STING
1.
客の到来を、ゾロは階下のチョッパーの声で知った。チョッパーは人見知りが激しく、気配に敏感だ。チョッパーに声をかけ、ゾロはパソコンの電源を暗号装置を作動させてから、落とす。訪問客は今月に入って2度目。イレギュラーな事態でも起こったか、と、少し怪訝に思いながら一階に下りる。チョッパーが居間のソファに隠れて、ドアを見ている。ドアホンが鳴り、ゾロは山の中の別荘には少々不釣合いとも言える、厳重なダブルロックを解く。 ゾロがロックを外すのを見ると、チョッパーはキッチンの方へ移動した。ドアを開ける。入って来たのは、二人組の男女で、ゾロの同僚、と言ってもいい。ただ、配置されているセクションが違うので、仕事の内容は大いに異なる。もちろん顔は見知っているが、それでもこの二人がここに現れる理由がよくわからない。 「用件は」 ゾロが愛想もなにもなく切り出す。 「その前に遠路はるばるやって来た客に対して茶のひとつぐらい出せねェのか、てめェは」 男の方が言う。ゾロはこの男とは反りが合わない。けれど優秀であることは知っている。女の方も同様だ。こんな優秀な職員が二人で、こんな山奥に何の用があるというのだ。 「酒ならあるが」 「仕事中よ。やめておくわ。サンジくんも余計なこと言わなくていいの」 「はい、ナミさん」 この男は上司でもあるこの女の言うことにだけはやけに従順だ。ゾロが知らないだけで、他の女に対しても従順なのかもしれないが。 「座っても?」 「勝手にしろ」 女、ナミがソファに座る。優雅な立居振舞だ。男、サンジは座らずにソファの横に立つ。 「仕事の方はどう?」 「普通だ。急げ、という話は聞いていない」 ゾロも立ったまま応対する。 「ふもとの街に新しく出来たホテルを知ってる?」 「知らない」 「たまにはそういう情報も仕入れておきなさい」 「おれの仕事は情報を仕入れることじゃない」 ゾロはそう言ってキッチンに入り、冷蔵庫からビールを取り出す。居間に戻り缶を開ける。プシュ、と炭酸の抜ける音がする。サンジが眉を顰めたが、知ったことではない。ためらわず口をつける。 「そこで、ひとりの人間に会ってもらいたいの」 「それだけを言うためにわざわざこんな所まで来たのか?」 「そうよ」 ゾロは少し考える。様々な可能性について。 「本社の仕事か?」 「当たり前でしょ」 ならば余計に腑に落ちない。 「おれの仕事は現場に出ることでもない」 「でもアンタじゃなきゃダメなのよ」 ゾロの眉間に皺が刻まれる。 「先方がお前をご指名だ」 サンジが告げる。ゾロの名前は表には出ないはずだ。と、ますます眉間の皺が深くなる。 「正しくは、『政治観によらぬ亡命についての一考察』の執筆者、という指名」 それはゾロが、ある機関誌に提出した論文のタイトルだ。 「ぜひ意見を交換したいのですって」 「相手はアナリストなのか?」 「えぇ。ある王国のね」 とても胡乱な話だ。そんな話のためにこの二人を使うものだろうか。 「言っておくけれど、これは決定事項よ。あんたに酒を飲ませるために国は金を出してるんじゃないわ」 気が進まない、ではすまされない、ということだ。ゾロはため息をつく。 「そこでおれになにをさせたいんだ」 「お喋りだよ。先方がなにを思って、この国にやってくるのかを聞き出してくれればいい」 簡単に言う。そんな口の軽い人間にアナリストは勤まらない。そもそも、アナリストは後方だ。顔を知られること自体を厭わなければならないはずだ。 「先方のデータは?」 「名前はイガラム。」 「それだけか?」 「それだけよ」 ナミが言い切る。なにか隠されているのは間違いないが、ここで粘った所で、口を割るような人間ではないし、こちらも無駄に消耗する。既に決定は下されているのだ。 「ホテルはイガラム氏の名前で予約をとってあるわ。あんたはそこへ行って、氏と会談し、その結果を報告書にまとめて提出する。簡単な仕事じゃない。」 イガラムというのは本名ではないらしい。本名で予約をいれる職員はいない。 「ガードはつくのか?」 尋ねる。ゾロの属する、分析セクションの職員の抱えている情報の量は工作セクションの職員の比ではない。そして、工作員のような訓練を受けていない分、誘拐されたときに口を割りやすい。本来ならば決して表には出さずに、その存在自体を秘匿されてしかるべきものだ。 「必要?」 ナミが少し微笑んで言った。ゾロの適性が、分析官よりも、工作員であることを揶揄してのことらしい。実際ナミにはこれまでに、何度も配置替えの打診を受けている。 「当たり前だ」 ゾロは憮然と言い切った。ゾロ自身も自分の適性が工作員であることは重々承知していたが、どうしても工作セクションのあの特権意識とある種の団結力は好きになれない。人間嫌いと言ってしまえばそれまでの理由だった。少なくとも分析はデータさえあれば一人で出来る。本来、分析セクションも本社内にあり、多くのアナリストが勤めている。ゾロはムリを言って、「本社勤め」から離脱を図った。まるで神にでもなったかのように、現実の物事をデータとしてしか割り切れない、百の犠牲が出ても、千を生かせれば良しとする考え方も好きになれなかったせいだ。本社とは遠く離れた山奥の別荘に移り住み、仕事内容は全て秘密回線を通し、特殊な暗号に切り替えて本社に送信する。現在、ゾロの取っている仕事のスタンスだ。全ての入口は特殊なダブルロック。屋内外に、複数の重量感知システム。山奥の別荘には不釣合いなセキュリティの原因はここにある。 本来、この場所さえも機密事項であるはずだ。だからこそ、この二人が現れた。そこまではいい。その依頼の内容だ。なにを隠しているにしろ、会談が無事にすむ保障はない。単にアナリストとしての議論を交わす。それだけのプライベートな会談ならば、本社がこうまでして動くはずもない。ゾロは年に一度の基礎訓練を受けたキリなのだ。尾行や急襲にとっさに対応できるとは思えない。 「ガードはつける。これを持ってろ。緊急チャンネルは37」 サンジが小型の無線機を投げてよこした。携帯電話の電波は傍受される危険性が高い。あらかじめ決めておいた周波数によって、自分の危険、及び場所を特定させるものだ。 ゾロは無表情にそれを受け取った。 「いつだ?」 「明日、午後4時。わかっていると思うが、時間厳守だ。」 ゾロは頷いた。気に入らない。が仕方がない。 「用件は以上だな」 「えぇ」 ナミが立ち上がる。座るときと同じ、優雅な動作だ。ふと思いついたようにナミが振り返る。 「今日もチョッパーは出てきてくれないのね」 その言い方が今までとは対照的に残念そうな口調だったのでゾロは少し苦笑した。ナミは少なくとも人間である。そこは同僚たちよりも好感が持てる点だ。 「仕方ねェ、アイツの人見知りは半端じゃねェからな」 「でもゾロにはなついてるじゃない」 「おれが預かってんだから当たり前だ」 やっぱり女はああいう生き物が好きなんだろうか。いや、女と一括りにするのは間違いだ。好きじゃない女もいるし、好きな男もいるだろう。ナミはチョッパーが気に入っている、それだけの現象だ。 「そのうち慣れてくれるようになるよ」 サンジがナミに言う。慣れるほど来られたら迷惑だ。 「うん。そうよね」 どこまで本気かわからない。 「じゃぁ、ゾロ。くれぐれもよろしくね」 一番わからないのはその依頼内容だ。おれがそのアナリストに会うことで、この国にどれだけの利益が出るというのだろう。あるいは、おれがそのアナリストと会わないことで、どれだけの損失があるというのか。その某国、がこの国にそれだけの発言力を持っているということか。ナミは確か王国、と言ったか。 二人を送り出した後、ゾロは再び二階に上がり、パソコンを立ち上げる。勿論幾重にもセキュリティが働くので、起動させるのもひと苦労である。立ち上げた画面にゾロは一番可能性の高い国名を入力する。 「アラバスタ王国」
ゾロの住む別荘から車で二時間半。新しく出来たというそのホテルに辿り着いたのは午後4時10分前であった。別段珍しくもない、普通のシティホテルだった。 「イガラムという名で部屋がとってあるはずだが」 フロントに声をかける。クラークはまったくの無表情で応える。 「イガラムさま。1315号室ですね。お連れ様はすでにお待ちになっておられます。」 礼を言ってエレベーターに向かう。ゾロには少し意外であった。てっきり、自分がその部屋で相手を待つものだとばかり思っていたからだ。それに約束の時間にはまだ10分ほどある。あの二人の指定した時間だ。本来の待ち合わせ時間よりも早く設定してある可能性も捨てられない、と思っていたのだが。 エレベーターがやってきて、乗り込む。二人の男と乗り合わせることになった。ゾロはためらわず、15階のボタンを押す。二人の男は18階と21階をそれぞれ押した。エレベーターの扉の上には、各階の案内が表示されている。2階から20階までが客室。2階は201号室〜215号室、20階は2001号室〜2015号室、と各階に応じた部屋番号となっていた。昔は13階を嫌うホテルもあったようだが、このホテルには普通に存在している。今はそんなことを気にする客も少ないのだろう。 21階にはいくつかの料理店。22階はスカイラウンジ、とある。バーがあるのだろう。今の時間では開店していないだろうが、帰りはどうだろう?ゾロはのんきに考えた。ある種の希望的観測、と言い換えてもいい。何事もなく会談がすぎる。そんな希望的観測だ。 エレベーターの階数表示が15を示す。扉が開き、ゾロはエレベーターから降りた。そのまま歩みを止めず、階段に向かう。こんなことで尾行の有無がわかるとは思えないが、一応、やらないよりはマシ、という程度だ。13階に下りる途中、足音がした。ゾロは気配を殺す。こんな高層ホテルで非常時以外に階段を使う人間は珍しい。従業員か、非常事態が起こったのか、それともゾロのように秘密を抱えた人間か。 足音は落ち着いている。他に階段利用者がいないかどうか伺っているフシもある。3番・・・とゾロは心の中で呟く。14階の踊り場に座り込み、そっと13階から出てきた足音の主を伺う。顔はちらりとしか見えなかったが、それ以上近づけば、気づかれる恐れがあった。この国の人間ではない。男は素早く階下に消えて行った。 これでイヤな予感がしない方がおかしい。このまま家に帰って、酒でも飲んで寝たいところだと思う。少し時間をおいて、ゾロはゆっくり立ち上がり、部屋に向かった。1315号室は廊下の端、一番奥の部屋だった。向かいの部屋も隣の部屋も存在しない。あるのは上下だけ。各階にある、VIPルームのようなものなのだろうか。 一応、ノックをしてみる。思ったとおり反応はない。ゾロは周囲を見回して、ポケットからカードキーを取り出した。あの別荘のセキュリティを担当した男からもらったものだ。停電時の時のために、と言ってくれたものだが、たいていの電子錠はこのカードで開けられる。ゾロがまともに話す、数少ない同僚に心の中で少し詫びながら、カードをドアに差し込んだ。念のためにハンカチでドアノブを持ち、素早く部屋の中に入る。 中はやはり、VIPルームらしく、かなりの広さを有していた。今、ゾロの立っているゲストルームには誰もいない。奥の扉に手をかける。ベッドルームへの扉であるが、もうノックする気は起きなかった。無造作にドアを開ける。普通のホテルのシングルームよりも格段に広いその部屋のベッドの横に備えられた椅子に、やはり無造作に彼は腰掛けていた。腰掛けていたものか、腰掛けさせられたものかはゾロの目には判断がつきかねた。ゾロにわかることは「彼」が完全に絶命している、ただそれだけだった。 何事もなかったかのように、ゾロはまた階段を使い、15階から下りのエレベーターに乗り込んだ。今度は居合わせる人間もいない。一階ロビーに降り立ち、フロントに寄る。さっきのクラークに話し掛ける。 「先方はどうやら出かけているようで、ノックしても返答がないんだ。もしも戻られたら、今日約束をしていた者がまた伺う、と言っていたと伝えてくれ。」 「かしこまりました。お客様、お名前は?」 クラークは相変わらずの無表情である。 「いや、そう伝えてもらえればわかるはずだ。」 それでもクラークは表情ひとつ変えず、恭しく礼をした。 ゾロはホテルを出て、一番近くの公衆電話から「本社」に連絡した。いくつも回線が切り替わる。 「待たせすぎだ」 ナミが出るまでに5分と23秒かかった。逆探知が働いていることも了解済みだが、この状況で待たされるというのはあまり気分のよいものではない。 「なんで、この時間にアンタから連絡があるのか聞いていいかしら?」 ナミの声が硬い。当然だろう。本当なら会談は始まったばかりだ。 「ホテルに着いたら先方が先に着いているとフロントで言われた。部屋まで行ったが応答がない」 「なんらかの処理が必要な事態?」 ナミは頭の回転が速い。そうでなくてはやっていけない仕事ではあるが、こういう時には素直に感心する。 「なんとかするわ。とりあえず一日待って。こっちも情報が少し混乱しているの。明日、またそっちに行くわ。私じゃなくても、本社の者が」 「できればお前が来い。」 ナミが意外そうに黙る。 「そして、全部説明しろ」
昨日はさんざんな目に遭った。気乗りのしない場所に二時間半もかけて出向き、一時間といないうちに、三時間半かけて戻るハメになった。渋滞に巻き込まれたせいだ。ついでと言ってはなんだが、買出しをしたので、まるきり無駄だというわけではないが。絶命していた男の顔を思い出す。あれが「イガラム氏」だろうか。どこまで本気かわからないが、ゾロの論文を評価した、大国のアナリスト。ゾロは死体を見た数分後には何事もなかったかのように買い出しなどできる自分の無神経さに腹が立った。所詮、自分も「本社」の人間だということか。 ソファーの上で寝ていたチョッパーが、何かを感じ取ったように起き上がる。エンジンの音が聞こえたようだ。チョッパーの頭を撫でて、しばらくたつと、ゾロの耳にもそのエンジン音が聞こえるようになった。ドアホンが鳴る。ゾロはインターホンの受話装置を取り、手短に相手を確認する。その様子にチョッパーはまたキッチンへ隠れた。ナミはお前のことを気に入ってるようなんだがな、と少しゾロは苦笑して、訪問客を招きいれた。 「・・・最悪よ」 いつも最悪のことを想定して動いているはずのナミが開口一番呟いた。 「死んでいたのはイガラム氏、なのか?」 「とりあえず、身元不明。」 煮え切らない態度だ。 「どういうことだ?」 「うちの方でもイガラム氏の顔写真なんかは手に入れられなかったのよ。あんた宛のご指名だって、本社の直通電話を通じて行われたものだったしね。」 「正式な訪問ではなかった、ということか」 「そうよ。『本社』としてはその目的が知りたかった。あわよくば、あの国の情報も」 「うちとアラバスタに国交はない」 「・・・気づいてたの。」 「当たり前だ。」 「だからことは秘密裏に行う必要があった。一番の問題は本社が動いたことが他国に知れることだわ。だからどうしてもうちはこのことを表沙汰にはできない。大使館を通じての正式な入国でないことも見当がついてるわね?」 ゾロは頷いた。 「だからこそ、先方の動向には工作班が目を光らせていたはずだろ」 「・・・撒かれたのよ。」 ナミが苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。 「先方があのホテルを指定していたことも工作班を油断させる材料になったんでしょうけれど。そうして行方をくらませておいて、何か別の目的があったとしてもよ?約束のホテルで殺されてたんじゃ、なにが目的、もないもんだわ」 珍しくナミが投げやりである。 「元から命を狙われていたとしたら?」 「それだと、お前を指名する意味がわからない。」 ずっと黙っていたサンジが初めて口を開いた。確かにそうだ。保護を求めるならもっと良い方法はいくらでもある。 「でも現に殺されてる。それに犯人はこの国の奴じゃない。たぶんフリーのランサーだ」 「犯人を見たような口ぶりだな」 「たぶん見た。」 「・・・・早く言え」 二人の声が揃った。 それからのナミの行動は早かった。この国に滞在中のフリーランスの外国人の名簿を、持っていたノートパソコンではじき出す。主に、傭兵、除隊された軍人、運び屋、そういった連中で、尚且つ、本社のリストに一度はマークされた者だ。その動向を洗うようにデータを送信する。ナミは総務よりも分析が適性だとゾロは思っている。自分よりも優秀な分析官になるに違いない。だからこそナミは総務なのだ。たぶん自分と同じ理由に違いない。ナミは一仕事終えると、ため息をついた。ゾロはナミが仕事をしている間にキッチンに立って、お茶をふたつ淹れた。ペットボトルのウーロン茶だが、ないよりはマシだろう。 目の前に置かれたグラスに二人は目を丸くする。 「一昨日、茶を淹れろ、といったのはそっちだ」 ゾロは無表情に言う。昨日買ったものだった。 「いただくわ」 ナミとサンジは少し笑ってコップを取った。しばらくしてパソコンがメールの到着を告げる。ナミが幾つものロックや暗号が施されたそのメールを手早く開いていく。 「この中にほぼ60時間、行方の知れないのが一人いるらしいわ。ちょうど、氏が行方不明になったのと同じ頃ね。」 「どういう奴なんだ?」 「国籍不明。一度殺人の指名手配を受けたけれど、某国の要請により取消し。非公式だけれど、たぶん、この国で1.2を争う、殺しのプロよ」 「名前は?」 「モンキー・D・ルフィ」
2004.11.21UP スミマセン。 こう、魔が差したとでもいうのでしょうか。 たぶんウチのお客様の90%を占めるルフィファンの皆様の ツッコミが聞こえてくるかのようです。 文句なくゾロ主役の文を書いてみたくなりまして。 ちょっと軽めのノリのものを書きたかったのもあります。 2の更新は早いと思いますので、 出来ればご容赦願います。
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