COLOR

 

1.

 

「甘ったれたこと言ってんじゃねぇぞ!てめぇプロだろうが!!」

怒鳴られる。思ったとおりの反応だ。ある中華料理店の個室。テーブルの上には所せましと並べられる料理の数々。できれば食べ終わるまでこの話はしたくなかったなぁ、とルフィはがっかりする。さてメシだ!と思ったところに相手側から切り出されてしまった。

「別にプロじゃねぇもん」

目の前に出された上におあずけをくらってしまった料理に目を落としたまま、ボソボソと答えてみる。目の前の男は背広の胸ポケットから煙草を取り出し、火をつける。思い切り吸って、ルフィに煙を吐きかける。ルフィは少しだけ咳き込む。だが、これも予想のうち。

「生きていくには金がいるよな。そして金をかせぐためには働かなくてはならない。ここまではわかるか?」

頷く。少し、予想外かもしれない。

「暮らしてゆくためにする仕事を、職業、と言う。そして職業人のことをプロと言う」

そういう流れか。

「アルバイトだったらプロって言われねェ」

ささやかな抵抗を試みる。

「一時的に雇ったわけでもないし、そもそもお前は誰にも雇われたりしてねェだろう。」

アルバイトは仕事そのもの、アルバイターとは一時的に雇って仕事をさせる者のことを言う。ルフィは誰かに雇われているわけではないので、やはり当てはまらない。

「いつまでもアマチュアだと思ってんのはお前だけだ。だいたいアマチュア相手に接待費なんか出るわけねェだろ」

・・・成程。この料理のスポンサーは目の前の男の勤める会社、なわけだ。自分に価値を見出してくれるのはありがたいことだし、特に目の前の男には悪いなぁ、と思うのだけれど、こればかりは自分一人でどうにかなる問題ではないのだ。

 男は吸っていた煙草を備えられた灰皿に押し付ける。

「食いながら話すか。せっかくの料理だ。冷めたらもったいねェ」

根負けしたのかそう言った。ルフィが食べ始めたら、会話が成立しないことを見越した上での発言だ。つまりは食後でよい、と言う許可。

「ありがとうサンジ!大好きだ!」

そう言ったら

「おれはお前のそういう所が大嫌いだ」

と返る。そういう所ってどういう所だろう、と一瞬思うも、目の前の料理にすぐ意識は移行されてしまう。食べてよし!と言われた子犬さながらに料理に手を付けていく様を見遣り、男、サンジは深いため息を吐く。

「なんだっていきなり撮れねェ、とか言うかねェ」

 

 ルフィの職業とは、本人は否定するが、一言でいうならば「カメラマン」である。今までに2冊、本を出している。店頭で売られる写真集を2冊も出して、それがまた、長い間人気を博しているのだから、これをプロと言わずになんというのだろう、とサンジは思うのだ。サンジはルフィの撮った写真を本にした男である。彼はある出版社に勤めているのだ。たまたま、偶然、ルフィと知り合って、何故かなつかれてしまい、何度か話すうちに、ルフィが趣味で撮ったという写真を何点か見せてもらった。そしていくつかを借りて、上司に掛け合った。ちゃんとした形にしないともったいない、と思ったせいだ。幸運にも、上司もサンジと同じ意見を持ってくれたようだ。ただし、あくまで試験的な部数で、編集等、一切の責任をサンジが負うことを条件とされた。

 あの時のことはあんまり思い出したくねェなァ・・・と少し遠い目をする。普段の仕事が減らされるわけではないのだ。会社から与えられた仕事をこなし、尚且つ、写真集の準備をする。あの頃の自分の睡眠時間はいったいどれくらいだったのだろう、と埒もなく思う。ルフィの作品の中から一点、あるコンクールに出品した。サンジには確信があった。受賞と同時に発売された、最初の写真集は思ったとおり、いや、それ以上に売れた。増刷もかかり、2冊目を出す段になっては、人員も増やされ、道楽、でも試験的、でもなく仕事、として扱われた。そして、当然、3冊目はまだか、という話になる。もう、個人レベルの話ではない。

 それなのに、今、目の前で無心に食事に没頭している男は、もう、撮りたいものがない。などとあっさり言ったのだ。たぶん誰よりも彼の撮るものに価値を見出していると自負しているサンジにとったら、怒鳴りつけたくもなるだろう、と思うのだが。この様を見ているとなんだか怒りも引いてしまう。それでもおいそれとあきらめるわけにもいかないのだ。接待費も浮かばれない。サンジだって「プロ」である。

「サンジは食わねェのか?」

忙しなく手を動かしながらルフィが聞く。

「食欲がねェ」

誰かのせいで。と多少恨みがましく言ってみたら、さすがに悪いと思ったようである。ある程度空腹が満たされただけなのかもしれないが、手の動きが止まる。口の中のものを飲み込んで、困ったように話し始める。ルフィにしたら異例のことだ。

「んーっとな。おれの撮ったモノが褒めてもらえるのは、たぶん、モデルがいいからで、おれの手柄じゃないんだ」

サンジはひとまず話しを聞くことにする。

「おれに特別技術があるわけじゃないから、おれはプロのカメラマンとは違うと思う。撮りたいと思うものしか撮れないんだ。おれも探してるんだけど、見つからなくて困ってる。」

とりあえず、写したのではダメなのだと言う。それはなんとなくサンジにもわかる気がした。そんな写真はきっと違う。

「どんな被写体が必要なんだ?」

「わかんねェ、けど透明なのはとりあえずダメだ」

ルフィ曰く、最近の世界は透明なのだそうだ。時折ルフィは具体的なのか抽象的なのか、わかるようなわからないような、そんなことを言う。気がつくとテーブルの上の料理はすべて片付いている。あぁ、おれの分も食いやがったな、とぼんやり考えていたらルフィが席を立った。

「どうした?」

「便所」

食事が終わって、これから延々と説得という名の説教を聞かされることを危惧しているわけでもあるまいが。

「逃げるなよ」

一応釘を刺しておく。

「逃げねェよ」

ルフィはそう言って部屋を出た。この店の洗面所は個室を出て、レジカウンターのそばにひとつあるキリだ。残されたサンジはまた胸ポケットから煙草を取り出す。

「さて、どうすっかね」

なかなか手強い問題だ。

 

 部屋を出て、ルフィは少しため息をついた。料理はとてもおいしかったし、サンジのことも大好きだ。だからこそ、のため息だと思う。

写真は、もともとルフィの兄が好きで、ルフィはといえば、専ら兄の被写体であった。兄はよく自分の写真を撮っていたし、ルフィの方も撮られることに抵抗はなかった。けれど、ある日兄が気まぐれを起こし、「お前も撮ってみるか?」と言って、ルフィにカメラを渡した。そのカメラは当時のルフィには少し重いものであったけれど、兄の大事にしているものを貸してもらえたという喜びが強かった。ひとまず、兄の姿を撮ろうと思った。兄はいつも自分を撮るので。カメラを構えてシャッターを切る。初めてルフィが写真を撮った瞬間だ。

 カメラから顔を離して、ちょっと困ったような顔をするルフィに、兄も困った顔をして聞いた。「うまく撮れなかったか?」それともカメラが気に入らなかったのか。と。ルフィは困った顔のまま言った。「シャッターが降りた瞬間のエースを見られなかった。」ルフィの兄、エースはちょっと笑って、「シャッターが降りた時ってのは目ェ瞑ってるのと同じだからな。」と言った。そして一呼吸おいて、「本当に撮りたい瞬間を、撮れてるはずだと賭けてシャッターを切れ。」とも。

 そしてエースはルフィに、大事にしていたはずのそのカメラを譲ってくれた。それからルフィはシャッターを切ることに夢中になった。常に、賭け、なのである。そして、カメラのレンズを通して見る世界の一瞬を切り取る、という作業に。

 当時はすべてのモノに「色」を感じることができた。けれど今は何処にカメラを向けても、薄っぺらで向こうが透けてみえるようなモノしか、レンズには写らない。風景も。モノも。人間も。なんだか、すべてが作り物のような気がしてしまうのだ。レンズを通したルフィの視線をすべて素通りしてしまう。ここしばらく、ルフィはずっとシャッターを押せずにいる。ルフィにとってシャッターを切ることは常に賭けなのだ。賭けるものは自分の意地。だから、撮りたい、と感じるものでない限り、シャッターを押すことはできない。

 世界が変わったのか、自分が変わったのか、ルフィにはわからない。けれど、写真は好きだ。好きだと感じる以上、終わりではない。なんとか、撮りたいモノを探そう。どうしても、見つからなくて、どうしても本を出さなければサンジが困るのだとしたら、サンジを撮ることにしよう、とこっそり決意する。サンジになら色がある。

 手洗いから出ると、レジに客らしい男女の二人連れがいた。わりとこの店にはよく来るのだが、すぐに部屋に入ってしまうので、他の客に遭遇することは滅多にない。女性の方が店員と何か話している。「おぉ、美女だな」と最初に思う。そして、彼女ならばレンズにきちんと写るのではないか、そんな気がした。今、カメラを持っていたなら、シャッターを押せたかもしれない。カメラは、サンジの車の中だ。急いで部屋に戻って、サンジに車の鍵を借り、カメラを持って戻るまで、彼女はここにいてくれるだろうか。今、来たところならば問題ないが、会計中なら万事休す。いきなり話し掛けて被写体になってくれるよう頼める雰囲気の女性ではない気がした。それに彼女の連れも気になる。

 美女の後ろ、ルフィから見れば左なのだが、にいる男はこちらに背を向けているのでよくわからない。「お部屋にご案内します」店員の声が聞こえた。運はルフィに味方したようだ。そうと決まればサンジにこのことを話そう、と止めていた歩みを再開する。なんとなく後をつけるような形になってしまったけれど、彼らの案内される部屋が、サンジのいる部屋と同じ方向だという偶然の賜物だ。通路を突き当たり、店員は右に曲がる。ルフィが戻る部屋は左。なんとなくホッとした。

 すると、店員と美女から少し距離をとって歩いていた男が突き当たりでルフィに背中を向けたまま不意に立ち止まった。ルフィは気づかず距離を縮めてしまい、正面にある鏡(たぶん奥行きを深く見せる意図でつけられているのだと思うのだけれど)に写った男の顔を確認することができた。確認、というよりも、目が合ったのだ。鏡越しに。相手もルフィの顔を確認できたに違いない。

 男と目が合ったのは、それこそ一瞬だった。すぐに何事もなかったかのように、男は視線を外し、二人に続いて、通路を右に曲がって行った。横顔を見たのも一瞬だった。ルフィは半ば呆然と立ち尽くし、探しにきたサンジに怒鳴られるまでその場を動くことができなかった。

 

 居た。そう思った。けれどサンジには何も言わなかった。店を出て、これから被写体を探しながら歩いて帰る、そう伝え、車の中からカメラを受け取った。あの日兄から譲り受けた旧式のカメラ。ルフィはずっとそれを愛用している。

「いい被写体が見つかることを祈ってるよ」

そう言ってサンジは車を発車させた。

 被写体は、見つけた。けれど、いい被写体かどうか、はわからない。こんなに撮りたいと思ったことは初めてかもしれない。こんなギリギリの賭けになる予感がしたことも。

 ルフィは車を見送って店の駐車場を出る。少し歩いて、道路を横断する。中華料理店のはす向かいにある、古本屋の軒下に陣取る。今日は定休日なのか、営業時間が終了したのか店のシャッターは降りていた。ちょうどいい。

 この場所から、料理店の入口までおよそ20メートル。ルフィは入口にピントを合わせた。あの男の背中を思い出す。鍛え抜かれた背中だ。それでいて、なにか重い荷物を背負っているかのような歩き方。そして、あの目。すべてを、自分すらも拒絶しているかのような。あの男の持つ色はすべての色を塗りつぶした「黒」、だ。

 二人が店から現われた。あの男だ。ルフィは迷わずシャッターを切る。隣の美女には目もくれない。男の姿はファインダーの中で膨れ上がって見えた。カメラを持つ手が汗ばんでいる気がする。勝負に勝てたか負けたかは、写真を現像しなければわからない。二人は何か話して男は駐車場に向かう。どこにでもありそうな黒いセダンが出てくる。セダンは出口付近で少し止まったが、すぐに道路を右に曲がって行った。

 ルフィは息を吐いてカメラを下ろした。何故かほっとしている。無事にシャッターを切れたことへの安堵感なのか、彼女があのセダンに乗らなかったことなのか、ルフィにはわからなかった。わからない、と思ったことに更に首をかしげる。なぜ彼女が男と一緒に帰らなかったことにほっとする必要があるのだろう。わからないことは棚上げにしておく。

 気を取り直して、今度は彼女をフレームに収めようとしたが、その場所にもう、彼女の姿はなかった。そんなに長いこと、あの車を見送っていたのだろうか。少し残念に思ったが、まぁいいか、と思う。男があの車で去った以上、彼女は徒歩で帰るのだろう。彼女の家は案外近いのかもしれない。縁があればまた会えるだろう、そう頭を切り替える。それに収穫はあった。一刻も早く、家に帰ってフィルムを現像したいところだ。勝負の判定が気になる。

 カメラをかばんに収め、ルフィは家路を急ぐ。機材の重さをものともせず、軽やかに走る。全力疾走しているわけではないので、息が切れることもない。住んでいるマンションが見える。もう少しだ。そこでルフィは走るのをやめて歩き始めた。まだ、引越しをしてからあまり間がない。この辺りは少し入り組んでいて、道も細く、人通りも少ない。表通りのルートを通ればそんなことはないのだが、歩く分には少し遠回りになるし、なによりルフィはこの細い路地が気に入っていた。以前にも一度、カメラに収めたことがあるが、今日はまた、違う色が撮れそうだ、となんとなく思う。

 そう思ったら即行動である。ルフィはまたかばんからカメラを取り出し、路地の突き当たりにピントを合わせる。そういえばあの通路もこんな感じだったな、とある種の既視感を抱く。路地の先はT字型の交差点になっている。あの店の通路と同じだ。勿論、突き当たりには鏡などなく、無骨な壁があるだけだが。壁は20階建てのマンションのものであり、そのマンションの最上階に現在のルフィの住処がある。

 さておき。ルフィはレンズを覗く。レンズを通して見る世界に、鏡越しに見たあの男の顔がよぎる。シャッターにかけた指が少し逡巡した。少しの逡巡のあと、カシャリ、とシャッターを切った瞬間、ルフィは首筋にものすごい衝撃を感じ、振り返ることも叶わず、そのまま気を失った。

 

 男は倒れ掛かるルフィの身体を後ろから支え、路地の壁に背をつけて立てかけた。周りに目がないことは確認済みであるが、素早くルフィのズボンのポケットを探る。中からは財布となにかのレシート。そしてルフィの持っていたかばんに財布とカメラをしまうと、そのかばんを持ってその場から立ち去る。時間にしたら1分ほどのことである。路地を抜け、表通りに出ると、黒いセダンが一台停まっている。運転席には女が一人。男は黙って助手席に乗り込んだ。

 かばんの中を物色する。中には、カメラが一機、レンズが2本、ストロボ1つ。フィルムが1本。まずはカメラの蓋を開け、中のフィルムを取り出す。あまり枚数は撮られていないようだが。思い切りフィルムを引っ張る。鈍い音が車内に響いた。

「処分しといてくれ」

言って車の後部座席に投げつけた。

そして財布。幾らかの現金とカード。名はモンキー・D・ルフィ。呟いた声に女が反応する。

「ルフィ?」

「知っているのか?」

「えぇ、たぶん」

たぶん知っている。曖昧な表現だ。そう言えばこの女は曖昧なことしか言わない。

「ずいぶんひどいことをするのね。」

ここに車をまわしたお前に言われる筋合いはない、と男は思う。

「まだ、子供だったでしょう。」

子供のはずがない。あのルフィという男は鏡越しに目の合ったあの一瞬に自分の全部を見抜いたのだ。大きな目の、それでいて、すべてを見透かすような鋭い視線だった。あの瞬間、男はなにかに揺すぶられた。自分の本能と呼べる部分がルフィを危険だと告げていた。

店を出て、すぐにルフィが自分を見ていることに気づく。刺すような視線だと思った。カメラを構えていたのでたぶん、写真を撮られたのだろう、ということを理解した。男は車を出して、100メートルほどの場所で停止させる。女にはルフィの視線が外れたら、自分の後を追うように指示を出した。追いついた女を車に残し、男はルフィの後を追った。飛ぶように走る後ろ姿は、この世のすべてに警戒を抱いていないようで、後をつけるには楽な相手だったと言える。その速度を除いては。体力的なことではなく、男が危惧したのは、往来を走ることによって生じる目撃者の存在だ。幸いなことにルフィの姿はすぐに人通りの少ない車両進入禁止道路に入った。

ルフィがなぜ自分の写真を撮ろうと思ったのか、その目的は謎だが、男には写真を撮られるわけにいかない理由がある。物盗りの犯行と見せかけて、フィルムを奪うことがこの一連の作業の目的だ。ひとまず危険は去った。去ったはずだが、これで終わるはずがない、という予感も同時にあった。

「あなたもたまには書物に興味を持った方がいいわ」

なんの脈絡もなく運転席の女が言った。

「余計な世話だ。」

男はそう言って目を閉じる。まだあの視線が刺さっているような気がしていた。

 

2004.10.23UP

 

 

はい・・・新連載(笑)です。

地味な予告通り、リリカルハードボイルドな感じで。

または偽ハードボイルド・・・。

ルフィ、カメラマンってなぁ・・・。

長くなるのか短くなるのかまだよくわかりませんが、

しばらくお付き合いいただけると嬉しいです。

 

 

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