目が覚めて、真っ先に目に入ったのは切り取られた空だった。限りなく白に近い浅黄色。こういうのを、しらじら明けというのだろうか。

(撮りてェなァ・・・)

ルフィは無意識にカメラを探す。次の瞬間、ひどい頭痛に襲われて、一気に意識が覚醒する。切り取られたかのように見えた空は上下をコンクリートの壁にはさまれていたためで、ルフィは昨夜、この路地で昏倒したまま、朝を迎えたのだ。こんな場所で倒れている自分を目にとめるものはいなかったらしい。それがルフィにとって幸か不幸かはまだ判断をくだせない。

「野宿なんてのも久しぶりだな」

口に出してみた。少し吐き気もする。ひとまず身の回りの確認をする。カバンがない。どうやらポケットに入っていた財布もない。けれどキーチェーンと携帯は無事だ。少し考える。答えはすぐに出た。

「ひとまず、家帰ってからだな」

幸い、住居は目と鼻の先だ。なんとか歩けるだろう。立ち上がり、倒れていた路地を振り返る。やっぱりカメラがないのは惜しい、と思った。

 

「で?」

電話の向こうの声は明らかに怒っている。予想通りの反応だ。

「だから、キャッシュカードとかクレジットカードとかなんだかいろいろ入れていた財布を取られたので、再発行の手続きをとりたいのですが、どうやってとったらいいのかわからないので教えてください。」

下手に出てみた。キャッシュカードだの、クレジットカードだの、もともとルフィはあまり好きではないのだが、現金はあまり持ち歩かない方がよいと言われ、持たされたのだ。持ってみると、そこそこ便利であることはわかったが、すべての手続きは、電話の相手、サンジが行ったので、こういう場合、当然相談するしかない。

「・・・・」

かなりお怒りのようだ。なんで再発行の手続きひとつでこんなに怒られるんだろう。

「全部サンジまかせにしてたのは悪かったけど」

そんなに怒らなくても、と続けようとした言葉は大きなため息に消される。たぶん電話の向こうでサンジは煙草に火をつけたのだろう。

「お前、殴られて気を失ったってのはいつだって?」

「んーっと、そうだな、日付は昨日のうちだと思うけど。11時ごろかなぁ」

ひょっとしたら12時回っていたかもしれない。時間の感覚が曖昧だ。あの二人を店の入口で張り込んでいた時の時間がいったいどれくらいだったのか、記憶していないせいだ。すぐに出てきた気もするし、かなり遅かったような気もする。あの店からあの路地までは走って20分くらいだと思うので(ちゃんと計ったことはないが)、違っていても一時間くらいのものだろう。

「それで何時に気がついたって?」

「夜明けの頃だから5時頃か?」

ほぼ6時間、あの場所でのびていたことになる。風邪を引くほど柔ではないつもりだが、あまり睡眠に向いた場所でないことは確かだろう。

「今、何時だ?」

「えぇっと、2時」

なんとなく、サンジの言わんとするところがわかってきた・・・気がする。

「遅いって言ってんだ」

「ごめん」

素直に謝る。彼は心配してくれているのだ。

 

 

 カードの件はひとまず早急に処理する、と言われて一旦通話を切った。いろいろと考えていた言い訳を使う機会がなかったな、と思う。こんなことならもっと早く電話しとけば、あんなに心配させなくてよかったのに、と少し後悔もする。けれど、きっと考えていた言い訳を使う時はすぐに来るだろう。この際だ、もう少し詰めておこう、とルフィは椅子に座って目を閉じる。今朝はこの作業をベッドの上で行ったため、いつの間にか眠ってしまい、こんな時間になってしまった。我ながら緊張感がないと思う。

 首に巻いていたタオルはすっかり乾いて、あまり用を足してはいなかったが、そのままにしておく。痛みはだいぶ引いていた。サンジにはあぁ言ったが、ルフィはカード類が使用されることはないと踏んでいる。きっと財布を取ったのだってカモフラージュだ。勿論、ルフィの身元を知っておきたいという気はあったのかもしれないが。目的はカメラの中のフィルム。犯人はあの男に違いない、と確信していた。ただのノックアウト強盗にしたら手際がよすぎる。そして不思議と怒りがない。

「まずどこまで話すかだよな・・・」

サンジには悪いが、ただのノックアウト強盗である線でいくべきだろうか。これは自分とあの男との問題なのであって、例えサンジであろうとも介入させるのは好ましくない。するとすべてをあの男抜きで説明しなくてはいけないのだが、勘のいいサンジをごまかしきれるだろうか?

 自分でも不思議だが、なんだか妙な満足感がある。透明だった世界に色が戻ってきた。戦う準備はこれからだ。なんとしてもあの男を見つけ出す。

「でもおれの読み通りだと、あいつはおれのこと知ってることになるんだよな」

名前も、ひょっとしたら住所も。あの男が自分を避けようとするならば、たぶんもうこの町にはいない。

「むぅ・・・それはあんまりよくない展開だな」

「なにがよくないって?」

「うわぁ」

何かに夢中になると周りが見えなくなるのはよくないクセだと思う。これで昨夜もまんまとやられたのだ。気がつくと勝手知ったる他人の家、という態で、サンジが上がってきていた。合鍵を持っているのだ。

「身体の調子はどうなんだ?」

「あ、いや、割とたいしたことなかったみたいだ。寝たし。だいじょぶ。」

心の準備が出来ていなかったせいで、少ししどろもどろになる。

「なんも食ってねェんだろ、あれから」

サンジが袋をルフィに渡す。中には弁当箱。

「なるだけ消化にいいもん詰めといたから」

「・・・・」

サンジはいい奴だ。急に全部を話してしまいたくなったが、ここはグッとこらえる。

「ありがとう」

そういえば何も食べてない、と気づいたら急激に空腹を感じた。

「今、食べてもいいか?」

「おぉ。食えるなら食え」

早速袋から箱を取り出し、蓋を開ける。

「ひとまず被害届出すだろ?」

「被害届?」

つまりは警察に、犯人をつかまえてください、という届けを出す、という話だ。

「・・・うーん」

その線はあまり考えていなかったけれど、警察につかまるようなタイプではない、と思う。ただ、もしかしたらカメラがどこかに流出する可能性も0ではない。その時警察の組織力というものは多少当てにできるかもしれない。限りなく、0に近い確率ではあるけれど。

「・・・カメラがなぁ・・・」

カメラだけでもなんとか戻らないものだろうか。

「ありきたりの素人強盗なら、流通に回すってことはあるだろうがな」

「可能性は低いよなぁ」

「でもなんだってあんな骨董品持ってったんだろうな。」

「骨董品言うな」

フィルムだけ持っていくわけにいかなかったからだろう。と思うのはルフィだけだ。あの男のことだから、あっさり処分、なんてことは大いに考えられるのだが。と思って気づく。自分はあの男のことをなにも知らないはずなのに、なんでこうも決めつけて考えてしまうのだろう。不思議に思いながらも箸はどんどん進んでいく。あっと言う間に弁当箱は空になっていた。

「まぁ、警察からの事情聴取なんて、たいしたこと聞かれねェと思うけどな。どうする?今から行くか?」

「うーん。」

あまり、気が進まない。

「被害届、出さないって言ったら怒るか?」

サンジが眉を顰めた。

「別におれが決めることじゃねェ」

「じゃぁ、警察は介入させない方向で」

なんだか、やっぱり誰にも介入してほしくないのだ。たとえ兄からもらったカメラを失うことになったとしても。

「自分で犯人見つけよう、とか思ってねェか?」

「カメラ構えてるトコ、後ろから殴られてそのままのびちゃったからどんな奴かもわかんねェし、おれは今、被写体を見つけるので手いっぱい」

嘘ではない。

「カメラ構えてた、ってことは、なんか撮る気になったってことか?」

さすがプロだ。話が逸れた。

「あー。なんか、不思議なんだけどな。また世界に色が戻ってきたみたいなんだ。だからなんとかなりそうな気もするんだけど、ほんとに撮りたいものはまだ別にあるって気もするからもうちょっとこう・・・時間をください」

サンジはなにか言いたそうな顔をしたが、それ以上なにも言わなかった。黙認、という形なのかもしれない。

「決めたのか?」

「うん」

「じゃぁ好きにしろ」

「ありがとう」

「ただし、新しいカメラはひとまず買ってもらうからな」

撮れそうな気がする、という言葉がどうやら効いたようだ。ごまかされてくれる気らしい。やっぱりサンジはいい奴だ。

 

 

 冷蔵庫からビールを取り出そうとして止めた。扉を開けた時に漏れた庫内の光が妙に気に障ったせいだ。棚からブランデーを取り出して、グラスに注ぐことなく、瓶に直接口をつけて呷る。

「ずいぶん、荒れているのね」

真っ暗な部屋の中から声だけが聞こえる。男は聞こえないフリをして、更にブランデーを呷った。こんな飲み方をしても酔えないことはわかっている。

「彼、のことだけれど」

男の手がピタリと止まった。

「処分が必要だと思うなら本部に連絡しておくわ」

「必要だと思ったら、おれが処分する。」

女が少し笑ったような気がするのも男の気に障った。

「奴を知っている、と言ったな」

「えぇ。」

それ以上答える気はなさそうだ。自分も何を聞きたいのかわからない。わからないことが男の気をいっそう苛立たせる。

「用はそれだけか」

「えぇ。あと、本部への連絡を拒むのなら、それ、の処分もあなたに任せるわ」

声はそれきりしなくなった。ドアの開閉する音ひとつ聞こえなかったが、気配は去った。男は小さく舌打ちする。ブランデーの瓶はいつしか空になっていた。女の置いて行ったものは古いカメラ。この暗闇の中にあって、妙な存在感を示している。財布やカード関係は処分してくれる気らしいので、これは単なる嫌がらせなのではないかと思う。

 女が本部に連絡を入れる可能性は五分五分だと男は考えている。要はまったくわからない、ということだ。あの女のことも。自分のことも。今まで、自分のことがわからない、などと思うことはなかった。というよりも、「自分」というものを意識したことがなかった、と言っていい。苛立ちや疑問などとは無縁だったはずなのだ。ただ、与えられた仕事を完璧にこなすためにはそういうものは排除しなければならない。

「処分・・・ね」

このまま物盗りの犯行だと思って、自分のことと結びつけたりしなければ、そして、自分のことを奴が忘れてしまえば処分の必要はない。けれど、たぶん、奴は物盗りの犯行だと思わないだろう。そして自分を捜そうとするはずだ。ただ一度、鏡越しに目を合わせただけの男の行動にどうしてこんなに確信をもてるのかもわからない。けれど男の本能がそう告げている。本部に連絡を入れれば、きっとうまくことは運ぶだろう。けれど男は自分の手でケリを付けたいと思う。できれば本部に知られる前に。

 自分の思考と行動に、様々な齟齬や矛盾が含まれていることに気づき、男はまた苛立ちを募らせる。また棚から瓶を取り出す。暗がりの中でも迷うことなく封を切って口をつけた。この瓶が空になる前に眠気が訪れればいいと思う。

 

 

「やっぱ捜査の基本は聞き込みだろ」

その夜、ルフィは男と初めて会った中華料理店に立ち寄った。店員は、昨夜のあの美女のことはよく覚えていたが、初めての客で、部屋に案内しただけだと言う。男の方は全然印象にないと言ったことがルフィには不思議だった。

「あんなに男前なのにな」

言ってからアレ?と思う。そういえば男前だった。どうにもあの雰囲気が先に立っていて、容姿なんかは二の次になっていたようだ。あの美女となかなか様になる対だと思った。二人とも醸し出す雰囲気がよく似ていた。店員が男を覚えていないのは、あの男が自分を覚えさせないように振舞っていたからではないだろうか、とも思う。どんな小さな関わりも誰とも持ちたくなさそうだった。こんな風に、ただ立ち寄ったメシ屋ですらも自分の存在を否定しているような男を捜すのは、思った以上に骨の折れる仕事のようだ。

「あの美女捜す方が早いかな」

真っ直ぐな黒髪の、謎めいた雰囲気を持つ美女であった。彼女の色もまた黒である。けれど、男のような全ての色を塗りつぶした黒ではなく、夜の空のような、透明感のある黒。彼女を見つけることができれば、男のこともなにかわかるかもしれない。けれど、唯一の接点であった中華料理店での聞き込みが空振りに終わり、早くも行き詰まりを見せ始めていた。

「また、会えそうな気はするんだけどな」

根拠のない自信を胸に、当てもなく街を歩く。カメラを持たずに歩くことがあまりに久しぶりで、なんとなく落ち着かない気分になった。早く新しいカメラを買うべきだろうか、と漠然と思う。幾ばくかの現金は盗られてしまったし、カードの再発行にはまだしばらく時間がかかる、とサンジが言っていた。それに気に入るカメラに出会えるかどうかまだわからない。ルフィはカメラの機種などには無頓着ではあるが、機械と人間の間にも相性みたいなものはある、と思っている。自分が好きになって相手も自分を好きになってくれないと自分のそばには置きたくないと思う。全て直感で決まる。

 ルフィは自分の直感は全面的に信用することにしている。今まで一度もそれは揺らいだことがなかったのだが。

「どうにも、勝手が違うんだよな」

あの男に関しては、なんだか拭いきれない違和感のようなものがあって、いつもの直感もうまく働かない。自分の気持ちもなんだかよくわかっていない気がする。ただ、撮りたいだけならば、カメラを持っていない今、見つけたところで無駄なはずなのだが。そして、こんな風に当てもなく捜し歩いたところで見つけ出せるはずがないとわかっているのに、なんとなくじっとしていられない。

「なんなんだろうなぁ」

呟いて、今日のところは切り上げることにした。昨日の今日だ。さすがにこの辺りをうろつくことはないだろうし、普通に考えても、向こうはこちらを避けるはずなのだから、ルフィの行動範囲にはまず近づいてこないはずだ。この結論を出すまでにだいぶ時間を費やした。これからのことはまた考えよう、と帰路に着く。あまり遅くなって、もし、サンジが様子を見に来たりしたらまた心配をかけてしまう。携帯が鳴らないから今のところそれは杞憂にすぎないけれど。

 例の路地にさしかかる。さすがに少し緊張した。サンジが知ったら、昨日の今日なんだから大通り通って帰れ!と怒ったかもしれない。けれどそうそう習慣を変えられるはずもなく、いつものように路地を抜けようとした。あるいは、少しの予感はあったのかもしれない。不意に立ち止まり振り返る。

 あの男がこちらを向いて立っていた。二人は初めて向かい合った。鏡越しでなく、直に目が合わさる。ルフィは男の目の中に、鏡の中では確認できなかったものを感じた。指ひとつ動かすことができないうちに、男は何事もなかったかのように踵を返した。自分の背中を見られていることを十分承知しているような、ゆっくりとした歩き方だった。

ルフィは男の姿が視界から消えるまで、立ち止まったまま動けなかった。

 

 

2004.11.4UP

 

 

やっとこ更新です。

なんかこう、イライラしますか(笑)?

展開が遅いですよね。

そんなに長くなる予定ではないので、

できればさくさくっと進めていきたいなぁ、という気概はあります。

気概はあるんですがね・・・。

 

 

back / next

 

inserted by FC2 system