壊れた哺乳壜
二人はその場でひどく目立っていた。が、本人たちにあまり自覚はなかった。一人は目の前のケーキに気を取られていたし、一人はそのケーキを食べる上司に気を取られていたので。 「これも美味いぞ。ひと口、食うか?」 ルフィの差し出すフォークに刺さったケーキの欠片をゾロが口に入れる度に店内に悲鳴が上がるのを、多少不思議に思うくらいだった。
店内は白い壁に花をモチーフにした小さな額がいくつもかけてあり、テーブルも椅子も白に統一され、クロスは花柄の上にレースがかけてある。二人からは、ずいぶんごちゃごちゃした店だ、という感想しか引き出せなかったその少女趣味の内装どおり、店内の客は女性、あるいは少女ばかりだった。
男の二人連れというだけでも奇異の目でみられるというのに、一人は隻眼の偉丈夫で、およそこの店には似つかわしくない雰囲気だ。なんといってもメニューにはお茶とケーキしかない。この男に似合うのはどう考えてもバーボンやスコッチだ。それが向かいに座る少年の差し出すケーキを、文句も言わずに口にしているのだから、興味を持って見守るか、いっそ見ないようにするか、反応は二手に分かれる。
向かいに座っているもう一人は、やんちゃそうな少年で、なかなか愛嬌のある顔をしているのだが、なによりもそのケーキの消費量に目が行く。二人がなにを話しているのか周囲には聞こえないが、非常に仲がよいのだろうということは嫌でも伝わってくるし、どれだけ容姿が良くても、これだけ二人の世界を作られては、こちらから声をかける気にもなれず、遠巻きに見守ろう、と周囲は好奇の目を向けるのみだ。
「少々・・・視線がうるさい気がしませんか?」
「そうか?」
少し顔を顰めたゾロに、ルフィは首を傾げる。目立っている自覚はないが、見られているという自覚がゾロにはあった。害があるわけではないので、無視してよいものと判断していたが、それが少し鬱陶しくなってきている。
「少しはいいんですが、あんまり見られるのは図々しくて腹立たしくなります」
「はらだたしい?」
ルフィが不思議そうに鸚鵡返す。
「可愛い所長に目がいくのは仕方ないにしろ、おれがあまり見られないのに、他の奴が見てるのは、正直不快です」
「・・・見てるとしたらゾロのことだと思うけどなぁ」
本当はお互いのことだけに気を取られていたいところなのだが、彼らにはそう出来ない事情があった。
「・・・そろそろ出そうですよ」
「ん、そうか。じゃ、とっとと食っちまおう」
ゾロが先に立って精算をすませているうちに、ルフィはテーブルの上のケーキを綺麗に平らげて、二人は店を出た。店の反対側の通路に渡り、洋品店のショーウインドウを覗く振りをしている間に、予測どおり先ほどの店から女の子が二人、出て来るのが埃っぽい窓に映りこんだ。
同じ制服を着た少女二人が店の前で手を振って別れる。髪の長い方が彼らの目当てだった。彼女の名前はネフェルタリ・ビビ。有名なお嬢様高校に通っている二年生だ。
ビビは踏み切りを渡って、住宅街の方に歩いていった。足取りが早くなって横丁で曲がる。寄り道をしたので帰りを急いでいる、としか見えない後姿を二人は追った。彼女は無警戒で、尾行に気づかれている気配はない。あれだけ目立っておきながら、彼らは尾行中だったのだ。
ビビの後姿が四階建てのマンションに入った。彼女の自宅はひと駅向こうの区域にあり、二人は行ったことがないので推測であるが、大邸宅のはずで、少なくともマンションではない。ルフィを玄関前に残し、ゾロが横手に回って、吹き抜けの廊下をみていると、制服姿は三階の真ん中のドアの前に立った。かばんから鍵を出してドアを開けるのを見届けてから、ゾロはルフィの元に戻る。
「どうしますか?」
「しばらく張り込むしかねェだろ。誰か帰ってくるかもしれねェし・・・でもあんパンがねェんだよな・・・」
「あの部屋の借主を調べるという手もありますが」
「本人に聞いた方が早くねェか?」
「そうすると素行調査を依頼されたことが本人にわかってしまいますね」
「むむ・・・それはちくわのおっさんが怒るな」
彼らは探偵とその助手で、ルフィ曰くちくわのおっさん、というのが今回の依頼人だった。彼はイガラムという名で、ネフェルタリ家の執事長らしい。特徴的な巻き髪をしているので、ルフィの呼び方はその辺りに由来しているようだ。
今回は素行調査という、探偵としたら至極真っ当な依頼で、最近どうにも帰りが遅いというお嬢様が、遅くまでいったいなにをしているのかを調べてくれ、という話だった。母親が亡くなっていて、父親は仕事が忙しく、子煩悩ではあるがなかなか構う時間もないらしい。遅刻や欠席もなく、成績も優秀であり、それほどの厄介ごとが起きているとも思えないが、どうにも心配で、とイガラムは言っていた。
本来は自分が尾行したいところだが、難しい年頃なので、気づかれた時の対処に困る、とのことだった。イガラムの外見は尾行には向かないだろう、と二人は自分たちを棚に上げて思ったものだが、問題はそこではなく、この調査はビビには気づかれてはならない、というのが眼目だ。
「所長の評判が下がることは避けたいところです」
依頼人の不利益になるようなことをすれば、探偵としての評価は下がる。
「んー、依頼来なくなってもつまんねェしなぁ」
どうしたものかとルフィが顔を顰めていたら、玄関から若い女が出てくるのが見えた。ゼブラ柄のシャツに、ショートパンツを履いて、髪は頭の上の方で束ねている。
「所長」
「ん?」
「ネフェルタリ・ビビです」
ゾロが彼女を視線で指すのを追ってルフィは驚いた。
「・・・全然違わねェか?」
ルフィがポケットから写真を取り出して見比べる。どうも納得がいかないようだ。
「化粧もしているようですが、本人に間違いないでしょう」
この所長が人間をなにで認識しているのか、ゾロにはいまだによくわからないが、この場合、自分の認識の方が当たっているだろう。
「・・・あれがビビだとすると、どうしたもんかな」
「とりあえず、あの部屋の借主を当たるところから始めてみる方がよさそうですが」
二人は少々困惑していた。
彼女がベビーカーを押していたからだ。
2
「ロロノア・ゾロです。ご依頼の件は調査を続けておりますが、まだ少し行き届かないところがありまして・・・中間報告もう一日お待ちください・・・えぇ、お気になさるようなことがあったわけではありませんのでご心配なく・・・」
という電話をゾロが依頼人にかけたのは依頼を受けて三日目の夕方だった。この手の電話は常にゾロがかけることになっている。ルフィはあまり報告だとかそういうことには向かないのだ。ゾロも別段得意ではないが、ルフィよりはマシである。
「どうにも厄介なことになってきましたね」
「そうか?」
「今からでも依頼人に全部話す気にはなりませんか?」
その方が探偵としてはまともだろう、とゾロは言うのだが。
「ちゃんと話すぞ。ちょっと待ってくれってだけだ」
元より、ルフィの決断を覆す気はゾロにはないのだが、それでも格段に面倒は増える、とも思う。一番気になる点は、少々ルフィがビビに肩入れしているように見えるところだ。
ゾロはため息ひとつで切り替える。ルフィのやりたいことがスムーズに運ぶよう動くのもゾロの仕事だ。好きでやることなので、仕事というには語弊があるかもしれないが。
「あ、来た」
散歩兼買い物を終えたらしいビビが、ベビーカーを押しながら戻ってきたところだった。
「おい、お前、ちょっといいか?」
いきなりルフィがビビに話しかける。ゾロが毎回感心する点だが、ルフィには人の警戒心を溶かす才能があって、こんな不躾な態度でも、特にトラブルになったことは一度もない。今回も、ビビは少し驚きはしたものの、
「あ・・・一昨日のカップル」
「カップル?」
「えぇと、カフェで・・・ケーキを食べていらして・・・」
「あぁ、あそこのケーキ美味いよな!」
「そうですね。私は苺のミルフィーユが好きなんですが」
「みるふぃーゆ?そんなんあったか?おれはルフィって言うんだけどな」
ビビがころころと笑って早くも友好ムードは出来上がっている。たまにルフィに「たらし」だと言われることがあるゾロだが、とんだ言いがかりで、ルフィの方がよほどその才はある、と思う。ちなみに苺のミルフィーユは確かにルフィの腹に納まったはずだ。
「そんでお前がビビだろ?」
初めてビビの顔に怪訝そうな表情が浮いた。
「おれ達ちくわのおっさんに頼まれておとといからお前の後をつけたりいろいろ調べたりしてんだ」
守秘義務もなにもあったものではない。探偵としては完全に落第である。
「イガラムが?」
ちくわで通じたらしい。ビビが眉を顰めた。
「あんたの帰りが遅いのを、信用はしてるが心配もしてる、と言ったところだろう。こんなことをあんたに話すのはお門違いだってことはわかってるんだが・・・」
ゾロがそこで初めて口を挟んだ。勝手なことをする以上、多少、依頼人に対するフォローも必要だろう。
「昨日今日、調べたところでだいたいのことはわかったんだが、はっきりしない点がいくつかあってな。それをあんたに直接聞きたい、と所長が言うんで、話を聞かせてもらいに来た」
探偵は依頼人に忠実でなければならないが、ゾロは探偵助手なので、探偵に忠実であればいい、と勝手に思っている。
「所長?あなたが?」
「おぅ、探偵なんだ。こっちが助手のゾロだ」
ルフィがにっかりと笑い、ゾロが今更ながらに軽く会釈をした。
「カップルじゃなくて?」
「別にそれでもいいけど」
「・・・所長、意味わかってますか?」
「らぶらぶってことだろ?」
「・・・話なら部屋で聞きます。あんまり目立つのも困るので」
あと、なんとなく教育上よくない気がします、と、ビビがため息混じりに言った。その場でゾロがルフィを抱き込んだのは、この展開を期待してのことでは決してないのだが、その申し出は非常にありがたかった。往来で出来る話でもなかったので。
「この部屋はメロウって男が借りているんだろう?」
「そうらしいです」
「年齢は三十前くらい、会社が倒産して失業中、調子のよさそうな男らしいが」
「私は会ったことないんです」
部屋に戻って化粧を落としたビビと向かい合って話す。化粧を落とすと十代らしい可愛らしさが目立った。
「化粧なんかしない方がいいのに」
ルフィが相変わらず天然なたらし発言をするのにゾロは苦笑したが、
「お化粧をしないで赤ちゃんを連れてると、なんだか変な目で見られるような気がするんです」
確かに若すぎる母親というのは注目を浴びるものかもしれない。二人にはよくわからなかったが。
「その男はもうひと月くらい、ここには帰っていないらしいな。結婚してるんだかただ同棲しているのかはわからないが、キャサリーナという若い女が一緒にいて、夜の勤めに出ている。二人とも、住民登録はしていない」
ゾロが話を戻した。今度は主にゾロが口を開いている。
「その赤ん坊はその女の子供か?」
「なぜそんなことを聞くの?詳しい事情がわかればイガラムが安心すると思うから?」
「所長が知りたがってるからだ」
きっぱりとした回答にビビが困惑してルフィを見た。
「お前一人で抱え込んでどうにかなる問題だと思うか?」
ルフィの台詞に、ビビは利口そうな目を見開いて、その顔をまじまじと見つめた。
「おれは依頼人におれ達が見た事実だけを報告すれば仕事は終わると思っているが、どうやらうちの所長はお前の力になりたいらしい」
苦い口調でゾロが付け加える。
「男はどこかへ出て行って帰ってこない、キャサリーナは働かなきゃならんが、赤ん坊を置いていくのは心配だ。それでお前がベビーシッターを買ってでた。そんなところだろうと思うんだが」
「当たりだわ。でもこの子はキャサリーナの産んだ子じゃないんです。メロウさんの前の奥さんの子なんですって。おつとめがうまくいかなくなったせいで奥さんに逃げられちゃったらしいの。乳飲み子を抱えて途方に暮れていたときにキャサリーナと会って、熱烈な恋に落ちたのね。苦労を覚悟で同棲しちゃったの」
「そもそもキャサリーナとお前の関係は?」
「学校の先輩。退学になっちゃったけど」
お嬢様学校にもいろいろいるらしい。
「そういう事情なら、執事長に打ち明けて、大っぴらに助けてやればいい」
「イガラムは反対するに決まってるわ。あまり素行のよくない先輩だったから、つきあうなって言われてたの。それにこんな事情がパパの耳に入ったら目を回しちゃう」
と、言葉を切ってすぐにまた、ビビは口を開きかけた。だがなんとなく躊躇しているようだった。
「なにか気になることがあるようだな」
「イガラムを説得して、本当に力を貸してくれますか?」
「おぅ」
安請け合いするルフィにゾロが補足する。
「出来ることなら」
「キャサリーナはメロウさんを信頼しきっているんだけど、私は会ったこともないでしょう?話だけ聞いていると、キャサリーナは利用されてるだけなんじゃないかなって・・・」
赤ん坊に聞こえると気を悪くされるんじゃないかというように、ビビが声を潜めて言った。
3
「今のところ、心配はいりませんよ。ただまぁ、やさしすぎるというか、人がよすぎるというか、自分たちだけじゃ片付かない問題だということに気づいてないんでしょう」
次の日の夕方、ゾロはネフェルタリ家の応接間でイガラムと向かい合っていた。思ったとおりの大邸宅で、ビビの通うマンションがまるごとふたつくらい入りそうだった。床の絨毯から壁際の飾り棚から高級感がにじみ出ている。
「キャサリーノ嬢のことなら覚えています。まだ彼女と付き合いがあったんですかビビ様は」
ため息を吐きながらイガラムは立ち上がった。
「いつまで続きますかね」
「さぁ。とにかく知らない顔をしていた方がいいとは思いますね。彼女は正しいことをしているつもりでいる。無理に止めようとすれば反発するでしょう。赤ん坊のことも可愛がっているようですし」
「しかしいつまでも続くようだと困ります。ビビ様はなんでも一人で背負い込んでしまうところがありますので、そのうちその子を引き取るとも言いかねません」
さすがにビビが小さい頃から面倒を見てきたというだけのことはあり、彼女のことをよく理解しているようだ。
「方法がひとつある、と思います。そんな面倒までみられるか、と思うかもしれませんが」
「どんなことですか?」
「原因を取り除くんです。メロウという男を探し出して、赤ん坊を育てるべき人間に育てさせる。そうすれば少なくとも毎晩あのマンションに通うことはなくなるでしょう」
ゾロの言葉にイガラムは少し思案気に、
「しかしその男は借金の督促逃れと職探しで家を空けているというんでしょう。ほんとかどうかもわからないし、うまく見つかったとしてもキャサリーノをがっかりさせるだけではないんですか?」
「そうかもしれません。ビビ嬢がいるときに借金の催促は、人も来ないし電話もかかってこないそうですから。でもメロウがあてにならない男ならキャサリーノの目を覚まさせてやりたい、という気もお嬢様にはあるらしい。キャサリーノは赤ん坊のことをほんとに可愛がってるわけじゃない、男との間に残された一本の綱のつもりでいる、だからどこかに預けたりしないで頑張っているんだ、と言っている。なかなか鋭いと思いますね」
「そんなことを言われたんですか」
イガラムは感心したようだった。小皺におおわれた顔が嬉しそうに崩れている。
「メロウという男をすぐに見つけ出せるでしょうか?」
「なんとも言えませんが、そう難しくはないとは思います。少なくともメロウがどういう男かはすぐにわかるでしょう」
「ではその男を捜してください。ビビ様の希望どおりにするのがこの際一番いいでしょう」
依頼人との交渉は上手くいった。あとはキャサリーノとかいう女次第だとゾロは思う。そちらの方はルフィの担当だ。今頃、ビビと二人で彼女の説得を行っているところだろう。説得にはならないだろうが、有耶無耶のうちになにかの手がかりはつかんでくるはずだ。彼の所長はその辺り、天才的なのだ。
電話をかけて、交渉が上手くいったことを告げると、ルフィは先に事務所に戻るよう告げた。
「迎えにいってはいけませんか?」
車はゾロが使用している。
「んー?いいけどおれももうすぐビビ送って帰るとこだぞ?」
入れ違いになる可能性が高い。
「なら、この辺りで待っています。食事をして帰りましょう」
ルフィが喜んで了承した。
一時間後、ネフェルタリ家の前で無事合流を果たし、二人はその近くのレストランで食事をすることになった。
「それでこれがそいつ」
食事を終えてひと心地ついた後、ルフィがゾロに携帯を開いて見せた。携帯には頼りなさそうな男の顔が写っている。
「前住んでたアパートと、勤めてたっていう会社のことは聞けた」
「上々じゃないですか?それで人となりはだいたいわかりそうだ」
それでもルフィは浮かない顔で、ゾロは怪訝に思う。
「どうしました?」
「うーん・・・よくわかんねェんだけど、なんかもやっとした」
「なににです?」
「それがわかればもやっとしねェ」
「なるほど」
それならば多分なにかあるのだろう。ゾロはルフィの勘というものを100%信用している。直感であるなら尚更だ。
「どうします?」
「なにが?」
「このまま調査を続けますか?」
「なんで?」
「所長の勘から行けば、あまりよい結果を生まないと思いますが」
「まぁ、それはそれで仕方ねェし、どんなんがよい結果で悪い結果なんかおれにはわからん。そもそも依頼人の依頼に応えるのが探偵の仕事だろ」
「多少押し売った感はありますが」
「ちくわのおっさんはビビに寄り道やめさせたいんだろ?だったら押し売りじゃなくてサービスだ」
ルフィはたまにとても合理的だ。そんなルフィの結論にゾロは否を唱える気がない。 「それを聞いて安心しました」
「なにに?」
「少々あの娘に入れ込んでいるように見受けられましたので」
「あの娘ってビビか?」
ゾロは黙って頷いた。ルフィは呆れたように、
「まぁビビはもう友達だし、あいつがこのままじゃよくねェと思うのも確かだけどな。なんでゾロはそんなこと気にすんだ?」
「痴情のもつれです」
「勝手にもつれさすな」
叱られた。
「まぁ、結構似合いだと思ってしまうので、もやっとするだけです。本気で疑っているわけではありません」
「おれとゾロもカップルって言われてんだから、それなりに似合ってんじゃねェのか?」
「・・・所長は天才ですね」
「ゾロがアホなんだ」
「・・・なるほど」
確かにアホなのだろう。
「ですが、これがおれのアイデンティティというものですから」
「開き直ったな」
ルフィが少し困ったように笑った。人間には弱い部分がひとつくらいあった方がよいものだ。
4
あくる日、ルフィの仕入れた携帯写真のデータをプリントアウトして、二人はまずミスター・メロウが勤めていたという運送会社を探した。聞いた住所にはそれらしい会社はなく、目に付いたコンビニでルフィのおやつの肉まんを買ったついでに店員に聞いてみると、この辺りにそのような会社はないと思う、との回答だった。
「嘘吐いてたのかな」
ルフィが肉まんをかじりながらゾロに同意を求める。
「潰れるか移転したかって可能性もありますけどね」
どの道メロウがその会社で働いていたという確証はつかめそうにない。
二人はそのまま歩き続ける。
以前にキャサリーナとメロウが暮らしていたというアパートがこの近くにあるのだ。アパートは思っていたよりしっかりしたつくりの二階建てで、二階の三号室にいたという話だったが、当然そこには別の人間が入っているようだった。ルフィがその隣の四号室のチャイムを押す。一度押したが返答がない。続けてチャイムを連打すると、
「バッ!うるさいねっ!ハイハイハイハイセールスはお断りだよ!それ帰りな!すぐ帰りな!」
バタンとドアを開けて中から現れた女がドアを開けたと同時にまくし立てた。
「おぉ、ペンギンばーさん。ちょっと聞きてェんだけど」
「バッ!失敬な小僧だね!なにも教えてやるもんか!」
確かに失礼である。ちなみにゾロにはペンギンというよりもモグラに見えるが、あえて口出しはしなかった。
「こいつのことなんだけどな」
まったく聞いていない態で、ルフィがプリントアウトした写真を見せる。
「あぁ!前に隣の部屋にいた奴だね!なんだおめェもコイツにだまされたのかい!バッ!バッだね!」
「ばーさんもだまされたのか?」
「バッ!アタシがあんなのに騙されるワケないだろこのバッ!赤ん坊置いて女に逃げられて懲りるかと思ったらすぐ別の女をつれてきてあんなのに騙される女の気が知れないよこのバッ!」
「ふーん。悪ィ奴なのか、コイツ」
「バッ!しょせん小悪党だよ!気が小さくて女騙すくらいのことしか出来ないんだよ!」
「よく知ってんなぁ。引っ越したっきり会ってねェんだろ?」
「バッ!前の女には会ったよ!レインベースの駅でばったり会ってあいつが引っ越したことを教えてやったら安心してたね!『ファンタジア』とかいう店で働いてるって言ってたね!」
「そいつの名前は?」
「バッ!おめェみてェな失敬な小僧に誰が教えるか!」
「うーんじゃぁまぁいいや。ありがとう!」
女はまだ喋り足りないような顔をしていたが、二人はそこで切り上げることにした。
「・・・毎回思いますが、所長のそれは、もう魔術の域ですね」
「それ?」
ゾロの呟きにルフィが聞き返す。決して聞き上手というわけではなく、むしろ人の話を全く聞いていないのではないかと思えるくらいのルフィだが、話しているうちにいつの間にか必要な情報が引き出されている。そう言うとルフィが口を尖らせて、
「でもあのばーさんなんにも教えてくれなかったじゃねェか。わかったのはコイツが悪い奴らしいってくらいだろ?」
写真を指す。自覚はあまりないらしい。
「そしていつも思ってますが、所長はほんとに可愛いですよね」
真剣に言ったつもりだったが蹴られた。
「ひとまず、ダメ元で役場にでも行きますか?」
「役場?」
「ひょっとしたら名前がわかるかもしれない」
ゾロは無駄足を予想していたのだが、予想に反してメロウはそこに住民登録を残していた。前の女とはきちんと籍も入れていて、妻の名前に子供の名前も載っている。正式に離婚をしたわけではないらしい。
「おぉ!すごいなゾロ!」
「すごいのは所長なんですけどね」
ゾロは苦笑しながら今後の予定を考える。『ファンタジア』という店にこの妻を訪ねていくべきだろうが、果たしてルフィと一緒に行ってもよい店なのか迷うところだ。レインベースは有名な歓楽街で、性質のよくないのも多そうなので
「今、悪ィこと考えてるだろ」
ルフィの勘はとても鋭い。別段悪いこととは思わないが。
「そろそろ昼飯にしましょうか」
どの道店が開くのは夜になってからだろう。当座のゾロの提案にルフィは追及を忘れて一も二もなく頷いた。ゾロは先ほど蹴られた台詞を繰り返さないことに多大なる努力を払い、ルフィ好みの食堂を探すことに専念し始めた。
「まだちょっと早いか?」
90分食べ放題のビュッフェを出た後、ルフィが満足そうに伸びをしながら言った。
「だいぶ早そうですよ」
繁華街が本来の活気を取り戻すにはあと数時間は必要だろう。
「今からでも別行動をお勧めしますが」
ゾロが言うとルフィはくるりと振り向いて、
「おれと一緒はそんなにイヤか?」
「まさか。所長にちょっかいをかけてきそうな命知らずがいるような場所にあまり近づいてほしくないだけです」
ルフィが顔を顰めて、
「何度も言うけど、おれ、強いぞ?」
「知ってます。ただそういう輩をおれが停止させずにいられる自信がないというだけです」
「うーん・・・」
悪い冗談だとは思うのだが、ルフィは唸って、それからゾロの左手を右手で握る。
「ゾロがなんかしそうになったらおれがちゃんと止めるから心配すんな」
ゾロがその気になれば、片手だけでも人に危害を加えるのが簡単なことも知ってはいるけれど。
「それに好きな奴とこうやっていろんなとこ歩くのをでえとっていうらしいぞ?」
「・・・・・・・・・・」
「一緒に聞き込み続けるからな」
ゾロは黙って頷いた。
あちこちふらふらした割に、誰にもからまれることなく、二人は無事に目的の店に着くことができた。『ファンタジア』はまだ開店したばかりで、客はまだ一人も入っていなかった。カウンターのほかにテーブルが三つあり、二人が隅のテーブルに座ると、ホステスが三人よってきた。
水割りをふたつとつまみをいくつか注文し、住民票にあった名前を告げて、他の二人には席を外してもらう。
「・・・刑事・・・には見えないわね」
一人残された女が怪訝そうに二人を見比べた。
「おれたち人に頼まれてメロウって奴のこと探してんだ」
「しばらく留守にすると出てったきり、もうひと月、連絡がないらしい」
ルフィとゾロがそれぞれ説明すると、女は身を乗り出して、
「ビーンズ・・・赤ちゃんは?」
「ある人が面倒を見ているから心配しなくていい」
「それならいいけど・・・施設にでも預けられているんだったら私が引き取ります」
真剣な顔つきが少し意外で、ゾロが聞いた。
「しかし赤ん坊がいたらここで働くのは難しくなる。まぁ昼間の仕事でも同じだろうが」
「頭を下げて親のところに帰ればなんとかなるわ。もともとそのつもりだったんだし」
「つまり最初から赤ん坊をつれて出て行くつもりだったのか?」
ゾロの率直な問いに女は顔を顰めて、
「当たり前でしょ。母親なんだから」
「ってことは、メロウが子供を渡さなかったわけか?」
「そう。でもそれで出て行くのをあきらめたら、あの人と一緒に私もダメになってしまう。どうせすぐ音を上げるだろうと思って一人で家を出たんです。だからちゃんと私がどこにいるかはわかるようにしておいたの。それでもしばらくなにも言ってこなかったから少しは見直しかけてたんだけどやっぱりダメで、ひと月半くらい前かな?あの人ここに訪ねてきて、やり直してくれって」
女の話を聞いて二人は少し顔を顰めた。どうも展開がおかしくなってきた気がする。
「それでなんて答えたんだ?」
「まずビーンズを渡してくれって言いました。それからちゃんと一人でやっていけるようだったら、つまりきちんと仕事について飽きずにやっているところを見せてくれたら、考え直してもいい、と」
礼を言って店を出ると、夜も更けて、繁華街は活気を取り戻しつつあった。
「どうしますか?」
ゾロの問いにルフィが首を傾げる。
「依頼としては完了でしょう」
「そうなのか?」
「赤ん坊を育てさせるべき人間に育てさせる、というのが依頼内容だったはずです。母親が引き取って育てる、と言ってるんだから解決でしょう。赤ん坊にとってもそれがたぶん一番いいんだろうし、そうなればビビもベビーシッターをする必要がない。寄り道も止んで、依頼人も満足」
「・・・そうなんだけど」
ルフィが眉間に皺を寄せる。
「メロウって奴が見つからねェのはちっと気持ち悪ィ」
「所長がそう言うなら探しても構いませんが」
ゾロは言い置いて、
「このまま思い通りというのも癪に障りますしね」
5
「まぁそんな感じで、赤ん坊は母親が引き取りたいって言ってた」
ルフィの説明はひどく雑であったが、それでも要点は伝わったらしく、ビビが嬉しそうな声をあげた。聞き込みから翌日の夕方、メロウの部屋でのことだ。出勤前のキャサリーナもいる。ゾロは初見だったが、ビビの先輩とは思えないほど年をとって見えた。苦労をしているのには違いない。
「でも、メロウって奴を捜そうと思うと、あともう少し時間がかかりそうだ」
続いた台詞にビビが心配そうにキャサリーナを見る。キャサリーナは肩をすくめて、
「これ以上あんたに迷惑かけるわけにいかないからね。メロウさんのことはあきらめるわ」
ビビに言った。ビビもほっと息を吐く。しかしすぐに眉を顰めて、
「でもメロウさんが戻ってきたときに、赤ちゃんを勝手に奥さんに渡したと知ったら怒られないかしら。お仕事が見つかったら戻ってくるって約束なんでしょう?」
キャサリーナが何かを言う前にゾロが口を開いた。
「大丈夫だろう。奴は戻ってこれる状態じゃない」
やけに確信めいた口調にビビが首を傾げる。
「借金のことなんかで逃げ回ってるのかしら」
「督促がないのに逃げ回る必要はないだろう。消息を絶ってひと月も経つのに葉書一枚、電話一本来ないというのは、借金自体、してない証拠だ」
「え・・・でも・・・」
ビビが困惑したようにキャサリーナを見る。
「メロウってのは悪い男じゃない。ダメな男なんだ。余所で聞いて回って初めてわかったことだがな。女に働かせて自分は怠けてるのが好きなんだ。女に食わせてもらっている状態で、自分が職探しに出て一か月も戻らない、なんてことはあり得ない」
「さっきから・・・なにが言いたいの?」
キャサリーナが抑えた声で口を開いた。ゾロは淡々と、
「メロウは前の奥さんとよりを戻したがってた。その辺がこじれてあんたが殺したんだろう、と言ってる」
キャサリーナとビビの顔色が変わった。
「メロウを殺して行方不明になったと言ってすぐに赤ん坊を手放したんじゃすぐに怪しまれる。ビビに相談したのは、親身になってくれそうだってのと、手放すことを勧めてくれると期待してのことだろう。つまりいやいや赤ん坊を手放すというかたちにしたかった。まさか探偵が出てくるとは思ってなかったんだろう」
キャサリーナが唇を噛む。
「証拠でもあるっていうの?」
「所長の勘」
ゾロは言い切った。
「最初にあんたに会ったときに違和感を覚えたそうだ。おれは所長の勘は100%信用することにしてる」
「・・・・・・」
キャサリーナは呆れたように口を開けて、それから笑い出した。
「バカじゃないの?話にならないわ」
「バカはお前だ。おれたちに物証は必要ない。それを探すのは警察の仕事だ。どこに隠したかしらんが、死体が見つかればあとは時間の問題だ。うちの所轄には案外有能なのがいるからな」
「・・・キャサリーナ・・・」
ビビの声が不安に揺れる。キャサリーナは顔をひきつらせて、
「なによ。あんたも私を疑うの?」
「・・・・・・・・・」
ビビに答える術はない。
「死体が見つかってからじゃ遅い。今から警察に行って話をする方がおれはいいと思うぞ」
ルフィがそこで口を開いた。
「いやよ。警察なんて絶対イヤ。私が悪いんじゃない。あの奥さんが悪いんだわ。どんな手使ったかしらないけど、それに乗るメロウさんもメロウさんよ」
泣きじゃくりはじめたキャサリーナをビビが抱きしめる。
「落ち着いたら警察に一緒に行きます。それでいいですか?」
「それはおれたちが決めることじゃねェ。ちくわのおっさんも呼んだから、三人で相談して決めろ。もちろん頼まれりゃおれたちもついてくし、もし警察に行かねェって決めるなら、このことは誰にも言わねェ。シュヒギムってやつだ」
ビビの問いにルフィが答える。キャサリーナはまだ泣き続けていた。
「どうなったかな」
カラカラとベビーカーを押しながらルフィが呟いた。キャサリーナにつられたように泣き出した赤ん坊を、外に連れ出しているところだった。赤ん坊も一緒に泣いているのでは、きちんとした相談は難しいことだろう。それほどに赤ん坊の泣き方というのはパワフルだ。部屋の中の重苦しい雰囲気を感じ取っていたのかもしれない。現在は幸運にも泣き止んでくれている。
「さぁ。十中八九、所長の薦めに従うと思いますけどね」
隣を歩くゾロがそれに返した。やって来たイガラムも当然その薦めに従って自首を促すだろう。結論が出たらゾロの携帯に連絡が入ることになっているが、実のところ、どういう結果になろうとゾロにはあまり興味がない。彼に興味があるのは、基本、彼の所長のことのみだ。
「どうしました?」
「なにが?」
「事件が解決した割に浮かない顔です」
「んー。一番めんどくさいとこ丸投げだけどな」
「探偵の仕事なんてそんなものでしょう」
少なくとも、泣いている女を慰めるのは探偵の仕事ではない。とゾロは思う。それを面倒臭いと断じるルフィも大概なのだが。
「だいたい所長の好きな名探偵とやらも、犯人を指摘した後のフォローなんてしてないはずです」
探偵は探偵であってカウンセラーではない。
「まぁそうなんだけどな」
ルフィは少し顔を顰めて、
「やっぱ悪い奴ぶっとばして終わるような事件がいいなぁ」
今回一番ぶっとばしたいと思った男は既にこの世にいない。
「まぁ否定はしませんが、おれは別に今回みたいなのも悪くないと思いますよ」
「そうか?」
「所長とデートしながら仕事になるならなによりです」
「・・・なるほど」
ゾロの大真面目な顔に、ルフィも真面目に納得した。結果はともかく、経緯としては大変楽しかったのも事実だ。多少不謹慎ではあるけれど。
「まぁ、たまにはこういうのもいいか」
後味がよいとは決して言えないが、仕事としては悪くなかったと言える。
「あのケーキ屋はまた行こう」
「出来ればテイクアウトでお願いします」
ルフィは少しだけ笑った。
彼女はまだ泣いているのだろうか。早く携帯が鳴らないものかと、待つのが嫌いなルフィは思った。
〈了〉
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