4.

 

 腰が抜けて立てない、なんて、後ろから殴られて昏倒、より何倍もかっこ悪い。

 完全に壊された。なんだかルフィはそう思った。

 部屋に戻って真っ先に風呂を沸かした。ほんとは滝にでも打たれたかった。

「修行が足りねェ・・・」

あんなことしやがって!!生きていることを喜ぶ気にはなれなかった。別に死にたかったわけではないけれど。あれはいったいなんだったんだ。思い出すと頭に血が上ってくる。ルフィはそれを怒りのせいだと思いたかった。

 実際ふんだりけったりだと思う。結局一枚も撮らせてもらえなかった。その上、新しいカメラは案の定、レンズに傷ができていた。いや、自分が生きていること自体ルフィの予定にはなかったのだけれど。見方を変えれば僥倖なのだが、どうにも腑に落ちない。絶対腑に落ちない。ルフィは湯船に顔を半分沈める。

 あの男はなんと言ったか。「何様のつもりだ?」と頭の中をあの声がよぎる。そしてルフィはブクブクと沈んでいく。少しの間、風呂場を静寂が覆う。

「っぷはぁっ!!」

危ない。風呂で溺死はかっこ悪い。たぶんあの男の言う意味は、ルフィの写真に対する姿勢のことだと思う。写真を撮る、という作業はレンズの中の世界に対して、第三者であり続けるということだ。レンズの中の世界に対して、ルフィは絶対の第三者であった。ただ、通り過ぎるだけ。瞬間を切り取ってしまえばあとはまた、別の世界を捜す。それをあの男は傲慢だと言うのだろうか。

「アイツにそんなこと言われる筋合いねェよな」

一人、呟く。ルフィの写真はどこまでも「キレイ」なのだそうだ。「綺麗な世界」。それはきっとその世界に自分が存在しないからだ。だからどこまでも客観的でいられる。あの男は話したこともなく、きっとルフィの写真も見たこと無いくせに、そんなところまで見抜いている。ルフィは初めて男を怖いと思った。自分が自分でなくなるような、そんな恐怖感。

 忘れてしまおう、と思った。もともと自分は物覚えの悪い方だ。そう結論を出した。住む世界が違う、というのはたぶんこういうことを言うのだ。

 本当に撃ってくれたらよかったのに。あの黒いピストルで。どうせ胸が痛いのは同じなのだから、一瞬で済む方がよかった。ルフィはちょっと泣きそうになり、あわてて顔に湯をはたいた。

 

 

 今日を乗り越えればなんとかなるはずだ。あれからまた一ヶ月弱。次の月齢14.8。なぜかあの男に出会う日だ。なんだかちょっとしたホラーみたいだとルフィは少し笑った。獲物の方がのこのこ出かけてしまうのだから、オオカミ男よりもドラキュラの方がイメージだろうか。いや、ルフィの認識としては、あっちの方が獲物のはずだったのだが、それを持ち出すとまたカメラを抱えて走り出しそうになるので、一時棚上げしておく。

 今夜を乗り越えればたぶんもう会うことはないはずだ。向こうだってルフィが自分を撮ることをあきらめたと知れば、またやってくることはないだろう。たぶん。だいたい今日も来るとは限らない。忘れると決めたのだ。もう、早く眠ってしまおう。明日になればきっとすっきりしているはずだ。そう思うのだけれど、こういう時に限ってなかなか寝付けない。こういうこともあろうかと昼間のうちに用意しておいた秘密兵器をルフィは登用することにした。即ち。アルコールである。

 ルフィは酒にはあまり強くない。そして詳しくもない。昼間もたいして考えもせず、目に付くものを次から次へと購入したので、机の上には大量のアルコール飲料が種類問わず積まれている。原料が麦であったりとうもろこしであったり、葡萄であったり米であったり。とりあえず、手近にあったものから封を切ってみた。幸運なのか不運なのかはわからないが、たまたま最初に手にしたそれは口当たりのよい果実酒で、かなり早いピッチで飲むことが可能であった。サンジ辺りが見たら、明らかに顔を顰める飲み方であったろうことは想像に難くないが、ルフィにはそんなことを考える余裕はない。

 一本を空けたところで、顔が熱くなり、その場で仰向けにひっくり返る。一本でこんなに気持ちよくなるのなら、こんなにたくさん買うんじゃなかったなぁ、と後悔しつつも、このまま眠れるといいなぁ、と目を閉じようとした。

 仰向けに転がった頭の上には、ベランダに出る掃き出しの窓があり、閉じようとする目には空が映った。黒い空の中を白いものが舞っている。ルフィは酔っ払い独特の思考の末、カメラを持って外に出た。雪だ。黒の中を舞う白をカメラに収めておきたいと思った。他にはなにも考えていなかった。と思う。

 ふらつく足で部屋の外に出る。レンズは新しいものに替えていた。エレベーターで一階まで降りて、エントランスを抜ける。いつから降っていたのだろうか。地面はすっかり白くなっていた。あいかわらずフラフラとした足取りで、特に意識もしないままにいつもの路地裏に向かっていた。

 ビルに切り取られた空の写真を何枚か撮る。上を向いたまま動いていたら、雪に足をとられ、そのままひっくり返った。雪のせいかあまり痛くない。酔いのせいか、あまり寒さも感じない。道路上で仰向けにひっくり返ったまま、ルフィは落ちてくる雪を眺めていた。雪は白くて好きだ。黒かったら嫌いになるのだろうか。なんだかまた泣きたくなった。自分が酔っている、という自覚はあった。なんで酔っているんだろう、と考える。そうだ、眠らなくちゃいけないからだ。そう思ったら一気に睡魔がやってきた。このまま眠れそうな気がして目を閉じる。

「お前、バカだろ」

その時あり得ない声を聞いたような気がした。会わなくてすむように自分は眠るのだし、そもそも今夜は月が出てないのだから、いるはずがないのだ。

 

 

 どこからか目覚ましの音が聞こえる。携帯の音だと気づき慌てて発進源を探す。身体が思うように動かない。やっとの思いでサイドテーブルにあった携帯を手にする。

「なんだ、寝てたのか?」

サンジの声だ。

「・・・うん」

頭が痛い。声も少しかすれている、気がする。

「風邪でも引いたか?」

「いや、たぶん二日酔い・・・」

徐徐に記憶が戻ってくる。不意に表れた記憶にルフィの頭は一気に覚めた。

「ごめんっサンジ!あとでかけなおすっ!」

言って電話を切る。自分の声に頭がクラクラした。深酒はよくない。滅多にしない後悔をしてみる。身体中がだるい。ところで今何時だろう。外を見る。晴天である。携帯を見れば12時35分。降っていた雪も今ではすっかり止んで、ベランダに積もっている雪も融けかかっている。せっかくの雪なのに外に出られないのは痛い。いや、出ようと思えば出られるのだが、どうにもそれどころではない。

 いっそ風呂にでも入ろうか。と、まとまりのない頭で考える。服を着るのも面倒だ。風呂を洗って、湯を張る。机の上に目をやれば、山ほどあった酒が、殆ど無くなっている。結構飲むらしい。いや、自分が無理に勧めたような気もするのだけれど。嫌いだったら勧められたくらいでここまで飲まないだろう。空きびんを片づける。なにかをしていた方が気が紛れる。こんなに真剣に掃除をするのは初めてだ。まるで犯行現場の痕跡を消そうとしているみたいだ。もともと痕跡なんて、そう、残っていないのだけれど。

 風呂の沸いたことを知らせる音が聞こえた。そのままフラフラと浴室に向かう。湯船につかるとそのまま沈んでしまいたくなった。成程、これが自己嫌悪というやつか。こんなに落ち込むのは生まれて初めてかもしれない。

 

 

 なぜ自分はあの場所に行くのだろう。いつも疑問に思いつつ、答えを出せないまま身体が勝手に動いている。夕方から降り始めた雪が歩道に降り積もっていく。雪は視界を悪くするので、仕事をする際は悪条件のひとつになる。雪を踏む音がするのもマイナス要件だ。降りが強くなってきている。傘を購入するべきだったかもしれない。この降りの中では傘をさしていた方が目立たずにすむだろう、と判断したせいだ。けれど、傘を買う気にもならなかった。一番良いのはこのまま引き返すことだとわかっていたからだ。その選択肢を選ばない以上、傘の有無はたいした問題ではない。

 いつもの路地に着く。いつもと言ったところでまだ4度目だ。いや、もう4度目なのか。一度目は必要だった。2度目と3度目はよくわからない。今夜になってもそれは変わらない。わからない、のだ。自分があの場所に行く理由も、ルフィがあの場所にいる理由も。いなければいい、と思う。そして、ルフィがいなかったことに自分はホッとしたのだ。これで理由がなくなる、と。けれど、路上で雪に埋もれて寝かかっているモノを発見した時点で、また男の中を、わけのわからない感情がうずまいた。このまま引き返すのが一番良い判断だ。それがわかっていてどうしてその通りに動けないのだろう。

 軽く「それ」を蹴ってみた。こんなところでこの雪の中眠っているなんて正気の沙汰ではない。自殺願望でもあるのだろうか。前回会った時のことを思い出す。ならば今自分がやろうとしていることは余計なことだろう。けれど今自分がここにいること自体が余計なことだ。

「お前、バカだろ」

思わず呟いた。ずっと閉じさせたいと思っていた目が今はちゃんと閉じられている。それだけのことで、どうして自分は落ち着かなくなったりするのだろう。これは、たぶん、不安だ。男は黙ってルフィを抱え上げる。そのままルフィの住むマンションに向かう。部屋のドアは開いていた。

 男は顔を顰めたが、そのまま部屋に入った。ドアを開け、中に入ると、左手に廊下があり、廊下の左右にはそれぞれドアが二つずつあった。左側のドアは十中八九、風呂やトイレの類だろう、と判断し、一つ目の、つまり玄関から一番近いドアを開いた。そこは台所兼リビングのようだった。部屋の右側にガスコンロと食器棚があり、ガスコンロから直角に流し台と冷蔵庫がある。その向こうはカウンターになっているようだ。男の目に真っ先に入ったのはその5ドアの冷蔵庫だった。調べによると一人暮らしのはずだったが。

すぐ左側にもドアがある。廊下にあった二つ目のドアと辿り着く部屋はきっと同じだろう。男はルフィを抱えたまま、そのドアを開けた。窓のないその部屋は雑然としており、流し台のようなものや、変わった形のスタンド、男にはわからない、いくつかの機材があった。たぶん、写真を現像するための暗室だろう。

 男は台所に戻る。カウンターの向こうにはテーブルがあり、ソファがあった。テーブルの上にはウイスキーや、バーボン、ブランデー。雑多な種類の酒がいっぱいに置かれていた。テーブルの下には空になった果実酒の瓶。酔っていたのか、と少し納得する。突き当たりは掃き出しの窓になっていて、ベランダが見えた。雪が積もっている。部屋の左側にある二つ目のドアを開ける。ようやく目的地だ。

 男はルフィをベッドの上に投げ出した。布団をかぶせるべきか少し悩んだが、そこまでする必要性も見当たらないのでそのままにしておくことにした。今夜もまたわけのわからない行動をしている、と思う。あのまま放っておけなかった自分に腹を立てる。テーブルの上の酒瓶をひとつふたつ持って帰ろうか、と思った。それくらいの見返りはあっていいだろう。帰ろうと踵を返したが、なにかがそれを阻んでいることに気がついて振り返る。見れば、コートの裾をしっかりと掴まれている。そしてその手の持ち主の目は、しっかりと開かれていた。

 

 なんでこんなことになっているのか、つかめない頭で、男は酔っ払いの相手をしていた。もちろん、相手をする、なんてレベルではなく、単に勧められるままに酒を飲んでいるだけだったが。ルフィの方はあれやこれやといろいろ話し掛けてくるのだが、男はロクに返事もしない。

 少しの間、沈黙があった。飽きるなり、眠るなり、したのだろうか、と顔をあげればルフィは男のすぐ隣に移動していた。少し自分も酔っているのだろうか。特に行動を起こさず、ルフィが何をする気なのか、ただ見ていた。カメラは近くにはない。ルフィの手が動いて男の頬に触れた。

「あぁ、いるな」

ルフィが微笑んだ。

「何故、泣く?」

男の眉が顰められる。ルフィは笑っているのに、その目からは涙が湧きあがっていた。

「あれ?」

手に落ちた雫を見て、ルフィは呟いた。どうやら自覚がなかったらしい。酔っ払いには往々にしてあることだ。男は自分の中でそう結論づける。意味などない。けれどルフィの出した答えは男の範疇を越えていた。

「淋しいからかな」

「淋しい?」

聞き返す自分の声をどこか遠くで聞いていた。

「お前がここにいるのに、独りなのが淋しい」

男にはルフィの言うことがわかるような気がしたし、まるでわからないような気もした。ただ、触れてくるその腕をとって、抱き寄せた。ルフィは体温を求めていた。男はそれに応じた。その行為にどんな意味があるのかもわからなかった。ただ男がルフィの中で達した時も、ルフィは男の肩に回した腕の力を緩めようとはしなかった。

 

 

 誘ったのはルフィの方だ。浴槽に沈みながらルフィは思う。ルフィが求めていたものが愛情ではないとわかっていて、あの男もそれに応えたのだ。それでもあの行為がルフィに安心をもたらしたのは確かだった。魂の近いモノと体温を分かち合う安心感、とでもいうのだろうか。そう、たぶんあの男とルフィは似ているのだ。表面的なものではなく、言うなれば魂の形が。

 酔っていたのは確かだろう。この頭痛もそれを物語っている。けれどあの時、淋しい、と思ったのは本当だった。今までに感じたことのない感情だった。独りが淋しいなんて思ったことがなかった。というよりも自分が独りであることに気がつかなかった、と言った方がいいのだろうか。ただ、あの男と差し向かいで酒を飲んでいるという非現実感と、男がルフィをまるでそこにいないようにふるまっているのが、ルフィにそのことを感じさせた。男の孤独が伝染したのかもしれない。この男は淋しさを淋しいと感じることもないのだろう、と思うと余計に淋しくなった。また目の奥が熱くなってきてルフィは湯船に顔をつける。

 あの男はこれからどうするのだろう。たぶん、あの男にルフィはもう殺せない。なんとなくそんな気がする。似ているからこそ理解できる部分だ。ルフィは自分のこれからを考える。ひとまず風呂から出たら、部屋の暖房をつけて、サンジに電話をしよう。そして腹いっぱいに朝昼兼用のメシを食おう。

 また会えるだろうか。次に会ったら、まず、昨夜のお礼を言って(謝るべきかもしれないけれど)、教えてもらえるかわからないけれど、名前を聞いてみようと思った。

  

2005.1.9UP

 

 

久々の更新です。

やはりなんというか、毛色の違う話だなぁ、と。

今回で終わりませんでしたが、

長くなるのかと問われると見当もつかず、

のんびり更新でやっていこうかと、

思ったり、思わなかったり。

気を長くしてお付き合いいただけたら嬉しいです。

 

 

 

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