温泉(前編)

 

「おーっ」

バスから降りた時のその顔を見て、ゾロは無理を言ってついて来てよかった、と心の底から思った。ちなみに、無理を言ったのはバイト先に、である。

 ルフィから誘いを受けたのは、実は一昨日だった。大学は冬休みに入っていたが、ゾロはこの冬はバイト三昧な予定だった。もちろん、ルフィと会う時間は何日か空けてはいたのだが。よもや、ルフィが冬休みに入る直前の連休に誘いがあるとは思っていなかった。確かにクリスマスだとか、ルフィの好きそうなイベント事ではあるのだが、そういう行事にゾロが疎いことは重々承知しているはずだ。どちらかと言えば、稼ぎ時、という認識だということも。

 

「ゾロ、明後日から空いてるか?」

電話でいきなりそう言われたが、ここで、空いてない、と言ってしまえば終わりだということもゾロは学習している。

「あ、その次とその次の日も空いてないと困るんだけど」

「旅行か?」

「うん。エースが誰かと行ってこいって。」

「その日程じゃないとまずいのか?」

「うん。だってエースその日程でもう予約入れてお金も払ったっていうんだ。ほんとはエースとおれと二人で行くつもりだったんだけど、急に予定が入ったからって」

これはどう解釈すべきだろう。ほんとうに急に予定が入ったのなら、気の毒ではあるのだが、普通いい年した兄弟二人がその日程で旅行とかするか?とかも思うのだ。いや、ルフィが弟なら行くかもしれないか。ゾロは眉間に皺をよせて考える。ルフィの兄の言動は好意の賜物なのか、イヤガラセなのかわかりにくい。そもそも「誰か」と行ってこい、ってなんだ。

「お前兄貴におれが冬休み中ずっとバイトだとか言ったか?」

「うん。ゾロは世間の年中行事とかあんまり好きじゃないからクリスマスもきっとバイトだ、って話はした」

どうやら、確信犯だ。ルフィはわかっているのかいないのか。

「だから、予定入ってたら別にいいぞ?」

「・・・他の奴誘う気か?」

「えーっと・・・」

図星かよ。ゾロはため息をついた。

「すまんが一日待ってくれ」

 

 それからバイト先にかけあい、友人に頭を下げ、なんとか予定をつけたのだが、年末年始は無休になりそうだ。それはそれとして。電車に揺られ、バスに乗り、辿り着いた場所は、雪以外なにもないような山の中だった。ひとまずゾロの、人の多いところが苦手だ、という意見は聞き入れてもらっているらしい。ただ、ルフィには、こんななにもないような場所では退屈なのではないかと心配していたのだが、どうやらそうでもないらしい。バスを降りた途端に顔を輝かせて走り出し、雪に足をとられて盛大に転んだ。

「おいっ」

子供じゃあるまいし、駆け寄るわけにもいかないが、後ろから声をかける。するとルフィは数秒雪に沈んだまま

「雪がこんなにたくさんだー」

と起き上がって笑った。ゾロにしたら別段雪など珍しくもないし、どちらかと言えば実家で雪かきに借り出されたり、あまり良い思い出はないのだが、ルフィは違うらしい。

「こんなにたくさん雪あったら遭難とかしそうだなー」

相変わらず顔を輝かせてルフィが言う。

確かにこの雪の量はすごいかもしれない。バスも本当は旅館の前まで行くはずだったのだが、積雪の多さにより、旅館の手前までで運行をストップさせたのだ。気のいい運転手が何度も謝っていたのだけれど、ルフィは雪道歩くの楽しそうだからよい、と笑っていた。あれは気を使っていたのではなく、どうやら本心のようだ。

「あとは電話線とか切られてサツジンジケンが起こったり」

雪の山荘モノとはまた随分と古風であるが。

「外からは誰も来れないから内部犯の可能性が高くって、この中に犯人がいるんだ、という状態なんだけど、雪で外に逃げ出せないんだ」

ルフィが膝まで雪に埋もれながら歩いていく。その後ろを追う形でゾロも歩きながらルフィの戯言に付き合う。雪はまだ止まない。

「次のヒガイシャは自分かもーとか、こいつが犯人かもしれねー、とかいうスリルとサスペンスが待ってるわけだな!」

「・・・いや、それ楽しいか?」

「楽しくねェ?」

「次に殺されるのが自分かもって思うのが?」

「いや?おれは殺されねェもん」

「・・・根拠のねェ自信だな」

「あるさ。だってゾロがいるだろ?」

ちょっと詰まった。少し悔しいので、反撃を試みる。

「おれが犯人って可能性もあるんだぜ?」

「でもゾロ、おれは殺さないだろ?」

完敗である。それも微妙な信じられ方だ。

「・・・お前、自分がよければそれでいいのか?」

こんな軽口すら否定できない上、なんだかちょっと嬉しいような気になっている自分が情けなくもあるのだが。

「まぁ、とりあえずは」

言ってまた転びそうになるルフィの腕を掴んで、ゾロは苦笑した。

 

 辿り着いた旅館は大変小さな所で、聞けば部屋は5部屋しかないのだという。近くにゲレンデもあるそうなのだが、この天候では滑れるかどうかわからないということだった。そのかわりと言ってはなんだけれど、野天風呂の大風呂の他に、家族風呂と、個室ひとつひとつにも温泉を引いているのが自慢なのだそうだ。若い方には退屈かもしれないけれど、とすまなそうに言う主人にルフィがなにやら話している。誰とでもすぐに仲良くなれるのはルフィの長所であるが、その人懐っこさは多少心配でもある。さっき物騒な話をしていたせいかもしれない。

 チェックインを済ますと仲居が部屋に案内してくれる。案の定、予約はゾロの名前でとられていた。これでもし自分の予定がとれなかったらどうするつもりだったのかと兄に問いたいが、きっとたぶん、あの兄にも微妙な信じられ方をしているのだろう。なんにせよ、ルフィと二人で山奥の温泉宿というのは悪くない。風呂は嫌いではないのだ。食事も上げ膳据え膳で、考えてみればありがたい話だ。自分の分の料金は払うと言ったのだが、受け取ってもらえなかった。クリスマスプレゼント、なのだそうで、とりあえず厚意として受け取ることにしたのだが。

 荷物を置いて、いきなり部屋を飛び出したルフィにゾロはあわてて声をかける。

「おい、ルフィ?」

「外でかまくら作っていいって!」

当然ゾロも付き合わされるようだ。よもや旅先で雪かきをする羽目になるとは思わなかった。よほどこの積雪が気に入ったらしい。さっきこの旅館の主人と話していたのはそれだったかとゾロは苦笑した。ルフィといてゆっくりできるなんて思う方が間違っていたのかもしれない。少し考えてから上着を脱いで荷物とまとめる。雪かきは暑くなるのだ。雪かきではなくかまくらを作るのだと言っていたか。そう言えばしばらくそんなこともやっていない。ゾロは肩を鳴らした。案外自分も楽しんでいることに気づいて少し笑った。

 旅館でシャベルを借りて表に出ると、ルフィが雪と格闘していた。格闘、と言いたくなるような有様だ。どうやら雪が凍って、うまくすくえないようだ。ゾロはルフィに近づくと、まず、上から垂直にシャベルを雪に突き刺した。抜くと雪の上にシャベルの直線ができる。その線を上辺として四角になるように、上からシャベルを刺していき、底辺にシャベルを入れた時に持ち上げる。ゴボリと取れた雪の塊を見てルフィは感嘆の声をあげた。

「おぉ!そうやってやるのか!」

「・・・で?どこに作るか決めてあるのか?」

かまくらを作るなら、まず場所を決めて、円形のしるしを雪の上に描いて、そこに積み重ねていくものなのだが。

「えーっと、この辺」

明らかに今決めた様子のルフィに苦笑しつつ、ゾロはそこにシャベルで円形を描いた。

「じゃぁこの円の中踏んどけ」

踏み固めておかないとすぐに溶けてしまうのだ。ルフィのことだから、できたら中で遊びたがるに違いない。ルフィは不思議そうな顔をしながらも素直にうなずいて、雪を踏み固め始めた。ゾロは周りの雪を円の中に運ぶ。途中で交替したりして、雪の積み上げが完了した頃にはかなりの時間が経過していた。ルフィも途中で上着を脱いで、部屋に置きに行ったりしていた。

 結構な大きさに積みあがったその山を見て、ルフィは満足そうに頷いてから、早速入口を掘りにかかったのだがゾロに止められた。

「掘るのは明日にしろ」

「なんで?」

掘らなければかまくらにならない。

「すぐに掘ると崩れやすい。中、入りたいんだろ?」

ルフィは首を縦に振る。それからゾロを感心したように見て

「ゾロはやっぱりなんでも知ってるなー」

「単に、うちの地元もよく降るってだけだ。ガキの頃そう聞かされた」

「へー・・・いいなぁ。」

うちはあんまり積もったりしないもんなぁ、とルフィが呟くので

「・・・じゃぁ、来るか?」

つい口をついて出た台詞にルフィはにっこり笑って

「うん、行く」

と答えた。

 

 早速、露天の大風呂に向かった。汗をかいて暑いくらいなのだが、そのままにしておくと風邪を引く恐れもある。出た頃には丁度夕食の時間くらいになっているはずだ。岩風呂には他にも数人客がいてゾロをほっとさせた。効能はリウマチや神経痛だということで、お湯の温度はあまり熱くはない。目を閉じてじっとつかっていると筋肉がほぐれていくのがわかるようだった。

 あれは旅行の誘いだとか思ってるんだろうか、とさっきのやりとりを思い出す。あまりにあっさりしていたので、その言葉の含みには気づいてないのか、でも相手はルフィだ、とかゾロの頭の中はいろいろと忙しい。

「雪の中、風呂入るのっていいなぁ。おれすぐのぼせるからいつも風呂は短いんだけど、これならちょっと長くてもヘーキ」

隣からルフィの声がする。

「そうか。少しぬるめだから余計いいのかもな」

ゾロは目を閉じたまま答える。ゾロはもう少し熱い湯の方が好みなのだが。あとで家族風呂の方にも行ってみよう、と思う。

「ゾロ、楽しいか?」

「あぁ、これで酒がありゃいうことねェな」

ルフィがほっと息を吐いたのが聞こえた。これはこれで気を使っていたらしい。

「そろそろ出るか?メシの時間だ」

ゾロが言えばルフィが盛大に頷いた。

 

「思ったとおりだ!!」

ルフィの顔がまた輝いて、ゾロは怪訝に思う。なにかルフィの喜ぶようなモノがあっただろうか。

「ゾロは浴衣似合う!」

野天風呂から上がると、二人は旅館備え付けの浴衣と丹前に着替えた。そういえば夏にそんなこと言っていたな、とゾロは思い出した。ついでに余計なことも思い出した。ルフィの浴衣の着方は乱雑で、少し歩いたらすぐにはだけてしまいそうである。首から肩にかけての線が襟元から覗いて見えて、ゾロは顔を顰めると、ルフィの浴衣を直してやった。

「そんな着方じゃ、すぐに脱げるぞ」

「あぁ、うん」

ルフィはされるがままで、顔が少し赤いのは風呂のせいなのか、ルフィも夏のことを思い出したのか判別がつかない。とにかく、こんな場所でどうこうできるはずもなく、ゾロは頭から邪念を振り払う。とりあえず、夕飯だ。

 

 風呂から戻ると、部屋には既に夕飯の用意がされていた。机の上に所狭しと並べられた料理には、ルフィはもちろんゾロも感嘆の声を上げる。中でも豚の角煮と大根の煮物は絶品で、なんとかおかわりできないものかとルフィが真剣に考えているのがおかしかった。熱燗がついたのもゾロにとっては喜ばしいことだった。

 食事のあとはとりあえず旅館の中を探検するのだとルフィが言うので、ゾロもそれに付き合うことにする。家族風呂に興味があったが、それはまた明日でもかまわない。

「おぉ!ゾロ卓球台だ!」

とか

「なんか時代モンなゲームだ!」

とかいちいち楽しそうに感想を述べるルフィを見ている方が楽しい。結局レトロなレースゲームにも付き合い、卓球にも付き合う羽目にもなったのだが、こと勝負事に関しては、二人とも真剣に取り組む性質なので、かなり白熱した試合運びとなった。他の泊り客が見物に来たくらいである。ちなみにゾロの戦績はレースゲーム3戦全勝、卓球1勝2敗だ。見物していた老人が、良い試合だった、と自動販売機の缶ビール(ルフィには瓶入り牛乳だった)を奢ってくれた時にはなんだか複雑な気持ちになった。ルフィが喜んで礼を言い、ゾロも頭を下げた。こんな風に知らない人間と気安く口が利ける性質ではなかったはずなのだが。と言うより、あまり人に話しかけられた事がない。きっとルフィと一緒にいるせいだろう。

 予定外の運動で少し汗をかいたので、また風呂に入りに行くことにした。家族風呂は予約が必要だということで、明日の昼過ぎに1時間45分で予約をとった。一回につき45分なのだが、二回連続で予約をいれると1時間45分になるのは、毎回湯を入れ替える15分の清掃時間分が入るからだ。そんなに長いこと入ってられるかなぁ、とルフィが呟く横で、先に上がってもかまわねェぞ、と言いながら記帳する。どうやらゾロは風呂が好きだ、とルフィは密かに確信していた。

 ひとまず、部屋に引いてある風呂に入ることにして二人が部屋に戻ると、もうすでに良い時間で、布団が敷いてあった。本当に上げ膳据え膳で、二人揃って感心した。随分な贅沢をしている気がする。エースにも感謝しなくてはいけないだろう。

 部屋に引いてある温泉というのは、掃きだしの窓の向こうにあった。

「おーっ。なんかすごい・・・」

言うなればベランダに風呂があるようなものだろうか。御簾の垂れた囲いがあって、外の景色は見られないけれど、屋根がないので空は見える。まだ少し雪は降っていた。黒い空から白い雪が落ちてくるのを眺めながら入る風呂というのもまたよい。

「先つかってろ。お前の方がたぶん早い」

「がんばれば二人でも入れると思うけど」

部屋の温泉は一人用だったが、十分に手足をのばせるサイズであって、ルフィの言う通り二人で入れないこともない。が、

「別にがんばらんでもいいだろう」

ゾロとしては密着して二人で風呂に入るのは避けたい。部屋の風呂、とは言っても外にあることには違いない。いつ隣に人が入ってくるかわからない。たぶんルフィに触れたら我慢できないだろう、という自信の下に出した結論だ。妙な自信であるが、ルフィと会うのは1ヶ月以上ぶりなのだ。つまり、先月会って、あぁいうことになって、それっきり一度も会っていないということだ。そして泊まりとくれば2回目をゾロでなくても期待するだろう。いや、次の日も数にいれたら3回目、となるわけだが。そしてあれを1回と数えるならば。

「出たぞー。」

カラリと窓が開いた。頭の中のルフィと目の前のルフィの像が重なるのに時間がかかってゾロは慌てる。疚しい気持ちでいっぱいだ。とりあえず、ゾロは自分も風呂に入ることにした。窓を少し開けたままにして、ルフィと他愛のない話をした。さっき奢ってもらった缶ビールを飲みながら空を見上げる。星の代わりに雪が降っているように見えた。晴れていたら、ルフィの解説がまた聞けたかもしれない、と少しだけ残念に思いながら(ルフィは星に詳しい)明日の天気を思う。気がつけばルフィの声が止まっていて、ゾロはあわてて風呂から上がる。部屋に戻れば案の定、ルフィが布団に転がって眠っていた。

「・・・・どうしろと?」

やっぱりいい加減に着ていた浴衣は裾が乱れて、腿までもがあらわになっている。胸元もゆるく開いていて、ゾロは唸った。飢えた獣のように襲い掛かってしまいたい気持ちと戦う。今日は長時間の電車やバスでの行程やら、慣れない雪遊び(これが思っている以上に体力を使うことをゾロは経験上知っている)に、さっきの勝負とか、全力で遊んで体が疲れているのだろう。とりあえず目の毒である浴衣をざっとなおし、隣の布団に運ぶ。ルフィは着布団の上に寝ていたので。運ぶ時にみじろいだルフィの息が首に当たって、よほどこのままコトに及んでしまおうかとも思ったが、やはり了承を得ないというのは後が怖い。明日もあるのだ、と言い聞かせてゾロは盛大なため息を吐いた。今なら寒中水泳が可能だな、と野天風呂にでも行って頭を冷やそうかと真剣に考えた。

 

 2005.12.24up

中編に続きますー。

そう、終わらなかった・・・。

 

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