二十六夜待  ※春で朧でご縁日という話の続きになっております。

1.

 

 いつもの堀端の屋敷の庭で、家主であるロロノア・ゾロは顔を顰めていた。ゾロの身分は一応直参の旗本である。旗本とは将軍様の直属の部下であり、謁見が認められているという身分ではあるのだが、知行高300石の小普請組であるから、謁見どころか軍役すらもろくに課せられていない。もちろん、建前だけはあるのだが、この泰平の世の中ではあまり機能していない、といったところだろうか。諸法度にある、「学問と武芸に熱心に打ち込むこと」の項目だけは、半分守っている。

 それでもこの泰平な世の中で、ゾロは半分死んでいた。身分を厭わしく思いながらも、剣を捨てることが出来ず、かといって、思うように剣を振るうこともできずに、きのうと今日の区別をつけることすらせずに酒を飲んで過ごしていた。たまに賭場に顔を出したりもしていたが、どちらかといえば、賭け事よりも、そこで振舞われる酒を目当てにしてのことだった。ゾロの剣術の腕と酒量は、近隣の旗本の間では有名なものだったので、行けばたいてい歓迎される。賭場は寺社や旗本屋敷の大部屋で開かれることが多かった。町方役人の手が入らないためだ。

 屋敷はお上から与えられたもので、広さだけは十分だが、誰も手入れをしないので荒れ放題だった。この広い屋敷のうち、ゾロが実際使っていたのは、ただの一部屋だ。ただひとりいた年老いた用人も去年死んでしまい、腐った池のような旗本屋敷の中で、息をするかわりに酔いどれている。そんな毎日だった。

 それが今年の初めからなんだか妙なことに巻き込まれて、それは今も続いている。この世には、世の中ががらりと変わってしまう瞬間というものが、確かに存在するのだろう。ゾロは顔を顰めたまま、自分に見える世の中を、変えた男のことを考えていた。今では剣と同じぐらい、自分の頭の中を占めている。そして、剣と同じくらいつかみきれない。目の前にはずいぶんと様変わりした庭が広がっている。この庭も変えられたもののひとつだ。ほおずきの赤い数珠や、色とりどりの短冊、果ては十露盤までもが吊り下げられた笹竹が、妙に浮き上がっている。

「・・・子供たちが怯えるからそんなトコに座り込んで威嚇してないでくれません?」

不意にかかる声に顔を上げる。飲み仲間、と言ってもよい、付き合いとしては一番長く続いているのかもしれない常盤津の師匠であるナミが、形のよい眉を顰めていた。

「・・・あぁ、もうそんな刻限か」

ゾロの呟きにナミが呆れた声を出す。

「今日はルフィは?」

「・・・長屋の井戸掃除に借り出されている」

「それでそんな景気の悪い顔してるんですか?」

身分の差を弁えているのか、ナミの言葉遣いは丁寧なものだが、言っていることはまったく容赦がない。ルフィというのが、ゾロの世を変えた男の名前だ。

「子供たちも残念がるわね。あれでなかなか人気者だから」

ルフィは老若男女問わず、人から好かれる性質なのだ。ナミ曰く「人誑し」。誑かされたつもりはないが、その言葉は的を得ているような気もする。ゾロの顔がまた顰められたところに別の声が聞こえた。

「ナミ先生―こんにちは。」

7、8歳くらいの少女が、屋敷の柴折戸をくぐって現れた。ナミに挨拶をし、ゾロには深く頭を下げる。

「こんにちは、アイサ。早いのね」

今年の春から、ナミはゾロの屋敷の大部屋で、子供たちに読み書き十露盤を教えているのだった。勿論、常盤津の師匠をやめたわけでもないのだが、芸者に唄を教えるよりも、子供たちに学問を教える方が案外向いているのではないかと思う。勿論タダではないのだが、名のある寺子屋などよりはずっと格安だし、教え方も上手い。ただ、武家の子供も町人の子供も分け隔てしないので、一部の親には認められず、やめていった生徒もいたが。

 実はルフィもその生徒の一人である。そもそも、ことの始まりはやはりルフィだった。ルフィは無筆であったのだが、あることがあって、読み書きを覚えたい、と言い出した。冬に知り合った、今は遠い場所にいるビビという娘から手紙が届き、それを自分一人できちんと読んで返事を書きたい、ということだった。最初、ルフィはゾロに読み書きを教えてほしいと言ったのだが、たまたまその場に居合わせたナミが、指南を申し出た。但し、有料で、と付け加えたところ、「じゃぁ、他のヤツにも教えればいいのに」とルフィの放った一言ですべてが決まった。

 使っていない部屋はいくらもあったし、「ゾロもよい考えだと思うよな?」の一言に抗う理由はなかった。ナミは、冬に手に入れた砂金の一部を換金して、あちこちの国の書物を買い揃えていたのだが、ナミの長屋に入らない分、と称して、既に一部屋をナミの書斎として占領されているのだから今更だ。

 因みに、ゾロとルフィの取り分とされていた砂金は、そっくり、ビビの親代わりであったイガラムの元に預けてある。自慢ではないが、まとまった金など持ったことがないし、どれほどの価値があるのかなどもよくわからないくらいだったのだ。換金の手続きもよくわかっていなかったので、ひとまず信頼できる筋に預けて、少しずつ両替していくのがよい、とナミも言っていた。この二人の手にかかっては、足下を見られてあっさり幾ばくかの酒と食べ物に変えられてしまうに違いない、と考えたせいだ。そしてそうなってもこの二人は別に気にはしないだろうが、ナミとしては自分が苦労して持ち帰ったお宝をそんな風に消費されたら泣くに泣けない。

 さておいて、ゾロの屋敷の一部は、そんな理由で、ナミや子供たちに貸し出されているのだ。やはり武家屋敷だけあって、気後れする子供もいたようだが、ルフィがいるおかげで、随分と敷居が低くなったようだ。いいのか悪いのかはわからないが。それでも、ゾロの敷居だけはあいかわらず高いようである。

「ルフィは?」

勢い込んで聞く少女にナミは笑って、

「ルフィは今日はお休みよ。長屋の井戸掃除ですって。七日ですからね」

「忙しいのは大人の男でしょ?」

アイサの言い方がおかしくてゾロは少し笑った。七月七日は七夕さまで、庭にある笹竹もルフィがどこかから持ってきて取り付けたものだ。昨日ナミや子供たちと一生懸命短冊やら飾りやらを作っていた。確かに女こどもの仕事はそれで終わりである。

けれど、七月七日は七夕と同時に、年に一度の井戸換えの日なのだ。井戸側をはずし、水をくみ出して、あらかた水をくみ上げたところで、井戸職人が下りる。内側を洗って、底に落ちているいろいろをひろいあつめたのち、残りの水をくみだして、戸板で蓋をして、お神酒と塩を供える。長屋総出で行うが、午前中いっぱいはかかる。ルフィは身軽であるので、井戸職人の代わりを勤めているのだ。子供のようだが、いっぱしの大人の男である。

「夕方には戻るだろう」

ゾロがポツリと呟くと、アイサが驚いたようにゾロを見上げた。ゾロは黙って庭の笹竹を指し示す。きっと長屋の住人が、なかなかルフィを放さないだろうけれど、七夕の竹は日が暮れると川に流しに行かなくてはならない。ルフィは日暮れまでに戻って、この竹を流しに行くだろう。疲れなんて微塵も見せずに、さわぎながら流しに行くに違いない。なにを感じ取ったのか、アイサもニコリと笑うと、もう一度お辞儀をして、大部屋の方に回っていった。

 

 ずいぶん遅くなってしまった、とルフィは通りを走っていた。それでも今日は土産もある。ルフィの手にはお神酒が握られていた。みんなでお祈りをして、後は呑んでしまうのが通例であったが、今年は井戸掃除の手間賃に、とルフィが徳利ごともらってきたのだ。ゾロは無類の酒好きだから、きっと喜んでくれるだろう、とルフィは少し浮かれていた。そして、暮れていく夕日に少し焦ってもいた。

 いつもならきっと避けられただろうソレに、思い切りぶつかったのはそのせいに違いない。もちろん、避けられた、と言うのは、ルフィを基準にしての話で、他の者ならばそれはぶつかるのも当たり前と言える。誰も往来を走っていて、横から人が飛んでくるとは思わない。

 文字通り、飛んできたのだ。横道から出てきた人間にぶつかった、というのではない。それぐらいなら気が急いていても避けられる。通りの居酒屋の入口からいきなり人が飛んできたのだ。正しくは、吹っ飛ばされたらしい。どうやら性質の悪いケンカに巻き込まれたようである。ケンカはよい。当人同士の問題だし。なによりルフィもよくやった。最近はめっきりおとなしくなった、と人からは言われるが。

 問題は、今の衝撃で、徳利が割れた、ということだ。

 ルフィはぶつかってきた男を確認する。風体はお侍のようだ。着ているものの上等さからして、どこかの旗本奴だろう。男に既に意識がないのを見てとって、ルフィは居酒屋の入口に目を向けた。そこから出てきたのは刺青の男だ。何故一目でわかったかと言えば、顔にまで墨が彫ってあったからだ。こんなにわかりやすい渡世人もいない。男の顔を凝視しているルフィに、男は威圧するような目を向けた。

「貴様もこの顔が珍しいか?」

成程。この旗本奴に顔の刺青を揶揄されでもしたのだろうか。男の気配は殺気に満ちている。

「お前の投げたこの男がおれの徳利を割ってくれたんでな。どっちが徳利の仇か考えてるトコだ」

ルフィは目をそらさずに言い切った。

「目が覚めたらその男から取り立てるんだな。幸いここには酒は売るほどある」

刺青の男が出てきた居酒屋を指す。

「こっちも急いでるんでな、こいつが起きるのを待つほどの時間はねェんだよ」

男の足が一歩踏み込んだ。ルフィはさっと身を引いた。

「・・・ただの町人じゃねェな」

「ただの町人だよ。お前と一緒だ。」

ルフィの言葉に男は腰の刀を抜こうとしたが、そこで声がかかった。

「そこでなにをしている!」

町方役人だ。どうやら酒場の店主が人をやったらしい。刺青の男は舌打ちすると身を翻して去っていった。名のある渡世人なのかもしれない。ルフィは追うべきかどうか一瞬悩んだ。早く笹を流しに行きたいが、徳利の仇もとりたい。その一瞬の逡巡が命運をわけた。

「お前か!?」

すんでのところでお縄になるところだった。

 

「だいたい、あんな殺気だらけの渡世人に、弱い奴がからむか?」

「・・・弱いから相手の力量を量れんのだろう」

「じゃぁ、なんでからむんだよ」

「・・・自分が強いと勘違いしていたんだろう」

日暮れとともにゾロの屋敷にやってきたルフィは、憤りながらも、庭に植えた笹を抜いて、川に急いでいた。残暑厳しい折なので、お天道さまが沈んでも、歩いていて汗ばむくらいだ。早足なので尚更だ。往来にはまだいくたりかの行商人が歩いていたが、屋敷町なので売り声はあげずに足早に通り過ぎていく。既に今日の行商を終えて帰るところなのだろう。

「で、その旗本奴はどうした?」

「知らねェよ。仲間みたいな奴らが連れてった。お役人もなにも言わねェんだぜ?まぁ、お武家相手じゃしょうがねェのかな」

淡々と告げるルフィにゾロは顔をしかめた。世の中に不満を持つ旗本や御家人たちが徒党を組んで盗みや暴力を働いていたのを旗本奴と呼んでいた。身分があるので町方役人も迂闊に咎めだてできず、彼らの凶行はひどいものでは殺しにまで及んでいた。身分にあぐらをかいて好き放題しているのが現状だ。くいものにされる町人の方がよほど世の中に不満をもってよいはずだが。

「不満もなにも、食うのにいっぱいいっぱいで、そんなの持ってるヒマねェし、だいたい弱いもんいじめてなにが楽しいのかわからん」

ルフィがあっさり告げた。けれどルフィには身分がどうの、というのは似合わない気がする。その気になれば親の権力を笠に着て世を拗ねているだけの旗本奴の二人や三人、叩きのめすだけの腕はあるはずだ。相手が侍だろうと渡世人だろうと、筋はきちんと通したがる男なのだ。

「お前がおとなしくそいつらを見逃したことが驚きだな」

ゾロが呟いた。ルフィはゾロを振り返ると、

「ゾロはやっぱり殿様だな」

とだけ言った。別に責めるでもなく、ただ事実だけを告げる声音に、ゾロは言い知れぬ歯痒さを感じた。ルフィの言うことは事実だ。ご世道における身分制度は当時絶対だった。もちろん身分だけでは食うことは出来ないので、その地位を、裕福な商人などに売る御家人なども多かったが。所詮、親の残した身分と屋敷にあぐらをかいて呑んだくれていたゾロにはルフィたち町人の気持ちなどわかろうはずもない。ルフィが憤っていた旗本奴らとなんらかわりはないのかもしれない。

 川に着くと、さすがに涼しい風が吹いていた。笹を川に流してやっとひと心地着いたのか、ルフィは川べりに座りこんだ。

「ついでに涼んでいこう。今日は暑かったな。動きづめだったし」

足を川の水につけるルフィからゾロは目を逸らした。川には、他にも笹竹がいくつか流れている。すっかり日も暮れて、辺りを宵闇がつつんでいたが、ひとは存外に多い。他にも笹竹を流すついでに涼んでいく者がいた。ゾロは苦い気持ちで流れていく笹竹を見ていた。

「冷たくて気持ちいいぞ?ゾロもやらねェか?」

「いや、おれはいい」

「そうか?泳げるなら飛び込みたいくらいだけどな」

「泳げてもやめろ。流れが速い。明日の朝には土左衛門になるのがおちだ」

確かに川の流れは急だ。どの道ルフィは泳げないので飛び込むことは不可能だが。それでも未練がありそうに川を見つめるルフィに

「そんなに暑いか?」

とゾロは声をかけた。日も暮れて、まだ熱気は十分残っているが、川岸で風もあり、ゾロにしてみればたいした暑さではない。

「いや、左手に思い切り酒かかったから、ちょっと洗濯も兼ねて」

着物にもかかったからかなり臭う、とルフィが顔を顰めるが、ゾロは言われるまで気がつかなかった。いや、言われてもわからない。そう言えば、

「ゾロみたく、年がら年中酒びたりになってる奴にはわかんねェんだよ」

とルフィは立ち上がった。そしてまた不服そうな顔で、

「ゾロに呑んでもらおうと思ってたのにな」

とだけ呟いた。その顔はいつものルフィらしくなく、ゾロを大変焦らせた。無条件でなにかをしてやりたくなる顔だった。実のところ、ゾロはいつでもルフィになにかをしてやりたいのだが、なにをしたらいいのか皆目見当がつかない現状である。ゾロは考えるのを放棄して、ルフィの左手をとった。顔を近づければ多少、酒の匂いがしないでもない。ルフィは不思議そうな顔をしているが、特に手を振り払ったりはしなかった。

「言われてみれば、少し、匂うかな」

呟けばルフィは得心がいったように、相槌を打とうとして固まった。ルフィの手の平をゾロの舌が這ったせいだ。背筋がぞくりとして、顔に血が上った。

「・・・酒の味もするぞ」

真面目に言うゾロを、ルフィはよほど殴ってやろうかと思ったのだけれど、なぜそう思うのかがやはりわからなくてやめた。

「・・・嘘吐き」

それだけなんとか答えたが、からだが思うように動かなくなった。顔から火が出る、という意味がなんとなくわかった気がした。顔を赤くして硬直してしまったルフィを見て、ゾロも己の行動を顧みた。あわてて掴んでいた左手を放す。

「・・・・・・」

先に立ち直ったのは、ルフィの方だった。

「この時分なら、もう麦湯の屋台も開いてるよな。麦湯でよければ飲ませてやる」

 

 いまでは麦茶という呼称の方が一般的なその飲み物は、当時、麦湯と呼ばれ、夏になると夜の往来にこれを飲ませる店が出た。箱型の屋台の上に麦湯の釜と白湯の釜、砂糖壺や茶碗を並べて、その上に横行灯がかけてある。まわりに床几が二、三脚、客に出すものは麦湯、桜湯、葛湯、霰湯だけ。酒もなければ、菓子もない。ゆかた姿のむすめが帯を色っぽく尻下がりにむすんで、笑顔で接待をする。それでも決して客の一人としけこんだりはしない。午後7時ごろに行灯に灯を入れて、午前2時、3時、ときには4時まで麦湯を売る、その営業時間のせいもあるかもしれない。だから客の方も安心して、わずかな銭で夜風と色気を楽しみにゆく。

 ゾロがルフィに連れられてやってきた麦湯の屋台は、赤地に黒く「むぎゆ」とだけ書いた行灯で、屋号もなにも入っていなかった。隣には白玉の屋台の行灯が灯っている。床几には何人か座っていて、なかなか繁盛しているようだった。

「あら、ルフィ、いらっしゃい。久しぶりだね。」

繁盛の理由がよくわかった。なるほど、麦湯の店にはもったいないほどの器量よしが、ルフィに気さくに話し掛けてきた。細おもてで、少し気が強そうだが、美人には違いない。白地のゆかたに紅だすきの女は、婀娜っぽくなかなか色気がある。床几に腰かけている男たちの中には、毎日通う顔もあるのだろう。客の目線がルフィに集中する。

「久しぶり、か?まぁいいや、麦湯ふたつな!で、ゾロはここに座ってろ、おれは隣で白玉買ってくる」

言うが早いが、ルフィは隣の白玉の屋台へ駆け出した。つめたい水で冷やした白玉だんごを、小皿に盛って、砂糖をかけて食わせる店だ。ゾロは苦笑しつつもルフィの言う通り、床几に腰を下ろした。

「もしや、堀端の殿様でいらっしゃいますか?」

麦湯を持った女がおずおずとゾロに話しかけた。

「お口に合うかどうかわかりませんが・・・」

少し緊張しているようだ。確かにこの屋台でゾロは浮いている。またチリリとゾロの胸が痛んだ。

「合うに決まってるさ。ラキの麦湯うまいもんな。白玉にも合うしな」

ずいぶんと呑気なルフィの声に、痛みはかき消された。ルフィは白玉の小皿を片手にゾロの隣に腰かける。

「ゾロもたまには酒以外のもんを飲め。うまいから」

「ルフィ、アンタ殿様に向かってなんて口のききかたしてんのさ」

ラキと呼ばれた女が、眉を顰めてルフィをたしなめた。こうしているとルフィの姉のようにも見える。系統はナミに近いか。ナミの方が性質が悪いに違いないが。ゾロはほんの少しだけ安心した。どうやら、ただの友人だ。もちろんゾロもただの友人でしかない。いや、友人でいられているかどうかも怪しいが。

「いや、いいんだ。こいつには改まった言い方はされたくない、とおれが頼んでいる」

ゾロが口を出した。ラキは一瞬、驚いたような顔になって、それからにっこり笑った。

「あぁ、アイサの言う通りだね。お侍にしちゃ珍しく、話のわかる良いお人だ」

どこかで聞いた名だ、とゾロは首を捻った。ルフィを見れば、白玉に夢中である。「こっちに桜湯だ」と客の一人から声がかかり、ラキはそちらの方に向かった。ゾロは麦湯を手に取り一口すすった。気がつくと、ルフィが顔を上げてこちらを見ていた。ずいぶんと期待のこもった目に、ゾロは内心焦りつつ、なんとか答えた。

「・・・うまい」

正解だったようだ。ルフィはにっこりと笑った。今日初めて見る屈託のない笑顔に、ゾロは心底ほっとした。できればルフィにはずっとこういう顔をしていて欲しいと思う。そして、この顔を見るのが自分一人であればよいのに、と思ってしまうことは、目下ゾロの一番の秘め事であった。

「・・・アイサ、というのは?」

思考を逸らすためにも、ゾロはルフィに気になっていたことを聞いた。ルフィは不思議そうな顔をして、

「何回も会ってるだろ?ナミの生徒だ。」

ゾロは人の顔と名前を覚えるのがあまり得意ではない。ナミに言わせれば、覚える気がないからだそうだが、それは当たっているかもしれない。現にルフィの顔と名前は一度会っただけで覚えてしまったのだ。

「アイサはなかなかしっかりしてるぞ。まだ小せェのに、小間物屋の下働きに出ててな、そこのおっさんがまたいい奴で、アイサに読み書き十露盤習うようにってナミの生徒にしてくれたんだ。」

そこまで聞いてやっと思い出した。昼間ルフィを探していた娘の名前だ。確かナミがそう呼んでいた。

「・・・あぁ、そういや今日、お前に会いたがっていたな」

ルフィにつながることだけは、割と覚えがいいようだ。ぎりぎりまで待っていたが、ルフィが戻らないので、夕方になる前に帰って行った。あれは、勤めがあるせいだったのだろう。

「あー、そりゃ悪ィことしたな。だいたいあいつらが・・・」

またルフィの機嫌が悪くなりそうでゾロはあわてて話を戻す。

「あの娘とここの娘はなにか関係があるのか?」

あっさりとルフィは話にのってきた。

「うん、ラキはアイサの姉ちゃん」

とルフィが言いかけると、ラキがあわてて否定をしにきた。なぜだか顔が少し赤い。

「・・・みたいなもん?」

ルフィも不思議そうな顔をして続けた。二人は同じ長屋に住んでいるのだそうで、アイサが今よりもっと小さな頃から、ラキがよく面倒をみていたらしい。アイサはラキを姉のように思っているし、ラキもまたアイサを妹のように思っている。

「同じ長屋で暮らす奴は、まぁ、家族みたいなもんだからな」

少し嬉しそうに話すルフィを見て、またゾロは複雑な心持ちになった。

「ならお前とおれはどうなんだ?」

と言いかけて、やめた。冬の一件で、ルフィは住んでいた長屋を引き払ってしまったので、今はゾロの屋敷に住んでいるのだ。一応、建前上は使用人というふれこみになっている。ゾロには気に入らないが、やはり世間体というものがあるのだとナミに諭されて甘んじている。ルフィはまるで気にしていないようだが、面白くない。せめて一番の友人、ぐらいの地位は手に入れたいものだが、前途は多難だ。

「そろそろ帰ろうか。」

ルフィに言われてゾロは頷く。同じ場所に帰る、と言われるのは悪くない気分である。

「ラキー、お代ここに置くぞ!で、あんまり遅くならないうちに閉めろよ?」

ルフィはラキに声をかけると床几から立ち上がった。まったく余計なお世話とも言える台詞を残したのにはわけがあって、このところ、市中では、辻斬りが横行しているのだ。

「遅くならないうちに閉めたらかえって危ないよ」

ラキが苦笑する。

「そうか!じゃぁ朝までがんばれ」

あっさり返すルフィに客のあちこちから笑いがもれた。

「危ないのはお前らもだからな!早く家帰るか、朝までラキに付き合うかしろよ」

客たちからいい加減な返事がかえった。「じゃぁな!」と手を振って、ルフィは白玉の屋台に皿を返すとゾロの前を歩いた。

 七月のはじめから八月のかかりまで、家々では軒に盆提灯や切子燈籠をつるして、夜になると灯をともす。今日は月の光だけでもじゅうぶんな明るさだったが、楽しそうに歩くルフィの姿がはっきりと見てとれた。なにがそんなに楽しいのかはわからないが、機嫌が直ったのならなによりだ。

「明日も暑くなりそうだなー」

 歌うように話すルフィにゾロは黙って頷いた。

 

 

 2006.6.6up

 

引き続き夏の話。

せっかく6月6日なのでなんかしようと思ったら、

一話分書けてるのこれしかなかった・・・。

一応この話は旧暦なので、今で言う八月終わりぐらいです。

なので七月七日は残暑。

堅いゾロがみたい、と言った某方に個人的に捧げてみようかと(笑)。

とりあえず続きます。

マニアの皆様、どうかしばらくお付き合いください(笑)。

 

 

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