プライマル その日、どこかから連れられてきたその仔犬は、少し大きくなってはいるが、すぐに買い手がつくだろう、とゾロは思った。 最近では、仔犬は二ヶ月頃から売りに出され、三ヶ月を過ぎると値段が下がるものらしい。その新入りは三ヶ月を少し過ぎたくらいだと思われたが、とても愛想が良く、見てくれだって決して悪くはなかったので。 尻尾を振って、主人にエサを強請る様は、人馴れもしているのだろうが、いきなり知らない場所に連れてこられたにしては肝の座ったものだと感心したりもした。 ゾロはその仔犬を一瞥してそれだけのことを考えると、大きな欠伸をして再び眠る姿勢に入った。 彼は、このペットショップで飼われている。本来は売られるはずだったのだが、緑がかった毛色が珍しいということに目をつけた主人が、コンテストに出すため に飼うことにしたのだ。かなり大きくなる犬種であったし、あまり愛想がないことから、売り物には向かないと判断したせいかもしれないが、ゾロの知ったこと ではない。 コンテストのための訓練は、多少面倒ではあったが、寝る場所と食事の確保のためだと割り切っている。 いつものように訓練を受け、いつものように餌を食べ、いつものように眠る。そのはずだった。 「・・・・・・・・」 ゾロはとうとう我慢ができなくなり、すっくと立ち上がった。いくつかあるケージのうちのひとつを覗き込むと、 「うるせェっ!」 低く吠えた。 吠えられた方の仔犬は呆然としてゾロを見たが、驚いたせいか怯えたせいか、泣くのも止まった。 主人も帰った深夜、今日入った新入りが、突然に泣き始めたのだった。その声はひどくゾロの癇に障るもので、うるさくて眠れなかったのだ。 泣き声が止まったことに気がすんで、ゾロが自分の寝床に戻ろうとすると、 「・・・なぁ」 まだ驚いた顔のまま、新入りがこちらに話しかけてきた。怯えて泣くのをやめたわけではないらしい。 「なんでお前外にいるんだ?」 「あ?」 ゾロが不審そうに足を止めた。 「どうやったら外に出られる?」 その目はさっきまで泣いていたのが嘘のようにきらきら輝いて、希望の光を見出したかのようにゾロを見据えていた。 「教えてくれ!」 その仔犬に似合わない迫力に、ゾロは少し気押された。とても必死に見える。 ゾロも運動するのは好きな方だし、出歩くのも嫌いではないが、寝てろと言われれば、一日中だって寝ていられるし、寝ていたって食事は出るし、そんなに困ることはない。その必死さが不思議な気がした。 「・・・なんで泣いてたんだ?」 とりあえず、興味が湧いたので、聞いてみる。 「エースとサボがいねェから」 「誰だ?」 「兄ちゃんだ」 たぶん、どこかのブリーダーか家庭で飼われていた犬が子供を産んで、兄弟バラバラに引き取られた、とかそんなところだろう。 「あとから来るんだと思ったけど、夜になっても会えねェし、会えねェのはヤだ」 ゾロは呆れてため息を吐いた。 「・・・あのな、ここはお前みたいな小さい犬が売られる店なんだ。たぶん、お前の兄貴たちもそういうところに引き取られている」 新入りはきょとんとした顔でゾロの言うことを理解しているのかいないのか、よくわからない。 「縁があれば新しい家族が見つかる。それまで、ここでメシ食って寝てりゃいいんだ。お前ならたぶん、新しい飼い主もすぐ見つかるからそれまで大人しく寝てろ」 「・・・・ヤだ」 「イヤでもだ。あんまり鳴くとな、ここでは声帯切られることもあるから気をつけろ」 「せいたい?」 「声が出ないように手術されるんだ」 「・・・よくわからんが非常にイヤな印象だ」 「思ったより伝わってよかった。わかったらとっとと寝ろ」 「・・・・・・・・・」 とても納得したようには見えなかったが、仔犬はそれ以上鳴くことをしなかった。 ゾロには兄弟の記憶などない。この新入りのように、中途半端な時期に別の場所に引き取られるというのも考えものなのかもしれない、と少し思ったが、あのくらいまで親元で育つ方が、丈夫にはなるはずだ。身体も精神も。 「母親じゃなくて兄貴っていうのがちょっと引っかかるけどな・・・」 ゾロは少し顔を顰めて、なんだってこんなことを気にして寝付けないのかと、忌々しく思った。
次の日の朝。店員が店を開けにやって来た。ケージの中の仔犬たちに餌をやり、ウィンドウ越しのケージに移そうとする。ゾロの食事の時間もここだ。 ゾロは食事をしつつも、新入りの入っていたケージがどうにも気になって、何度も目を向けた。とりあえず、餌は貪欲に摂取しているようだ。 店員が新入りを別のケージに移そうとしたときに、それは起こった。新入りが店員の手をすり抜けて、ぴょんとケージから飛び降りたのだ。骨の弱い仔犬なら、 骨折してもおかしくない。店員の顔が青ざめたが、彼はそんなこと意に介さず無事に着地して、店の出入り口に向かって走り出した。 「・・・あのアホ」 ゾロは呟いて、すぐに後を追う。青ざめていた店員も、慌てて後を追おうとした。が、案外この新入りすばしっこい。そしてたぶん、運もいいのかもしれない。 「おはようございます〜」 ちょうどその時に、もう一人の店員がやってきて、出入り口のドアが開いてしまったのだ。 その隙間を彼は逃さず、まんまと外に出ることに成功してしまった。 「ちょっ・・・」 入ってきた店員も、一瞬、なにが足下をすり抜けたのかわからないで、唖然としている。元からいた店員が経緯を説明しようとしている間に、まだ開いていたドアから、ゾロも飛び出した。 「ゾロ!?」 店員の訝しむような、戸惑ったような声が後ろから聞こえたが、たぶん、ゾロがあの新入りを捕まえてくることを期待したのだろう。ゾロを止めようとはしなかった。 とりあえず、ゾロはあの新入りを捕まえるつもりで後を追ったのだから、それなりに意思の疎通はできていたのかもしれない。 あんな右も左もわからないような仔犬が外に出て、好き勝手に走っても、目的地につく前に誰かに拾われるか、捕まるか、最悪、車に轢かれることだってあるだろう。 ゾロはなんとなく嫌な汗をかいた。 だから得意そうに走っているその後ろ姿を発見したときは、ほっとするよりも腹立たしさの方が増していて、コンパスの差に物を言わせて、一息に距離をつめると、いきなり首ねっこを噛んで持ち上げた。 「うぉぅっ・・・・」 新入りが驚いたように短く吠えた。もちろん本気で噛んでいるわけではないので、大して痛くはないはずだが。 あまり目立つと厄介なので、ゾロは人気のいなさそうな薄暗い路地に新入りをくわえたまま走りこむ。 「降ろせよ!」 「暴れると歯が食い込むぞ」 新入りが暴れるのでそう脅してみた。 「・・・なんでおれくわえてるのに喋れるんだ?」 違うところに反応された。 「・・・心力だ」 「ヘェ・・・すげェな・・・」 気が逸れたのはなによりだ。 袋小路のつきあたりで、ゾロは自分の前足の間に新入りを下ろし、逃げ道を塞いでから、 「このアホ!」 怒鳴りつけた。 「お前みたいのが一匹で外出たって、腹減ってくたばるか、寒くなってくだばるか、他の奴に拾われるか捕まるか、どれかに決まってんだろうが!」 新入りは一瞬だけびくりと震えて、それから不思議そうにゾロを見上げた。 「・・・お前・・・ゾロっていうんだよな?」 誰かが呼んでいたのを聞いたのだろう、新入りが唐突に聞いてくる。 「おれはルフィっていうんだ」 既に名前があったらしい。この新入りによく似合う名前だとゾロは思った。他の誰かに飼われることで、違う名前がつけられたとしたら、少し残念だと思う程度には。 しかし、 「・・・今、そんな話してたか?」 それがなんだというのだろう。新入りはにっかり笑って、 「ゾロはとてもいい奴だな!」 「・・・あ?」 「心配してくれてありがとう」 「・・・・・・・・」 咄嗟に返せない。そういうことになるのだろうか?ゾロが顔を顰めている間にルフィがたたみかけた。 「だからゾロが一緒に来てくれたらいいと思う」 「・・・・・・あ?」 「エースとサボはおれより強いから、絶対元気でいると思うけど、元気だったら会えねェのおかしいし、もし誰かに捕まったりしてたら助けなきゃいけねェし、とにかくおれはあそこにいられないから、ゾロも一緒に行こう」 「・・・全部お前の都合じゃねェか」 ゾロは怒るよりも呆れてしまって、ルフィを軽く前足で小突いた。ルフィは転がりながら、 「・・・いい考えだと思ったんだけどなぁ・・・」 耳をしゅんと下げて、ひどく悲しそうな顔になってしまった。ゾロはいわれのない罪悪感に苛まれるのを理不尽に思いながら、 「・・・とりあえず、移動するなら夜がいい。昼間はどうしたって人間の目につくからな」 ルフィが不思議そうにゾロを見上げる。 「昼間のうちはどっか目立たないとこで眠って体力温存するのがいい」 あとはメシの確保をどうするかだよな・・・呟いたら、ルフィの耳がピンと立って、尻尾がぶんぶんと振られた。 「・・・一緒に来てくれるのか!?」 「・・・仕方ねェだろ。勝手にくたばられても寝覚めが悪ィ」 実のところ、もう少し、一緒にいてもいいかと思ったのだ。このまま店に戻れば、確実に離れることになるのだし。 ルフィはぶんぶんと尻尾を振ったまま、ぴょんとゾロに飛びついた。 世の中には予想のつかない出来事が往々にして起こるものだとゾロはため息を吐きながら、首元にじゃれつくルフィを再びひょいとくわえて、当座の寝床を捜しにゆっくりと歩き始めた。 人間ならこれを運命とでもいうのだろう。 |
20101120初出 ゾロルとわんこというリクに対し、 ゾロルでわんこになったというしょっぱさ。 |