家族                        

 


 忌引き・・・?近親が死去した場合に家にこもって喪に服すこと。
      ?忌のため勤務先・学校を休むこと。また、そのための休暇。
 この場合、?に当たる。ゾロの会社では一親等は七日、二親等は三日、三親等は一日だ。会社が休みの日も計算に入るので、七日といっても仕事を休むのは五日だし、三日の場合も一日の場合も、その日が休日と重なれば休みはその分少ない。そして、とらなくてはいけない、というものでもないのだ。この暮れの忙しい時期に、五日も仕事を休むのは、さすがに憚られる。近親者といったところで、ゾロにはあまりその実感の湧かない相手だったからだ。
 本当は、なかったことにしてしまおうかと思ったのだが、悪いことに、電話に出たのがルフィだった。絶対に行くべきだ、と言われて、ゾロは会社に連絡をいれて、しぶしぶながら車を走らせた。電話は母からで、父が死んだという知らせだった。父と母はゾロが小学生の時に離婚していて、それ以来、いや、姉の結婚式のときに一度あったきりだ。ゾロはその時高校生だったが、あまり記憶がない。
 ほんとうに小さい頃には、よく遊んでもらった覚えはある。剣道だって、もともとは父が教えてくれたものだ。よい父親だったのだと思う。ただ、人間的にどこか欠陥があったのだとやがて思うようになった。平気で他人を裏切ることができる人間だったのだ。母は何度裏切られたのかわからない。
 別にゾロは父を嫌っていたわけではない。今でも、嫌いではない。ただ、興味がないのだ。父の死、というのもどこか他人事のような気がしていた。それでも火葬される前に会っておけ、とルフィが言うので、一度実家に戻った。遺体はどこかまるで知らない施設に引き取られていた。連絡は、その施設から姉の元に入ったのだった。
 警察からの電話でなかったことにゾロは少し驚いた。あの父のことだから、どこかで変死体として発見されてもおかしくはないと思っていたせいだ。なんでも倒れていたところを保護されて、父の母、つまりはゾロの祖母と同じ施設に入所することになったらしい。父方の祖母に対しても、ゾロにはあまりよい思い出がない。随分、つらく当たられていたような気がする。自分が父に似ていないせいだ、と誰かに言われた記憶がある。父方の親戚には殆ど会ったことがない。親戚がいるのかどうかもよくわからないくらいだ。祖母は元芸者で、どこかのお大尽に身受けされて、父を生んだそうだ。その祖父はゾロが生まれた頃には他界している。
 二重に気が進まなくもあったが、確かにひとつのけじめには違いない、と車を走らせた。予定より、少し遅れてその施設に着いた。ゾロの車には、ナビシステムがついているのだが、役に立っているのかどうかは半々だ。姉が先に着いていて、「来てくれてありがとう」と頭を下げた。
 早くに父と別れたゾロよりも、姉の方がよほど苦労をしてきたと思われるのだが、そんな風に言えることにゾロは驚いた。姉とは母が違うせいで、ゾロの母は姉を連れて家を出ることができなかったのだ。
 施設の中の仏間に、棺桶が置かれていた。死因は急性心不全。安らかな死に顔だと思った。あれだけ好き勝手やってきて、いろんな人に迷惑をかけてきた人間がこうも安らかな死を迎えることができるものなのだろうか、と少し不思議に思う。聞けば、アルツハイマーも発症していたらしい。なにか思うところがありそうなものだったが、特になにも思いつかなかった。ただ、この男が死の瞬間になにを思ったのかには興味があった。人間は生きてきたようにしか死ねない、とゾロは思っていたが、この安らかな死に顔には、引っかかりを覚えるとともに、ほんの少しの安堵があった。
 ひとまず、今夜はここで仏とともに夜を明かし、明日の朝には、親戚もやってくるらしく、それから火葬にし、夜に通夜、そして更に翌日が葬式となるらしい。どう考えても泊まりだ。少しだけルフィを連れてくればよかった、と思ったが、これからの進行を考えると、それはしなくて正解だったとも思う。ただ、会社には出られない旨連絡をいれ、それからルフィにも電話をいれた。少なくとも三日は帰れないことを告げると、ルフィは待ってる、とだけ返した。それだけで少し楽になった気がした。
 葬儀は滞りなくすんで、覚悟していた親戚からの苦情も聞くことはなかった。親戚一同(と言っても葬儀にやってきたのは数人だったが)、父の所業を知っているせいか、姉やゾロにはいたく同情的だった。それもどこかゾロには他人事のように思えたが、あまりに悪し様に言われる父に対して、情けなさを覚えたということは、血のつながり、というものが多少影響しているのか、幼いころの記憶が影響しているのか、判別がつかなかった。
 ゾロは一応長男であったが、喪主は姉が務めた。10年以上ぶりに会う祖母は、姉のことは覚えていたが、ゾロのことを覚えていなかった。ただ、すっかり剣がとれて、記憶の中の厳しいだけの印象と変わっていた。自分の息子が死んだことも、半分わかっていて、半分わからない、といった状態だった。それはそれで救いのような気もした。ゾロにもずいぶん気さくに話しかけてきて、いささか驚いた。それはゾロを孫として認識していないせいだとわかっても、それなりにわだかまりがとけるような気がした。
 納骨のことだとか、相続の話だとか、自分の知らない父のことだとか、いろいろと聞いて、ゾロはずいぶん、疲れながら、家路についた。
「おかえり。ご苦労さん」
 ルフィはそれだけ言うと、ゾロをキッチンの椅子に座らせた。
「とりあえず、食えるだけ食え。それから風呂入って、今日は寝ろ」
 ゾロはなにか言おうと思ったが、なにも考えたくなかったので、言う通りにテーブルの上にところ狭しと並べられた食事に手を付けた。それから風呂に入って、ベッドに入ると、すとんと眠りに落ちてしまった。
 気がつけば、日も高く上っていて、ゾロは仕事のことを一瞬思い、それから、今日が休日であることを思い出した。日付と曜日の感覚がすっかり麻痺している。ゾロは記憶を反芻した。今日は確かルフィも休みのはずで、確か、約束もしていたはずだ。昨日で葬儀が終わったことにゾロは息を吐いた。やはり、家族というのは、血のつながりよりも、共有している時間の量だろう、とゾロは結論づけた。情というものも、それによって生まれるものだ。確かに、血のつながりが与えるものもあるのだろうが、ゾロにはよくわからない。ひょっとしたら自分には、父と同じように、人間として大事な何かが欠けているのだろうか、と一瞬思ったりもする。
「おぉ!起きたか!おはよう!」
 明らかに早くはない時間だが、ルフィが寝室に現れて、にっこり笑った。普段ならお互いが休みの日にゾロがこんな時間まで寝ていることをよしとしないルフィであったが、今日は特別大目にみてくれるらしい。
「んーっと、とりあえずメシにするか?」
 ルフィが首をかしげながら聞く。明らかに気を使っている模様だ。ゾロはベッドの上に起き上がったまま、ルフィを手招いた。ルフィが近づいてくる、腕を引いて、自分の膝の上に座らせた。そのまま後ろから抱き込んで、久しぶりにルフィの体温を感じた。
「久しぶりってもたった3日か・・・」
 考えが思わず声に出た。
「・・・そんでも、淋しかったけどな」
「お前が行けって言ったんだ」
「うん。行ってよかったろ?」
「・・・よくわからん・・・」
 それからゾロは、ゆっくりとこの三日と、それから、自分の知っている限りの父のことをルフィに話した。
「・・・ゾロの父ちゃんはさ、運が悪い奴だったんだな」
「・・・・・」
「そんで、ちょっと弱かっただけなんだ。悪い奴じゃねェよ」
 会ったこともないくせに、ルフィはそんなことを言う。
「それに、いいことだってちゃんとしてる」
 ゾロは黙ってルフィの話を聞いていた。
「ゾロの父ちゃんいなかったら、ゾロいないんだからな。これはすごいことだぞ?おれが今こんだけ幸せなのもゾロの父ちゃんのおかげってことだろ?」
 ゾロの腕に力がこもる。
「だから安らかな顔だったってのも当たり前だと思うけどな、おれは」
 ルフィの言うことに根拠はなにひとつないけれど。
「・・・・だったらいいな」
 何に対してなのかはわからないけれど、ゾロは呟いて、腕をほどいた。



     初出 2006.12.24 クリスマスに葬式の話って・・・と言われたことが思い出深い話。
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