博物館。 「博物館」である。よもや自分がこんな場所に立とうとは、想像したこともなかった。いや、もともと、自分の辞書に「博物館」などという単語は存在していなかったと言っていい。ルフィはその広大な建物の入口で少し途方に暮れていた。 自分をこの場に誘った男はまだ来ない。約束の時間を少しすぎている。ほんの少し不安になった。もしかしてからかわれているのだろうか。だいたい、自分と博物館なんて、ミスマッチも甚だしい。初めてで、尚且つ自分の範疇外の場所というものに一人立っているというのは、案外心細いものだと思う。これが遊園地だとかゲームセンターだとかそんな場所なら初めてだって一人だって全然平気なはずだ。ルフィにしては珍しく眉間にシワがよってくる。あと5分待って来なかったら帰ろうか、と思いかけた頃、待ち人はやってきた。 「遅い!!」 思わず恨み言を言う。安心したせいもあるのかもしれない。 「悪ィ」 男はすぐに謝った。 「なら行くか」 そして男は来た道を戻る。 「入口ってここじゃないのか?」 ルフィは慌てて追いかけた。入口で待ち合わせ、だったのである。 「あぁ、ここは通用口だな。正門は反対側」 男はなんでもないことのように言った。そうなると自分は待ち合わせの場所で無い場所に一人立って心細がっていたわけである。どうりで人もあまりいない筈だ。周囲を見回す余裕もなかったとは我ながらかっこ悪い。 「ゾロ、ごめんな」 とりあえず先ほどの言葉を謝っておく。 「いや、きちんと説明しなかったおれが悪い」 やっぱりゾロはかっこいい、となんの脈絡もなく思いつつ、一抹の不安を抱えて歩いた。 なんと言っても「博物館」だ。慣れない場所でどんな失敗をやらかすかわかったものではない。ルフィは複雑な思いで目の前の男を見ていた。
時間を遡ること少し。博物館の入口の前で、ゾロは時計をにらみつけていた。本人にその意識はなかったが、にらみつける、と言った表現がぴったりだろう。一昨日、ルフィに電話して、今日会う約束を取り付けた。どうして、初めてかける電話というのはああも緊張するんだろう、と今までそんな風に緊張したことなどないのを棚に上げて思った。 待ち合わせの場所を告げた時、少しとまどったような気配がした。たぶん、こんな場所に誘われたことなどないのだろう。ルフィを誘うなら、やっぱり遊園地とかゲームセンターとかがイメージな気がする。その方が喜びそうだ。わかっていてこんな場所を指定する自分もどうかと思うが、ルフィは行くと言ってくれた。けれど時間は刻一刻とすぎていく。やっぱり場所が悪かったんだろうか、と後悔しかけた頃、ふと気づいて歩き出した。この建物はやたらと広くて、当然出入り口はここ以外にも数箇所ある。それは裏門だったり搬出口だったり様々だけれど。思った通り、というか、ルフィはそこに立っていて、ちょっと心細そうな顔をしていた。それがゾロを見つけた途端ぱっとほころんで、それから思い出したように怒り出す。 それまでの心理が手にとるようにわかる気がして、ゾロは笑いたいのをこらえた。ここで機嫌を損ねるわけにはいかない。それに実際、たぶんルフィが初めて訪れるような場所できちんと説明をしておかなかった自分も悪いのだ。会うことを承諾された時点で細かいところまで気が回らなかった自分は、我ながらかなりかっこ悪い。 入口が別の場所だと知ったルフィが謝ってきたけれど、どう考えてもこの場合悪いのは自分の方だと思う。次回からの課題にしよう。次回があれば、の話だが。 「ほんとに入るのか?」 ルフィはやっぱり心細そうだ。なんでそんなに緊張するのかゾロにはわからない。たかが博物館だ。 「そりゃ来たからには入らなきゃしょうがねェだろう」 ゾロが言うも、ルフィはやっぱり気が乗らないようだ。 「どうしてもイヤか?」 ゾロが聞くとルフィは少し考えて、それから思い切ったように言った。 「だって、こん中にはたくさんキチョウなものとかダイジなものとかいっぱいあるんだろ?」 「そりゃそうだな」 とても言いにくそうにルフィが続ける。心なしか顔が赤い。 「・・・んとな、おれ子供の頃からすぐにモノ壊しちゃうんだ。兄ちゃんに言わせるとおれが乱暴で気が散ってるからだって言うんだけどさ。だからそんな大事なものがたくさんあるとこ行ってなにか壊したら大変だし・・・」 どんどん声が小さくなっていく。ゾロはといえば(兄貴がいるんだ・・・)と関係ないことを考えていた。関係ないことを考えて気をそらさないとちょっと往来で危険な真似をしそうだったので。そんなことを真剣に心配してるのが気の毒やらかわいいやら。
思い切って自分の恥を打ち明けたルフィはなにか考え込んでいる風なゾロを見て、呆れられたかなぁ、と心配になる。できればルフィだって、ゾロの選んでくれた博物館に入ってみたいのだ。自分には縁がない場所だけど、ゾロはこういうのが好きなのかもしれないし。ゾロが好きなものだったら、ちゃんと理解したいなぁ、とかも思うのだ。 「一応展示されてるモノには一定の距離以上近づけないようになってるぞ」 ゾロが大変真面目に答えた。 「さわれなきゃ、さすがに壊したりできないハズだろ?」 続けて言われ、ルフィも真面目に頷く。 「でも、さわっちゃダメって言われるとさわりたくならねェ?」 正直に述べてみる。実際、そういう失敗も多い。自分では我慢してるハズなのにいつの間にかフラフラと手にとってしかられること数度。我慢はしてみる。してみるが自信があまりない・・・。さすがのゾロも思案顔である。(今度こそ呆れられたかな)と、そんなに心配なら呆れさせるようなこと言うなよ、と一人でつっこみながら出方を見る。 「・・・あー・・・さわりたくなったらおれのシャツの裾でも握っとけ、って言うのはダメか?」 ルフィはびっくりした。こんな提案をされたのは初めてだ。というより、こんなに我慢強く自分の我ながら呆れる言動について考えてくれたヒトが初めてなのかもしれない。なんだかうまく言葉が見つからない。ので、頷く代わりにゾロのシャツの裾をつかんだ。
我ながらアホな提案しか浮かばなかった。ルフィが俯いてしまったのでやはり別の場所に移るべきだろうか、と考えを転換させようとしたら、引力を感じた。ルフィが自分のシャツの裾をつかんだのだということを認知するのに少しの時間を要した。あまりの素直さに目眩がしそうだった。気が変わらないうちに中に入る。ルフィも黙ってついてくる。たぶん中に入ってしまえば、ルフィも自分の心配が杞憂だということに気づくだろう。自分の顔が赤くなっていないかどうかが目下一番の心配事だ。 思ったとおり、というか、ルフィはもの珍しげにキョロキョロと展示品を眺める。 「ゾロ、これ、石か?」 「そうだな」 「石が大事なのか?」 「38億年前のモンだからな」 そう言うと目を輝かせる。 「想像つかねェ・・・」 「おれもだ」 「でも石だよな」 「そうだな」 そんな感じで進んでいく。どうやら少し落ち着いたらしい。けれど、裾をつかんだ手はそのままで、これはこれで悪くない、とゾロは思う。
「あ、これは見たことある!」 「三葉虫の化石だな」 確かに、展示品は全部ガラスのケースに入っていて、そう簡単に手に取れるモノではないことはよくわかった。自分はひょっとしたら、必要以上にあの兄におどされていたのかもしれない、と思う。帰ったらなにか報復してやろう、と少し考えるのだが、いちいち真面目に相槌を打ってくれるゾロを見てるとまぁいいか、とも思う。本当言うとゾロのシャツをつかんでいなくても、たぶんガラスにさわったりしないんじゃないかなぁ、とは思うのだけど、まぁ、念のために、とルフィは手を離さなかった。 「おぉ、これはなんかキレイだ」 「サンゴだな」 「これはどのくらい前だ?」 「・・・自分でも読んでみたらどうだ?」 言われてみれば、ガラスのケースの中には、きちんと説明の書かれたプレートが入っている。 「これは408万年前のさんご」 読んでみた。 「じゃぁ、ルフィ、あれはなんだ?」 「ん?んーっと、キテイフセイゴウ?よくわからんが1億年前のだ。ちょっとキレイだな!」 ゾロが楽しそうに聞いてくれるので、ルフィもなんだか楽しくなった。それにここにあるものはキレイなのもそうでないものも、とても古い。というより、ルフィの想像もできない昔からただそこに変わらずにあったものなのだ。なんだかそれはとてもすごいことのように思える。 「これはわかるぞ!アンモナイトだ!」 「おぅ、知ってんじゃねェか」 昔、イカ貝と言って、訂正をくらった思い出深い生物の化石だが、訂正を受けておいてよかった、と今更ちょっとだけ思った。二階に上がる。 そこでルフィが受けた衝撃はちょっと言葉にできないくらいだ。 恐竜がいたのだ。もちろんそれは骨格標本だったのだけれど。 とにかく大きくて、その大きさにびっくりしたのもあるのだけれど。 こんな生き物が普通に生活していた時代があったのだ。 「気に入ったかよ」 ゾロが後ろから言った。そう言えば手をはなしてしまったな、と思う。 「・・・うん。すごい」 ルフィは素直に答えた。あぁ、こいつ前足の指は二本しかなかったんだ、とか今更思った。恐竜の骨格標本は大きいものはあとひとつ。自分の記憶している名前と違ったので、少し残念に思ったけれど、やっぱり大きい。映画でみたことはあったけれど、なんだか、骨の方が迫力あるなぁ、と思う。自分が足元で見上げているせいだろうか。 「そこの階段上れば上の方も見られるんだが」 ゾロの声に勢いよく振り向く。 「行く!」 「走るなよ」 ゾロに注意されて、少し落ち着いて歩く。でも実は早足だ。階段の先は部屋を囲むような通路になっていて、吹き抜けに設置されている標本の上部をあちこちから眺められるシステムになっている。 「こっからだったら、エサやったら食ってくれそうだよな」 「お前ごと食われると思うが・・・」 ゾロは相変わらず付き合いがいい。 「こっちの奴は草食うんだから平気だろ」 笑いながら、首の長いその恐竜の顔をながめる。もちろん骨なのだけれど。足元にあった柵がなく、とても近い位置に見える。さわれないかな?と思ってしまった。手をのばしかけてその手をとられる。 「さわるまでのばしたら、落ちるからな」 その声は少し怒っているようにも感じられて、ルフィは自分の失敗を悟った。 「ごめん」 謝ったら、ゾロはバツの悪い顔をした。 「いや、お前が落ちても、食われても困るから」 そう言われて、ルフィはちょっと笑った。 「ゾロ、これをおれに見せたかったのか?」
言われて戸惑う。確かにそれも理由のひとつだった。 「・・・お前、なんかこういう、すごく大きいもんとか、見たら喜ぶんじゃねェかなぁ、と勝手に思った」 これでもいろいろ悩んだのだ。 「ありがとう。すげェ嬉しい」 と、ルフィが笑うので、本日のメインにちょっと嫉妬したことは黙っておこうと思った。 「もういいか?」 ゾロが聞くと、ルフィが頷いた。 「もっ回、下から見てからな」 よほど気に入ったとみえる。自分の心境としてはなかなか複雑だ。階段を下りる段になって、さっきつかんだ手がそのままだったことに気づいたのであわてて離したら、ルフィは少し不思議そうな顔をして、それからゾロのシャツをつかんだ。こんな風にシャツをひっぱられるというのはかなりくる、というのがゾロの今日の発見だった。
駅前に着いた。初めて逢った時に別れた場所だ。ちょっと名残惜しいような気がしておかしくなる。まだ二回、会っただけなのだ。 「なぁ、そういや、なんでここで待ち合わせしなかったんだ?」 ルフィがなかなか痛いトコロをついてきた。どうやってごまかそうかと一瞬考えたが、ここはひとつ正直に言っておこう。今後のこともある。 「・・・いや、ここ、お前のテリトリー内だから」 ルフィは首をかしげる。だからいいんじゃないかと思うのだがゾロは違うらしい。 「ひょっとしたら、お前の知り合いとかと偶然会ったりしたら気が変わるんじゃないかと、ちょっと心配だった」 言って情けなくなってきた。ルフィには間違いなく友達が多い。これは確信に近い。たった一回会っただけの男の誘いよりも、何度も遊んだ気心の知れた友人の誘いに乗りたくなってもそれは仕方ない気がしたのだ。それでもまんまと攫われる気はなかったので、ルフィの連れがあまりよりつかなさそうな場所を待ち合わせに選んだ、という打算も少しだけあった。 「おれがゾロとの約束破ると思ったのか?」 「1割くらい、可能性はあると思った。あの場所なら確率は1%に落ちる」 怒らせたかな、と思う。だったらもっとうまいこと言ってごまかせよ!と一人つっこみを入れながら出方を待った。ルフィは少し眉を顰めて言った。 「ゾロ、おれの言ったこと忘れてるだろ」 今度はゾロが少し眉を顰める。 「好きな奴とした約束だったら、ほかの奴が10人来たってそっちを優先させるからな、おれは!」 眉間のシワがとれた。虚をつかれたと言っていい。ルフィは続ける。 「そんで、今日はもの凄く楽しかったし、発見もいっぱいあった。ありがとう。よかったらまたさそってください。」 ペコリとお辞儀をして改札に入って行った。残されたゾロは少し呆然として 「・・・やられた・・・」 と呟いた。肩が少し震えている。笑いを堪えるのに必死だ。まだ二回。こんなにはまってどうするよ、と自分に呆れる。いろんな自分を発見できてなによりだ。と開き直ることにした。 「なら、次も考えねェとな」
また言い逃げてしまった・・・。電車の中で反省会を一人開くのがクセになりそうだ。それもこれもゾロがあぁだからいかんのだ、と責任を転嫁する。でもよくよく考えてみたらたった一回会っただけの奴に好きって言われても信憑性に欠けるよなぁ、と思う。信じてもらえないのも無理ないかな?と思うとちょっと落ち込んだ。まぁ、徐々にわかってもらえばいいや、と立ち直りかけて気づく。 「・・・またゾロの連絡先聞くの忘れた・・・」 また、待たなければいけないようだ。次があれば、の話だけれど。 「たぶんゾロもおれのことちょっとは好きなハズだから大丈夫!」 ゾロが聞いたら目眩を起こしそうなことを呟いて自分を励まし、次回はちゃんと連絡先を聞いておこうと決意した。
ルフィにとって博物館は頭がよくて、落ち着いた人間しか入っちゃいけないイメージだったのだけど、それは間違いだった、というのが今日の大きな発見だ。好きな場所が増えるというのは大変よいことだと思う。
2004.9.1UP
300番キリリクでした。 「映画館(ありふれた話)の二人のその後」 ということでしたんで。 あまり日常っぽくないんですけども 何かの拍子に手をつなぐ、はギリギリクリアかと。 リクエストくださってありがとうございます。 どうでしょうか、篠崎さん。
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