれると、トニックウォーターの瓶と一緒にカウンターに並べた。

 ゾロがトニックウォーターをグラスに注いでいる間、男は黙っていた。ゾロはグラスを一息で空にする。

「ありがたみのねェ飲み方」

「それなりに美味いとは思ってる。」

「ほんとに酒好きなのかそうじゃないのかよくわかんねェよな、ゾロは」

またゾロはため息をついた。息がうまくできないせいなのかもしれない。たかが名前を呼ばれただけで。

「・・・目、悪くなったのか?」

この間逢ったときにはかけていなかった眼鏡についてゾロは問うた。

「いや?顔が子供だからかけろって言われただけ」

「今まで言われなかったのが不思議だな。たいして成功してねェけど」

「余計な世話だ」

言った通りの童顔を男は顰めてみせた。カウンターが邪魔だ、と思っていたら新しいグラスが置かれていた。バーボンのロックだ。

「これは奢り。逢えて嬉しい」

「どの口がほざくんだか」

またゾロはグラスを一息に干した。



「おい、ルフィ、鍵どこだ」

右脇に抱えた男に向かってゾロは声をかける。相変わらず酒にはあまり強くないようだ。くったりともたれかかってくる体には、力がまるで入っていない。かけていた眼鏡は店の中に置いてきた。

「んー?」

ルフィはごそごそとジーンズのポケットを探り、キーを出すとドアを開けた。ふらふらとした足取りではあるが、意識はそれなりにはっきりしているらしい。部屋の中はガランとしていて、今度の部屋はひとつも家具がない。

「殺風景にもほどがある」

半年前にも同じ台詞を言った気がする。否、一年前か。よくわからない。

「ぼちぼち次のトコ探そうと思ってなー」

ゾロは背後から腕を引いてルフィを抱きしめた。口付けると少しだけアルコールの味が残る。

「弱いくせに、いつも酒場勤めってのはどういうことだ?」

「ゾロが見つけやすいように」

本当なのか嘘なのか、よくわからない。いつからわからなくなってしまったのだろう。

「見つけてほしいのか?」

「決まってる。おれはゾロが好きだからな。」

「それでも、またいなくなるんだろ?」

「そだな」

ルフィは軽く頷いた。

「まだ、ダメかよ」

ルフィは少しだけ困った顔をした。ゾロも苦い顔をする。その答えはゾロの方がよくわかっているはずだ。

「・・・なんでダメなんだろうな」

ゾロは盛大なため息をつく。仕事も順調で、ルフィがいなくても日は昇るし、また暮れる。ゾロはルフィがいなくてもちゃんと息をして、動いている。ルフィだって同じことだ。それは平穏な日々。ただし、そこにはとてつもない空虚が存在する。

「なんでてめェは変わらねェんだよ」

忌々しげにゾロが呟くと

「お互い様だ」

と返る。本当に忌々しくなるほどに、変われない。こうしていると、いつ死んだっていいような気になってしまう。腕の中のこの存在が全部自分のモノになるのなら、どんなことでもしてしまうだろう。

「できれば、殺してやりてェよ」

ゾロがまたルフィに口付ける。噛み付くようなキスだった。

「お前がいくら逃げたって、おれの頭はちっとも冷えねェ。お前がいなけりゃ、まだマトモでいられた気もするんだがな。逢ったらやっぱりダメだ。めちゃくちゃになる。それでも追わずにいられねェってのは、どういうことだ?」

この執着は異常だ。だからルフィはゾロから逃げる。長く一緒にいれば、きっとゾロはルフィを傷つける。そしてゾロ自身もめちゃくちゃに傷つくに違いない。いつかほんとうに殺してしまう日が来るかもしれない。

「おれは別にゾロにだったら傷つけられても殺されてもいいんだけどさ」

床に身を横たえられてルフィが言った。

「でも、おれが死んだらゾロが可哀想だからな」

だからルフィは逃げるのだ。ゾロの執着から。ずっとそばにいて、二人で朽ちていくのも悪くないけれど。

「・・・どうしたら全部おれのになる?」

ゾロはルフィの体全部に口付けながら、うわごとのように呟く。床の冷たさは気にならなくなっていた。

「・・・どうしたらゾロはおれを全部信じられる?」

問いに問いで答えるのは卑怯だと思った。



 隣で眠るルフィを見て、その寝息を確かめて少しだけ安心する。初めてルフィを抱いた時からの習慣だ。失うことが怖くて怖くてしかたがなくなった。この世に失わないですむものなどなにもないことを知っているのに。

 片時も離さず、そばに置いて、体温を確かめて、縛り付けておきたい。お互いだけで生きていけるのであれば、きっと幸福だっただろう。


 目が覚めたらきっとルフィはいなくなっている。またゾロの知らないどこかへ行くのだ。

「まぁ、いいか」

たぶん、どこへ行ってもゾロはルフィを見つけられる。望む望まないにかかわらず。次に逢うときには、もう少し強くなっていればいいと思う。


 今はただ腕の中の体温を大切に眠りにつくことにする。

 このまま目が覚めなければいい、と少しだけ思った。

初出2006.6.1
これは「逃げるルフィに追うゾロ」という
リクエストをいただいて書いたものでした。

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