部屋に戻り、ベッドに突っ伏した。心臓の音がやたらうるさいと思う。

「うー・・・」

意味もなく唸る。あれはどういうことだろう。おれも目茶苦茶だが、アイツも目茶苦茶だ。

「なんであんなトコロにいるんだよ・・・」

そしてなんでおれは動けなかったんだ。なんだか悔しさと歯痒さで暴れ出したくなった。これは負けたということなのだろうか。カメラを構えることさえ出来なかった。カメラは持ってなかったけれど、持っていたとしてもきっと同じ結果だったような気がする。

「次は負けねェ」

次があればの話だけれど。

 男の目を思い出す。とって食われるかと思った。思い出すだけで首筋が粟立つ気がする。ぞっとするような暗い目だった。それでも一瞬、光が宿ったのだ。それは鋭さと言い換えてもいいのかもしれない。獲物を見る肉食獣のような。

 あの男は危険だ。それは最初からわかっていた。だからこそ撮りたいと思ったのかもしれない。あの男の放つ、微量な、隠そうとしてもルフィにはわかる、あれは、「殺意」だ。そしてそれこそがルフィの撮りたいものなのだと気づく。

「なんだかなぁ」

困った。そんなものが撮りたいなんて。自分はどこかおかしくなってしまったのだろうか。それでも世界を以前より、ずっと美しいと感じる。

 

 

 処分が、必要かもしれない。男はぼんやり考えていた。本部はもう、ルフィのことを知っただろうか。このまま、自分の知らないうちに知らない場所で死んでくれたらいいと思う反面、それを為すのは自分でなければならないような気もしていた。そして、もうひとつ。それが男を動揺させていた。なぜ、あの路地へ行ったのか。自分の行動が制御できないなどという状態は男にとってマイナス以外のなにものでもない。

 すべてが気に入らない。なにもかもを見透かすようなあの目も、絶対に逸らさない視線も、意思の強そうな口元も、細いくせに鍛えられているようなあの腕も、なにもかも全部。消してしまいたいのに消してしまえない。それが一番気に入らない。

 カーテンの隙間から月の光が差し込んで、わずかに男の部屋を照らす。冷蔵庫とボトル棚、ソファがひとつ、テーブルがひとつ。それが部屋に置かれているすべてのものだった。あとは、テーブルの上に古いカメラ。そしてそのカメラと同じ色の四十五口径。男はカメラと同じくらい使いこまれていると思われるその銃に手を伸ばし、弾を一発だけ装填した。

 

 

「危険立入禁止!って書かれた場所に入りたくなることってねェか?」

「なんだそりゃ。ガキの頃の話か?」

今の話、とはいい辛い。

「そりゃヒトに寄るだろ。おれは平和に長生きしてェからな。危ない場所には近づかない」

平和に長生きしたいヒトはそう言って煙草をふかした。あまり説得力がない気がする。

「おれだって早死にしたいわけじゃねェんだけどさ」

どうにも歯切れが悪い。こんなのはらしくない、と思いはするのだが。

「お前、なにがあった?」

いきなり核心をつかれる。

「写真が、変わってる」

「・・・カメラが変わったからじゃないか?」

あれから一ヶ月。特に何事もなく、カード類も無事再発行され、ルフィは新しいカメラを購入した。そして、三冊目のための写真をいくつか撮った。撮りたい、と思うものもいくつか増えてきたせいだ。けれど、あの男に感じたほどの強い衝動はない。それを見抜かれたのだろうか、とルフィはギクリとする。確かに今の自分は混乱気味だ。それが写真に表れているのかもしれない。

「気にいらねェ?」

聞いてみる。サンジはなんだか難しい顔をして、写真をにらみつけている。月の写真だった。

「気にいらねェっつーか・・・」

サンジにもよくわからない。けれど、今までの写真とは違うことはわかる。ルフィの言葉を借りるなら、「色」が変わった、とでも言うのだろうか。今までの写真が真っ白な紙にプリントされているものだとしたら、今回のこの写真には、少し、紙自体に色がついている。そんな感じなのだ。けれどその色がどんな色なのかわからない。深みを増した、と言えばいいのだろうが、なんだかそう言うには不安定なのだ。

 よい写真ではある。けれど、どことなく迷いを感じさせる。ルフィの写真からは感じたことのないものだ。

「ひとまず保留だな」

サンジはテーブルに写真を置いた。

「悪いってんじゃねェんだが。まだ、変わる途中、って気がするな。だからこんなに不安定なんだろう。変わるのが悪いとは言わねェから、なんかしらんが、早いトコ解決しろ」

ポンと頭をたたかれる。

「解決したいのは山々なんだけどな」

「あぁ、それで立入禁止の話か」

話が早くて助かる。

「バカの考え休むに似たり、って言葉があってな。バカが考えたってロクなことにならねェってイミだ。」

「それはおれがバカってことか?」

「違うのか?」

「違わねェ」

確かにグズグズ考えてるのは性に合わない。あの場所であの男と会ったということは、あの男にルフィを避ける気はないということだ、と決めつける。あの男にとって、ルフィは、路傍の石よりは意味のあるものなのだと思うことにする。それには少し希望も入っているかもしれない。希望でもなんでも、決めつけてとにかく行動する。

「ありがとな」

「バカって言われて礼言う奴も珍しい」

「そんで、ごめん」

ひょっとしたら、三冊目、出せないかもしれない。

 

 

 ルフィは覚悟を決めた。いつかの路地で月をぼんやり見上げながら立っている。捜査の基本。聞き込み、の次は張り込み、だ。なんらかの決着をつけないことには、自分は前にも後ろにも進めない。あの男に会って、自分のどこかが壊れてしまったような気がするのだ。

 今夜ならなんとなく会えそうな気がする。この間と同じ、月齢14.8。手には新しいカメラ。以前のものより少し小ぶりで、扱いやすい。けれど、手にはまだ馴染まない。

「張り込みっていうより、囮捜査かな・・・」

見つけてもらわなければ会えないのだ。そして、いくらこっちが会いたいと願ったとしても、向こうがそれを望まない限り、邂逅は望めない。なんだか不公平だ。息を大きく吸って吐く。そして、音もなく現れるだろう、男を待った。

 

 

 なにを考えているんだろうか。この男は。そして自分も。男は他人事のようにその光景を見ていた。手にはいつかの四十五口径。この位置からでも狙えないことはない。標的は動かない。楽な仕事だ。ただ、持っているカメラが邪魔だ。頭を撃ち抜けばいいだけの話だが、やはり、心臓を狙いたい。心臓を狙う方がきれいだ。

けれどちょうど心臓に当たる位置にカメラを持っている。カメラをあの場所からどかすには、構えさせればいい。簡単なことだ。男はゆっくりと標的に近づいていった。

 

 

男は闇から現れた。やはり音はしなかった。ルフィはもう一度息を吸い込んで、男と対峙した。真っ直ぐに視線がぶつかる。男の左手には真っ黒な拳銃。あぁ、やっぱりな、とルフィは思った。

「なぜ笑う?」

男が問うた。男の声を初めて聞いた。

「おれ、笑ってるか?」

自覚はなかった。ただ、これで男と決着をつけられる、と思ったのは確かだ。

「お前の瞬間を撮ることができる、と思ったから、かな?」

「瞬間?」

「そう、おれを殺す時の」

それきり辺りを静寂が支配した。ルフィを見る男の目が澄んだ。ルフィの脚が少し、震えた。手指は冷たくなっている。けれど頭だけは妙に冷静だった。シャッターを切る速度は0.3秒。男が引き金を引く、その瞬間を捉えるのだ。全身を汗が噴き出す。けれど自分はシャッターを切れると信じる。今まで生きてきた中で、一番「生」を感じる瞬間だと思った。そして、同時に「死」を。

 

 

 カメラを構えたルフィを男は無表情に見つめていた。ルフィはカメラを構えた。心臓はガラ空きだ。この位置ならばはずす心配はない。男はゆっくりと左手を上げ、銃口をルフィの心臓に向ける。それでもルフィは動かない。男の「瞬間」を切り取るために。

 男を、また例の苛立ちが支配し始めた。このまま目の前のこの男の「被写体」になるのは気に入らなかった。それが命の代償であったとしても、だ。男はゆっくりと足を進めた。

 

 

 ルフィは予想外の展開に戸惑っていた。男が近づいてくる、ようなのだ。あまり近くなるとファインダーの中に収まらない。それはとても困る。けれど男はそんなことはおかまいなしに距離を詰めてくる。自分は後退しようにも後ろは無骨なビルの壁で、退路を絶たれている。横や脇に移動するのは逃げるみたいで気に入らない。それにレンズが男から逸れてしまう。どうあっても撮らせてくれる気はないということだろうか。

「お前っ!ズルイぞ!!」

思わずルフィは声をあげた。それでも男の歩みは止まらない。

「お前にとったらその辺の石ころみたいな命かも知れねェけど、おれにとったら大事なもんなんだからな!いいじゃねェか、ちょっと写真に撮られるくらい!」

なんだかヤケである。

「撮った写真だってお前がどうせ処分しちまうクセに!」

男の歩みが止まった。ルフィの胸に銃口がおしあてられ、それ以上進めなくなったせいだ。

「こんな近くじゃねェと当てる自信ねェのかよ」

ルフィの罵声は止まらない。こうなったらもう意地だ。絶対にシャッターは切ってやる。そう決めてカメラを握る手に力をこめた。

「何様のつもりだ?」

男の声がする。ルフィとは対照的に静かな落ち着いた声音だ。今から人を殺そうとしているなんて思えない。

「おれの一部だって切り取れると思うな。関わりたければ、てめェが舞台に上がれ」

たぶんきっと、この時ルフィは撃ち抜かれたのだ。カメラが手からスルリと落ちて路面に転がった。カシャン、となにかが割れる音がした。あ、またサンジに怒られるな、と緊張感のないことを思った。そんな時間はきっと来ないはずだとわかっていながら。

 レンズを通さずに、男の顔を見る。ずいぶん近くに来ている。ひやりとした銃口を胸に押し当てられているのだから、近いことはわかっていたのだけれど。レンズ越しだともう少し、距離があるような気がしていたのだが、今は、息がかかるほどに近い。ルフィには自分の心臓の音と、男の息遣いだけしか聞こえなくなっていた。

「たいていの奴はこういう場合、目を瞑るものだが」

男が言った。こういう場合。死に至る瞬間。衝撃が予想される場合は尚更。

「やだよ。もったいねェ」

ルフィは目を閉じない。睨みつけるかのように男を凝視している。最後の抵抗、というよりも、せめて見ておきたかったのだ。男がどんな顔で引き金を引くのかを。カメラのレンズを通してではなく、自分のこの目で。

「勝手にしろ」

男の顔がさらに近づく。あれ?と思った時にはもう、既に唇は重なっていた。

 

 

 目は開いていたけれど、顔もなにもよくわからない状態になっていた。ルフィの頭の中は混乱の2文字に支配されている。ひとまず、息ができない。こんな殺され方もあるんだろうか、と考えたりもしてみた。そういえば心臓の音が聞こえなくなってる。自分でも気づかないうちに撃たれてしまったのだろうか。息を吸おうと口を少し開いたら、なにかが口の中に入ってきた。それは歯列を往復したと思ったら、たちまちルフィの舌を絡めとった。それが男の舌だということを理解した頃には、ルフィの体からすっかり力が抜けていた。

 ビルの壁にもたれたまま、ずるずると座り込む。苦しくて涙のにじんだ目でルフィは男を睨みつけた。何か言いたいのだが、頭の中で、言葉がうまくまとまらない。

「弾切れだ」

男はそれだけ言うと、銃を上着の下のホルスターにしまい、また、なにごともなかったかのようにルフィに背中を向けた。今、銃を手に持っていたら、引き金を引いたのは自分かもしれない。ルフィはぼんやりそう考えた。

 

 

 男にとって「別れ」とは常に「死」であった。言葉もなく、手を振ることも、背を向け合うことすらなく、ただ、一方的に望まぬものに死を与える。機械的にこなさなければできない仕事だった。これだけ他人の死に触れておきながら、男は今日、初めて、自分の死を思った。今、背中を向けているこの標的に、撃ち抜かれるなら悪くはない、そう感じた。もっとも、すでに撃ち抜かれていたのかもしれない。あの視線に。

 ホルスターの中には一発だけ弾が装填された銃。男が仕事をする際の習慣だ。引き金を引かなかったのか、引けなかったのか、男にはもうわからない。考える気さえ起こらなかった。ただ、あの目を閉じさせたかっただけなのかもしれない。

 ただひとつ、確信を持って言えることがあるとするなら、もしも本部がルフィのことを知ったら、男はきっと組織を追われることになるだろう、ということだった。けれどそれも悪くない。男は知らず微笑んでいた。

 

2004.11.7UP

 

 

短いですが。

ひとまずキリのいいところで。

っていうか、これで終わっちゃってもいいかなぁ、

という気もしてます。

とりあえず、あと1回の予定ですが、

次で終わらなければ長くなるでしょう・・・。

 

 

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