動物園

 

 ゾロはおれのことをすごいガキだと思っているんじゃないだろうか。そんなことを考えながらルフィは前を歩く男の背中を見る。いつもの駅で待ち合わせて、地下鉄に乗る。ルフィのあまり利用しない路線ではあるが、その電車が連れて行く場所はうすうす見当がついた。

 そして今。ゾロとルフィはたくさんの親子連れに混じって動物園の入場口にいる。ゾロはさっさと二人分の入場券を買い、一枚をルフィに渡して中に入ってしまった。多少、腑に落ちないものを感じながらルフィも後を追った。別にルフィも動物園が嫌いなわけではない。ここにも随分前に家族と来たことがあるのを覚えている。

 覚えてはいるんだけど、なにがあったか全然記憶にねェなァ・・・ルフィは辺りを見回す。が、10年以上前に一度来たきりでは初めて来たも同然だ、と自分を納得させる。懐かしがる要素すら見つけられない。それに比べて、ゾロはこう、慣れている気がする。動物園に慣れてるというのも変な感じだが。彼女とかと来たりしたことあるんだろうか、とちょっともやもやする。もやもやが伝わったのかゾロがいきなり振り向いた。

「あんまり好きじゃなかったか?」

少し心配そうに聞かれてルフィはあわてて否定する。

「そんなことないぞ」

そう、別にそんなことはない。ただちょっともやもやするだけなのだ。子供扱いされてる気がすることと、ゾロが慣れていることに対して。いつまでももやもやしているのは趣味ではないので、思い切って聞いてみる。

「ゾロはよく来るのか?」

動物園に、である。ゾロは少し怪訝そうな顔をして言った。

「たまにな。」

 

 動物園、である。やはりこの年頃の(と言ってもゾロはルフィがいくつか知らないのだけれど)男が来るには抵抗がある場所なのだろうか。入場口では多少戸惑いはしていたのだけれど、前回の時ほど抵抗は見せず、わりとすんなりついてきてくれた。門をくぐって順路に沿って歩き出すと、ルフィの顔が曇っていった。ゾロは順路、と勝手に思っているのだが、その動物園に特定の順路はない。何故か迷わず歩いていくゾロに対して、ルフィは彼女と何度も来ているのかなぁ、と沈んで行ったのだが、ゾロにはそんな飛躍した発想は想像できないため、動物園が気に入らないんだろうか?という結論に達したのである。

 けれどルフィは動物園が嫌いなわけではないと言う。ではなにが気に入らないんだろう、と首をひねっていると、質問された。たまに、と答えたけれど、割とよく来るのだ。散歩コースなのである。入園料払って園内を散歩、というのも変な話かもしれないが、これがなかなか気分転換になるのだ。

「動物園を一人で散歩?」

ルフィが不思議そうな顔をしている。そんなに変だろうか。でもルフィの顔がみるみる晴れていくのでまぁいいか、と思う。

「やっぱりゾロっておもしれェ」

ルフィは子供の頃に一度来ただけなのだそうだ。中のことはあんまり覚えていないと言う。

「あぁ!でもこれは覚えてる!」

みれば入園記念メダルの自動販売機だ。成程、年季が入っている。ゾロは気にも留めたことはなかったが(そもそもどうしろというのだ)ルフィには記憶と重なる部分が嬉しかったようだ。

「買うか?」

ゾロは聞いてみた。ルフィの興味というのはなにに働くかわからない。

「いいよ、またいつでも来れるしな」

ルフィはあっさり答える。誰と?と聞いてみたくなるのを抑えた。それからはルフィも楽しくなってきたようで、

「このクマ思い切った顔してんなぁ」

だの

「サイって結構かっこよかったんだなぁ」

だの、いちいちにぎやかにコメントをつけながら見てまわる。いつもは平日に一人で散歩するコースがまるで別の場所に来たかのようだが、決して不愉快ではなく、今度また、一人で来た時に物足りない思いをするかもしれない、とこっそり苦笑した。

 

 ゾロは一人で動物園を散歩することがあるらしい。ゾロと動物園という取り合わせがなんだか合ってるのか合ってないのかよくわからなくて、ルフィはおかしくなった。彼女と来たわけではない、ということにほっとしたのもある。急に楽しくなってきた。そして気づく。ゾロといると動物が寄ってくるのだ。ガラス越しだったり檻越しだったりするのだけれど、確実に近くに来る。ルフィはトラとかライオンとかをこんなに近くで見たのは初めてだった。以前の記憶では、随分と遠い所で寝ていてピクリとも動かなかったイメージなのだ。

「すごいな」

ルフィが呟く。ここにいる奴らはみんな、ゾロのことが好きなのだ。なんだかそれはすごいことだ。

「なにが」

ゾロはわかっているんだろうか。

「ゾロといるとみんな寄ってくる」

「たまたまだろ?」

わかっていない。

「こいつらみんなゾロのこと好きなんだぞ」

ゾロは思い切り怪訝そうな顔をする。「は?」って顔だ。ゾロはきっと好意に鈍感なのだ。こんな風では人の好意に対しても、同じような態度だろう。

「とにかく、こいつらはゾロのことが好きなんだからそこのとこをちゃんとわかっとけ!」

ルフィはちょっと怒ったように言った。

 

 また機嫌を損ねてしまったようだ。ゾロにはルフィのスイッチがわからない。ルフィ曰く、ここの動物はゾロのことを好いているのだと言う。百歩譲って本当にそうなのだとしても、だからどうしろと?といった感じなのだ。ルフィはそれをわかってるだけでいいと言う。ルフィの言うことは深いのか浅いのかよくわからない。

「誰かから好かれたら嬉しくないか?」

ルフィがポツリと言う。あまり考えたことはない。

「あ」

ルフィが立ち止まる。オオカミの檻の前だ。主は随分奥の木の陰に居て、ここからではよく見えない。

「こいつはゾロ来ても出てこないんだな」

ルフィは複雑そうにオオカミを眺める。といっても影になっていてシルエットぐらいしかわからないのだけれど。

「だから気のせいじゃないのか?」

ゾロは言う。いくら動物に好かれたトコロで、それでルフィの機嫌が悪くなるのは困るのだ。どちらかと言えば、機嫌が悪い、というよりもちょっと沈んでる、といった感じなので、その方が困る。

「気のせいじゃねェよ。わかる。」

ルフィは頑固だ。そのくせオオカミの檻の前から動こうとはしない。

「一匹しかいねェのかなぁ」

見れば木の陰の一頭以外、見当たらない。

「そうなんじゃねぇのか?」

よく来るクセにその檻に何が何頭いるか、なんてちっとも気にしていなかった自分に気づく。確かに無頓着ではあるようだ。

「オオカミは群れで行動するのにな」

「そうらしいな」

一匹狼という言葉もあるが。

「ひとりは淋しいな」

そう言ったルフィの声が聞こえたのか、木の陰のオオカミが動いた。

 

 姿を現したハイイロオオカミはそれは凛としていて、ルフィは少し見惚れた。檻が邪魔だと心から思った。彼もしくは彼女、は値踏みするようにルフィを見た。見られた気分になったのは気のせいかもしれないけれど。なんとなく目を離せないでいると不意にゾロが呟いた。

「気に入られたな」

言った声は少し不機嫌なようにも少し嬉しそうにもとれた。ルフィにもゾロのスイッチがよくわからない。

「そうかな」

ルフィは答えた。

「そうだと嬉しいけど」

けれどオオカミはそれ以上寄って来ようとはしない。ゾロに寄ってくる動物たちほど顕著ではないのでルフィにはわからない。

「そうだ」

ゾロが言い切る。さっきルフィが言ったことに対して懐疑的であったにもかかわらず。

「気のせいじゃねェのか?」

さっき言われたことをそのまま返してみた。ゾロが大変複雑そうな顔をした。

「気のせいじゃねェよ。わかる。」

ルフィのさっきの答えがそのまま返ってきた。けれどそれにはおまけがついていて、

「おれと同じだからな」

どうやら、ルフィの言いたかったことも伝わったらしい。

 

 そのオオカミは明らかにルフィの声に反応していた。オオカミは聴力が優れていると聞くのでまず間違いないだろう。それだけでは根拠としては希薄だが、ゾロにはなんとなくわかった。たぶん自分はルフィに好意をもった者なら相手が何であっても気づけるだろう、と思う。そして気づく。ルフィも同じなのだろうか。そう思うと急に感情が流れ出した。なるほど、これが「嬉しい」か。けれどルフィが言うように、「誰か」からではなく、「ルフィ」に好かれていると思えることが「嬉しい」のだと思う。「誰か」では意味がないのだ。

当のルフィはあいかわらず目の前のオオカミに見惚れている。機嫌はすっかり直ったようだが、ゾロはやっぱり複雑だ。ルフィの好意はあちこちに振りまかれている。好かれていることは単純に嬉しいのだが、どうにもそれだけでは足りなくなってきているようだ。ふと時計を見やる。そろそろだ。

「ルフィ、お前並ぶのは平気か?」

ルフィはきょとんとしている。

「あんまり得意じゃねェけど」

たぶんそうだろうなぁ、と思ったとおりの答えだ。

「じゃぁ、おれが並んどくから、お前後から来るか?」

どこに?と聞かれる前にルフィがむくれた。また失敗か。

「あのなぁ、おれはゾロと一緒だからここに来たんだぞ。ゾロが並ぶんだったらおれも行くに決まってんだろ」

ほんとにゾロはわかってねェよな、とぶつぶつ言っている。ほんとに自分はわかってないらしい。けれどルフィはどこまでわかっているのやら。ゾロがこのオオカミに向けるほんの少しの嫉妬になんて気づいていないに違いない。

「悪かったな。じゃぁ、一緒に行くか」

ルフィは笑って頷いた。

 

 動物園で並ぶなんていったい何事だろう、とルフィは思う。なにか不思議動物でも来ているのだろうか。渡された整理券をみながらルフィはいろいろ考える。いくら見たところで整理券には番号しか書かれていないので、隣のゾロを見る。ゾロは整理券を持っていない。ちょうどルフィで番号が途切れたせいなのだが、聞けばゾロの分は必要ないと言う。後ろには誰もいないので前を見る。整理券を持っているのは子供ばかりだ。だいたいが親に付き添われている。ルフィたちのシチュエーションもそれとまったく変わらず、本日最初の「ゾロはおれのこと子供だと思ってる」疑惑がまた急浮上してきた。けれどなにが起こるのかわからないドキドキ感の方が少し勝っている。ゾロは並ぶ、と言ったけれど列自体はたいして長くはなかった。というか、列というほどでもない。ただ、整理券を配られるまで少し待たされた、という意味では並ぶ、という言葉のニュアンスに間違いはないように思われる。整理券が配られて、ルフィの後ろにいた家族連れが残念そうに帰って行ったのをちょっと悪いなぁと思い見送りはしたが、やっぱりワクワク感が勝っている。

入り口は割りとすぐ目の前なのだけど、そこにもなにも書かれていない。ゾロに聞いたら教えてくれるだろうけれど、敢えて、このドキドキ感を楽しむために我慢した。時間が来て入口が開けられた。その場にいた全員で中に入る。入って一番最初に目に入ったのは巨大な顔だ。

 それはただの、動物園ならどこにでもいるアミメキリンだったのだけどこんな風にいきなり顔だけを見たことがなかったので、ルフィは最初なにがいるのかわからなかった。よくよく見てみるとキリンだ。目の前にキリンの顔だけがある。よくよく見回すとそこはキリンの柵の、さっき見上げた場所からはちょうど右上にあたる場所で、説明によると、キリンの餌場で、飼育員はいつもここからキリンに餌を与えるのだそうだ。確かにキリンの首は長いから、餌は高いとこからじゃないとあげられないよなぁ、とぼんやり考えていたら、説明をしてくれていた飼育員がルフィに餌を渡してくれた。あわててゾロの顔を見る。

「まぁ、アバトザウルスに比べりゃだいぶ小さいけどな」

食われる心配はねェだろ、とゾロがポツリと呟いた。ルフィは前回行った博物館で恐竜にエサをやりたい、というようなことを言ったことを思い出した。その恐竜は首の長い骨格標本だったのだ。あんな、言った本人が忘れているような軽口を、どうやらゾロは覚えていたらしい。人から餌を与えられることに慣れているキリンはもちろんルフィごと食べるような真似はせず、無事、ルフィの手から木の葉を食べた。

 

「ゾロはいいおとーさんになるなぁ」

帰りの地下鉄の中でルフィが言ったら、ゾロが苦い葉っぱを噛んだような顔になった。ルフィとしては褒めたつもりだったのだが、まずかったらしい。いろいろと一喜一憂はしたものの、今日も楽しくて、いろんな経験や発見をした。なにより、ゾロが自分の言ったことをちゃんと覚えててくれていたのが嬉しかった。それで褒めてみたのだけれど、どうやら失敗だ。ゾロはちょっと考えて、言いにくそうにボソボソ言った。

「おれはお前の親父になる気はねェぞ」

「おれもゾロが父ちゃんだったら困るんだけどさ」

言ってから、なんだかお互い妙に含みがある気がして、黙ってしまった。居心地がいいような悪いような、不思議な感覚だった。黙ったまま地下鉄はいつもの駅に到着する。

「あ」

ルフィは急に思い出したように顔をあげた。

「おれゾロの連絡先知らねェんだ」

今度会ったら聞こうと思ってたの忘れてた。と言ってちょっと考え込む。自分がなにも持ってきていないことに気づいたらしい。ゾロは少し苦笑して、ポケットからペンを取り出して入場券の裏に数字を走り書いた。

「やる」

入場券をルフィに渡してゾロが手を振った。ゾロの家はどうやらこの路線上らしい。今日はルフィと待ち合わせるために一度この駅で降りたようだ。なんだかいろいろと言いたいこともあったのだけど、ルフィはここで乗り換えないと家に帰れない。ドアが閉まる前に慌てて降りて手を振った。

「この路線ならこの路線って最初っから言っとけよな」

ルフィはぼやく。別れを惜しむ暇もなかった。次の約束だってしていない。手には入場券。慌てて降りた時に握ってしまったらしい。あれ?と思う。手ごたえが紙だけではない。見ればメダルがひとつ一緒に握りこまれている。入園記念メダルだ。なんだかおかしくなってきた。今日はゾロが言い逃げならぬ渡し逃げだ。ゾロがいつも(と言ってもまだ2回)改札で笑う気持ちがわかった気がする。

 いつもの電車に乗りながら、ルフィは券とメダルを眺める。券には携帯の電話番号。ゾロと携帯の組み合わせも合わなくてなんだか笑える。実際ルフィといる時にゾロの携帯が鳴ったことはなかったのでルフィはゾロが携帯を持っていることを知らなかった。今は持ってない奴の方が珍しいんだよなぁ、たぶん。と持ってない奴代表として思ったりしながら、次は自分の方から連絡してみよう!と決意した。

 

 そして、今度動物園を一人で散歩するとどんな気分になるのか試してみたい、とこっそり思い、また少しルフィは笑った。 

 

2004.10.4UP

 

500番キリリク

「博物館の次のデート」でした。

そうか・・・。これはデートだったのか・・・。

と、思いながら(今更)、どこへ行こう?

から始めて。

やっぱり楽しかったです。

リクいただいてからだいぶ時間たってしまいましたが、

こんな感じになりました。

mercuryさま、いかがでしょうか。

 

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