「・・・変な顔。」 診察室から出てきたルフィは開口一番そう言った。言われた方のゾロは怒鳴り返しもせずに、ただルフィの左手を見ていた。ルフィは顔を思い切り顰めて、待合室の椅子にドスンと音を立てて座った。今度はゾロの顔が顰められた。 「傷に障る」 「平気だ」 ルフィの左手首には包帯が巻かれていて、その白さが、ゾロには妙に痛々しくみえた。 「ごめん」 ゾロの呟きにルフィが顔を上げた。 「なんか言ったか?」 睨みつけられる。 「・・・いや別に・・・」 「・・・ばか」 ルフィも小声で呟いた。
ルフィが階段から落ちた。学校帰りの歩道橋での出来事だった。 「左手、ちょっと捻っただけで、あとは擦り傷だけだって、ゾロも聞いてたろ?」 「あぁ」 「病院、行くほどじゃなかったんだ」 そんなことはない。捻挫だって治療を怠ればクセが残ったりするものだ。答えないゾロにルフィの顔がどんどん不機嫌そうに顰められていく。ようやく家の前についた。門限にはまだ余裕がある。ゾロは自分の家に入ろうとせず、そのままルフィを家の中まで送り届ける気のようだった。 「おれからおばさんに説明する」 とうとうルフィが持っていた鞄を投げた。ゾロが持つと言ったのを、右手はなんともないのだから、と強固に固辞していた甲斐があったというものだが、ゾロにぶつけてやるはずの鞄はひょいと避けられて、それどころかゾロの手にとられてしまった。悔しくてルフィはゾロをにらみつけると、ゾロの腕をとり、ゾロを家に引っ張り込んだ。・・・ゾロの家に。ゾロは驚いた顔でルフィを見ていたが、鍵!と怒鳴れば、自分の家の玄関のドアを開けたので、それなりに冷静だったのか、混乱していたかのどちらかだろう。 「お前っ!いい加減にしろよっ!」 ルフィが家に入るなり、玄関先で怒鳴った。普段から専ら怒鳴るのはゾロの方なので、珍しい状況だ。さすがにゾロもムッとして、 「なにがだよ」 「おれが階段落ちたの、自分のせいだとか思ってんだろ」 「・・・悪ィかよ」 ボソリとゾロが呟いた。 「おれが勝手に転んで、おれが勝手に落ちたんだ!確かに久しぶりに一緒に帰れて、浮かれてたのはゾロのせい、と言えなくもないけど、怪我とゾロは関係ねェだろ」 確かに、ルフィは勝手に落ちたのだ。後ろ向きに階段を下りていて、話に夢中になっていた。ゾロはルフィの少し後ろを歩いていて、ルフィの言うことに相槌を打ったりしていただけだ。そしてルフィは勝手に足を滑らせて、後ろ向きに倒れた。頭をかばい、手すりを掴んだ手を捻挫しただけですんだのは、反射神経と運動能力、ひいては運のよさの賜物であるとして、誰が見てもルフィの不注意である。けれどルフィの体があんな風に傾げるなんて思っていなかったことはゾロの不注意だ、というのがゾロの主張だ。 「悔しいじゃねェか」 「なんでだよ」 呟けば即座に質問が飛んだ。要はプライドの問題だ。すぐそばにいて助けられなかったことへの。その左腕をつかめなかったことへの。ゾロはルフィの左腕をつかんだ。ルフィの顔が顰められる。 「痛いんだろ」 「痛くねェ」 ルフィが睨みつけてくる。なにが気に入らないかと言えば、ルフィのこの全然痛くない、という顔だ。少しでも痛がれば、ゾロがますます責任を感じることをルフィは知っているからだ。 「痛いって言えよ」 「痛くないのに、そんなこと言うか」 それでもルフィの体はかすかに動いた。言わないのがルフィの意地だ。ルフィは必死でゾロを守っている。守られたいわけではないゾロは、痛いと言わせたい。それがゾロの意地だ。けれどルフィの顔が少しゆがめられて、ゾロは思わず手を離した。 「痛くなんか・・・ねェよ、こんなの」 さっと左手を取り戻したルフィが、間髪入れずに、ゾロを引っぱたいた。左手で。 「靭帯切れたりしたらどうするつもりだこのバカ!!」 さすがにゾロが怒鳴った。ルフィがちょっと驚いた顔をして、それからにっこり笑った。 「・・・ちょっと怒りの方向はどうかと思うけど、ゾロいつもの感じに戻ったな」 ゾロががっくりと脱力した。 「これでおれの手がほんとに痛くないことわかったろ?」 下手な嘘だと思う。 「だからおれに情けねェツラ見せんなよ。ゾロはいっつもかっこいい感じでいろ。おれの自慢なんだからな」 仕方がない。今回は守られてやろう。とゾロはひとつ息を吐いた。 「次はねェからな」 「なにが?」 ルフィがわからない顔で首をかしげる。 「人殴っといてただですむと思ってんじゃねェだろうな。」 「う・・・ゴメンナサイ。ゾロもおれのこと殴っていいぞ」 そう言ってぎゅっと目を瞑ったルフィの唇になにかが触れた。 「はい。仕返し終わり。お前にはこっちの方が効くだろ。ちゃんと怪我のことおばさんたちに説明しとけよ。じゃぁな」 目を開けた時にはルフィはゾロの家から締め出されていた。 「え?え?」 ルフィは一人混乱し、赤くなったり青くなったりしていたが、やがて帰ってきた兄に発見され、家に連れ帰られた。ゾロは玄関のドアにもたれて、幼なじみが捕獲されたのを確認すると息を吐いた。何故あんなことをしたのかはわからない。そうしたくなっただけだ。なにかが変わるとも思わなかった。さけられたり、警戒されたり、なんていうのはあの幼なじみに限って論外だ。だいたいルフィの鞄はゾロの手元にあるままだ。ルフィはそのことにいつ気づくだろう。ゾロはなんだか笑い出したい気持ちになっていた。 守られるのは今回限りだ。お前はおれが守るんだから。 「覚えとけよ」 呟いて、ゾロは誰もいない家に上がった。
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