STING

5.(おまけ。あるいは後日談)

 

 ビビは全治六ヶ月の診断を受けた。残る傷もあるらしい。ナミが眉間に皺を寄せて伝えてくれた。出血の割に傷が浅かったのか、と呟けば、浅くないわよ、と怒られた。あれから一ヶ月が経過した、ゾロの住まいでの一幕である。

 服務規程違反によりゾロは処分されることを半ば覚悟していたのだけれど、関係者が生存していたことと、二人の殺し屋を政府に引き渡したこと、更にはアラバスタ王国の口添えもあり、一ヶ月の謹慎、三ヶ月の減俸で済んだ。ゾロにしてみれば複雑なところだ。処分されるのであれば工作員と戦うつもりであったし、処分されずに解雇、ということであれば、この先一生ついてまわる干渉と監視から逃れる算段を考えるつもりだった。本社にはいられなくなる、ということがひとつの前提であったにもかかわらず、このぬるま湯のような処遇にいささか出鼻をくじかれた気分にもなっていた。

「この温情処遇のなにがそんなに気にいらねェんだか」

サンジの言うことも尤もだとは思う。謹慎といったところで、もともとゾロは出歩いたりしないし、減俸と言ったところで、別段何かを買う予定もない。また元の生活に戻るだけなのだ。自分は運がよい、と言っていいのかもしれない。けれどなにかが引っかかる。

 この一ヶ月、ゾロは今回のアラバスタにおける軍縮にまつわる分析結果をまとめていた。預かっていたROMはゾロからビビの手に、そして、ビビから国王の手に渡ったに違いない。ダズが捕まった時点でクロコダイルの失脚は決まったようなものだったが、やはり敵はクロコダイルだけではないのだろう。軍縮を推進させるということは、容易ではない。二週間ほど前の軍事会議でこのデータは公のものとなったが、いくつかの質疑応答を踏まえたデータをこの国が欲しがった。確かにそれを作成するにはゾロ以外の適任者はいなかっただろう。そのデータをまとめたのがつい昨日。それでゾロとこの一件の関わりは完全に絶たれる。すべては終わったこととして、また元の生活に戻ればいいだけの話だ。

 たぶん、戻りたくないのだろう。自分は。たった5日で違うモノになったかのような気がしていた。実質的には3日にも満たない。交わした言葉だってそう多くもない。そしてまた思考がひとつの場所に辿り着いていることに気づいて苦笑する。そういえば、ルフィと逢った翌日から、ずっと自分はこんな風だったような気がする。これもひとつのバグなのだろう。バグというよりウイルスだ。潜伏期間は短いくせに、すべてのプログラムを書き換えてしまうほどに強烈な。破壊されるというよりは書き換えられる。今までどおり機能はする。けれど明らかにどこか違うのだ。

 ナミにROMに落としたデータを渡す。これを取りに来たなんていうのは口実にすぎないのはよくわかる。それなりに気を使ってくれているようだ。もともとのきっかけを作ったことに多少なりとも責任を感じているのかどうかはわからない。単に様子を見に来ただけなのか(今度の件でゾロに危険人物のマークがついたのは間違いない)案外、チョッパー目当てなのかもしれない、という気もする。当のチョッパーは相変わらず、キッチンに隠れたまま出てこない。

「じゃぁ、これで。もしビビに伝言があるのなら伝えておくけれど」

ビビはまだ体が癒えず、本国に戻れずにいる。とは言っても入国自体が極秘なため、ビビに関しては戒厳令が引かれているはずだ。基本的な世話をナミが担当している。要人であることには間違いがないからだ。思ったとおり、二人は気が合ったようだ。それ以上のことをあまりゾロは知らないし、そう知りたくもなかった。伝言と聞いて、一瞬あのフリーランサーのことが頭をよぎったけれど、やはり「特にない」、と答えた。

「あ」

ナミが立ち上がり、ドアに向かおうとした時、キッチンからチョッパーがパタパタと走り出てきた。珍しいこともあるものだと思った次の瞬間、ゾロは弾かれたように玄関に走りより、ドアを開いた。

「うわ、びっくりした」

・・・なんで普通にいるんだ。望む答えがそこにあったにもかかわらず、ゾロの頭を占めた第一の感想だった。

「お客さんか?」

てめェが知らねェわけねェだろ、という言葉も飲み込んだ。飛びついて来たチョッパーを抱え、勝手知ったる他人の家、という風情でゾロの前を通り過ぎ、ナミとサンジを見てしらじらしく話を振る。ナミもサンジも突然の来訪者に驚きを隠せないようだ。もっとも、チョッパーを見て驚いているのかもしれない。それとも自分を見ているのだろうか。

「新婚で遊びに来るには、この辺なんにもねェだろ?」

ニコニコと例の笑顔を振り撒いてナミとサンジに人懐っこく話しかける。その一言でサンジには一気に気に入られた模様。

「そうなんだよ。できればもっとムードのある場所に行きたいもんなんだけど」

と話を合わせそうになるところをさすがのナミが一蹴する。

「別に私たち結婚してるわけじゃないのよ」

「そうなのか?じゃぁ結婚の報告か?」

「結婚から離れてくれる?」

同じことを言われても、人間によってこれだけリアクションが別れる、というよい見本だと思いながら、ゾロは再び頭を回転させる。

「私たちは単なるゾロの同僚なのだけれど。あなたは?」

単なる、という所に心なしアクセントをつけてのナミの問いにはゾロが答えた。

「飼い主だ。チョッパーの。」

「あぁ。」

ナミとサンジは納得したようだ。このチョッパーにはそれなりに説得力はあると思う。チョッパーの本当の飼い主についてはまだなにも材料は与えていなかったはずだ。ただ、預かっている、と言った覚えしかゾロにはない。

「こんなチョッパー初めて見るものね」

「よかったなぁ、本当の飼い主戻ってきて。こんないかつい男と二人だけじゃ警戒心もそりゃ強くなって当たり前だよなぁ」

今度は好き勝手言い始めた。

「もう用は済んだだろ!」

放っておくと、いつまでも立ち去りそうにない二人にゾロが声をかける。

「あぁ、そうね。一応仕事中なんだったわ。またチョッパーの話とかあなたの話も聞かせてくれる?この男はなにも言わないから。私はナミと言うのだけど」

ナミが右手を差し出した。初対面でナミがここまで友好的になるのも珍しい。その一瞬の安堵がゾロの反応を遅らせた。

「ルフィ。モンキー・D・ルフィだ」

そう言ってにっこり笑うとルフィはナミの手を取った。口をふさごうにも時既に遅く、ナミはルフィの手を離すと、

「この貸しは高いわよ」

ゾロに向かってにっこり微笑み、ドアを開けて出て行った。サンジはと言えば必死で笑いを堪えている。

「おれはサンジってんだ。またなルフィ。」

そう言って手を振るとナミの後を軽やかな足取りで追って行った。

 

 なぜか殺し屋を相手に戦っていた時よりも疲れた気がする。貸しですませてくれることに感謝するべきだろうか。フリーランサーと繋がりがあることを本社が知れば、またひと悶着起きることは、ゾロでなくても容易にわかることだ。目の前のこの男はわかっているのだろうか。

 そこまで考えてゾロは苦笑する。もし、悶着があるのなら、戦えばすむことだ。もともとその覚悟ならとうにできていたはずなのだ。ゾロは冷蔵庫からビールを取り出す。

「お前も飲むか?」

居間でチョッパーと遊んでいるルフィに声をかける。

「・・・いや、やめとく」

「まだ仕事中か?」

今回もまた、仕事でゾロに用があったということなのだろうか。ルフィは少し考えてからちょっと言いにくそうに

「実は苦手なんだ。ビール」

と答えた。申し訳なさそうに、「だって苦いじゃねぇか」と言うのがおかしくてゾロは笑った。

「・・・ゾロそんな風に笑うんだな」

ルフィがびっくりしたような顔で呟いた。

「得した感じだ。なんか嬉しい」

そんなことを言ってあの顔で笑うので、ゾロはまた、暴走しそうになるプログラムを持て余す。頭の中でなにか有効なワクチンを探す。

「ありがとう」

「なにが?」

「ビビ、助けてくれて」

見つかった。ビビ。それがワクチンの名前だ。また正常に機能を始める。

「ゾロがいなかったら助からなかった」

確かに、もう少し治療が遅れれば、危険な状態だっただろう。

「おれじゃなくて本社の力だ」

「でもゾロがいなかったら使えなかった力だ」

全部、ゾロのおかげだ、とルフィが呟く。

「巻き込んだことに対するお詫びは必ずします。っておっさんからも伝言」

ゾロの眉間にシワが刻まれる。

「それも仕事のうちか?」

ROMを届けたのは十中八九ルフィだと思っていた。当たっていてもたいして嬉しくはない。国交のない国への出国、そしてそれからの入国。この国の入国管理のいい加減さを憂えるのみだ。それともなにか抜け道があるのだろうか。

「いや、ゾロあんまアラバスタに良い印象を持ってないみたいだから」

「持てると思うか?」

「そう言われると痛いんだけど」

「別に詫びも礼も必要ない。二度とおれにかかわらないでくれればいい。」

ルフィがみるみるうちにしおれていく。その様に

「けれど、あの分析は見事だった。軍縮は必ず成功させろ」

でないと巻き込まれた甲斐がない。と付け足した。ルフィがぱっと顔を上げたのでゾロは目をそらした。

「これで用はすんだだろ?」

こんな伝言を伝えさせるためにルフィを使わなくても、ビビとナミを経由すればいいだろう、とゾロは苦々しく思う。どうやら自分はルフィが使われることが気に入らないらしい。ルフィに言わせればそれはルフィの意思であって、使われているわけではない、と言うに違いないのだが、こんなつまらない仕事がルフィの意思であるはずがない、と思う。

 けれどそう言った途端にルフィが不満そうな顔をして

「用がなかったらいたらダメか?」

と言った時、ゾロは妙な気持ちになった。またシステムの誤作動だろうか。ワクチンも効かなくなった。そもそもなぜワクチンが必要だと思ったのだろう。それがウイルスだと思ったからだ。けれどそれがもともとのプログラムだとしたらどうだろうか。暴走する思考もシステム異常ではなく、もともとプログラムされていたものなのだとしたら。暴走を止めたければリセットするしか方法はない。

 ルフィは相変わらず、ゾロをじっと見ている。

「ゾロは神様でも機械でもなくて、人間、のアナリスト。だろ?」

ルフィが静かに言った。ビビのいるマンションで車から降りる時の表情に少し似ていた。

「おれが人間のままでいると困らねェか?」

「なんで?」

人間には記憶を完全にリセットすることは不可能だ。思い出さないよう、努力することはできる。忘れることも可能だろうが、記憶自体を消去することはできない。人間とは案外不便にできている。けれど機械ならば完全なリセットが可能だ。

「アラバスタが必要としたのも、ビビを助けてくれたのも、おれが好きになったのも全部人間のゾロだろう?」

至極あっさりと言われ、ゾロの思考は暴走する。

「おれはお前がビビに惚れてるもんだと思ってた」

自分の声が随分遠くで聞こえると思った。

「・・・読み違えたか?」

「違ってたらどうなるんだ?」

ルフィが笑った。ゾロの中の冷静な部分がなにか警告を発している気がするが、今ゾロの思考を支配している、たぶん原始的な部分がわめく声にかき消されてしまう。

「こうなる」

ゾロの動作は緩慢だったので、ルフィにならば簡単にかわせるはずだった。けれどルフィはそうしなかった。ゾロが手を取った時も、顔を近づけた時も、唇を合わせた時も。

 ただ触れ合わせるだけのものだったが、随分長い間そうしていたような気がする。気がするだけで実際はそんなに長い時間ではなかったのかもしれないが。ゾロの体が離れたあと、ルフィは少し考えて

「・・・なるほど」

と呟いた。さっきの会話の続きらしい。ゾロは少し笑った。

「わかったらどうする?」

今度はゾロが質問してみた。ルフィはゾロの顔を見て、少し困ったような顔をした。

「おれはゾロが嘘つくのはあんまり好きじゃない」

今度はゾロが困った顔になる。脈絡がない気がする。今、そんな話をしていただろうか?

「なにが嘘だ?」

「おれのことチョッパーの飼い主だって言った」

そこまで戻るのか。心なしかゾロの肩が落ちる。

「だから、おれがちゃんとチョッパーの飼い主になれば問題なくなるだろ?」

話は戻ってなかったようだ。

「どこで?」

わかっていて聞いてみる。

「ここで」

けれどルフィは答えた。

「仕事は?」

「どこにいたってできる仕事だと思うけど」

やめる気はないようだ。ゾロは少し大げさにため息をついた。フリーランサーと同居する国家のアナリストなんて聞いたことがない。

「もし、それでおれがクビになったらお前責任とれるのか?」

「そしたら運転手として雇ってやるよ」

ルフィが笑う。確かにそれも悪くない。そんな風に思う時点で負けは見えている。

「でもゾロみたいなアナリストは必要だからな。運転手は欲しいけど、辞めさせられないように努力する。」

ルフィが神妙な顔をして言った。ルフィは組織が嫌いだけれど、確かに組織というものには力がある。正しく機能すれば人の命を救う力になるのだ。ゾロだったら組織そのものを変えられるのではないかな?と思った。欲目でもなんでも。

「話が成立したところで要望があるんだが?」

ゾロの発言にルフィは少し身構える。

「さっきの続き、していいか?」

「続き?」

ルフィはきょとんとした顔をしている。構わず腕の中に収めた。

「あぁ・・・続き・・・」

ルフィの耳が赤くなっているのが見えた。どうやら伝わったらしい。

「でもチョッパーが」

「チョッパーはかしこい。お前もよく知ってるだろ」

気がつけば、チョッパーがいなくなっている。二階に上がったのだろうか。

「なんだったら家賃前払いだと思え」

ルフィが顔を上げて何か言いかけたので、これ幸いとゾロはその口を塞ぐことにした。

2004.12.26UP

・・・こんなはずじゃなかった気がするんですよ。

なかった気がするんだけど、まぁいいか、

でUPしてしまう私をお許しください。

続き物の最後っていっつも(というほど書いてませんが)

これでいいのか?と思います。

これはラスト考えてから書き始めたのに、

考えてたラストと全然違いました。

ラブコメ予告はしていたと思いますので、

ひとつ、大らかな気持ちで。

ここまでお付き合いいただきましてありがとうございます。

 

 

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