STING
3.
ゾロはその日家に帰らず、その晩遅くホテルに部屋をとり、昼までホテルから一歩も外に出ずに過ごした。昼過ぎに、家を空けていることを公衆電話から本社へ連絡する。 「どういうつもり?」 ナミの声は怒りを抑えているような気がした。無理もない。 「おれにも私生活がある」 「・・・呆れた。こんな時に女?」 確かに女はからんでいる。特に否定はしない。 「そっちの調査はどうなっている?」 「進めてはいるわ。けどアラバスタ本国に問い合わせるわけにもいかないしね。難航してる」 「モンキー・D・ルフィについては?」 「彼がイガラム氏を狙っている確証はないのだけれど、実際仕事に入っていることは事実だわ。」 「そいつが仕事に入ったのは確か3日前のことだろう?あの仕事は明らかに一昨日当日に行われたものだ。3日前から計画されていたとしたら、少し手際が悪いと思うが」 これから先、ルフィと行動を共にするのならば、マークは少しでも薄い方がいい。 「それはそうなんだけどね。まぁいいわ。実は本社によってほしいのよ。あんたの見た男について、フリーランサーたちの写真を用意したわ。目を通してもらいたいの。」 断るわけにはいかない。 「夜でよければ」 「じゃぁ七時に。」 「わかった」 言って電話を切る。ナミはなにか勘付いたかもしれない。頭もいいが、勘も鋭い女だ。 「ゾロの適性が工作員ってのはウソだな」 いきなり声をかけられて振り返る。見ればルフィがニコニコと人懐っこい笑みを浮かべて立っている。 「不安や緊張を感じない人間ってのは工作員には不向きだっていうから」 「不安や緊張でくたくたなつもりだが?」 「そんな状態ではあんな風に爆睡できねェと思うけど」 ホテルの部屋に着いた途端、ゾロはルフィに一声もかけず、ベッドに直行し、数秒後には豪快な寝息をたてていた。 「寝ないと体力も気力も回復しねェだろうが」 「そういうとこも工作員には不向き」 ルフィは楽しそうだ。こうしていると昨夜のことが夢のように思えてくる。ただ自分は古くからの友人と会うためにこのホテルを訪れた。そんな錯覚に陥りそうになる。それほどにルフィとの会話は気安いものであった。内容はさておいて。 「聞きたいこともいろいろあったが、昨日の脳はあれで十分酷使した。お前への質問はこれから順次行う予定だ」 「お手柔らかに」 ルフィが笑う。殺し屋のくせになんでこうもカラッと笑えるのだろう。ゾロは不思議に思う。 部屋に戻りルームサービスをとる。念のために盗聴器や発信機の有無も確認した。 「食べることと寝ることは基本だからな。ゾロの意見にはおれも賛成だ」 「お前は食、に重きを置いているようだがな」 食べ尽くされていく料理を見てソロが呟く。 「彼女はもう、料理店を出たのか?」 「出たよ。」 「お前は彼女のガードなんだろう?彼女についてなくていいのか?」 「今はゾロのガードだから」 王女よりもROMに価値があるということなのだろうか。 「ROMのガードではなく?」 「うん。ゾロのガード。」 自分のことを見張る意味もあるのだろうか。 「今夜、おれは本社に出向く」 「あぁ、言ってたな」 「お前は中までついてこれないぞ?」 「いいよ。おれが入れない本社の中ならゾロを狙う奴も入れないだろ?」 あっさり言う。ゾロのことを見張る気は毛頭ないらしい。 「いいのか?本社の連中におれは昨夜の報告をするかもしれないんだぞ?」 「だってゾロ約束しただろ?」 ルフィはきょとんとした顔で返す。確かに約束はした。けれど口約束だ。 「おれたちの世界に契約書はねェよ?あるのは信用と命がけの言葉だけ」 ルフィの声には今までにない重みがあった。ルフィもビビも、人間としてのゾロを信用したというわけだ。ゾロは背中が粟立つような気がした。 「それは責任重大だ」 「今ごろ気づくなよ」 ルフィがまた楽しそうに笑う。この顔にやられたのならチョッパーを責められないな、とゾロは苦笑した。
ゾロが地下鉄を降りたとき、時間は七時十分前を指していた。落ち着いている自分が不思議だった。命を狙われる実感が足りないのかもしれない。ビビのためにここまでする自分も不思議だった。明らかにゾロの行動は「規則違反」であり、ひいては祖国を裏切る行為、なのかもしれない。それでも彼女の口から発せられた分析が、正しいものだと思うから、つまりは自分の分析に命を賭けたことになるのだろうか。それとも単に、彼女の真剣さにほだされたのか、たぶん数歩後ろを歩いているであろう彼の人懐っこさにやられたのか、判断に苦しむところだ。 「対岸の火事が飛び火してきたようなもんか。」 完全に巻き込まれてしまっている自分が少しおかしくてゾロは笑った。 「ゾロは公務員にも向いてない気がするな。」 ルフィが小声で呟く。ゾロは笑いを堪える。自分を「公務員」と言った人間はいない。確かにその響きは不似合いだろう。ナミもサンジもルフィにかかれば「公務員」になるわけだ。嘘ではないが、なんとなくおかしい。自分も少しおかしくなっているに違いない、と思う。どこかがきっと麻痺しているのだ。こんな状態を「楽しい」と思うなんてあり得ない。 下り坂を左に折れ、細い一方通行に入る。そういえば、あの料理店の裏手の道とよく似ているな、と感じ、人間の考えることなんてそう、変わりはないのかもしれない、とまたおかしくなる。酔っているのだろうか?(だとしたら何にだろう)。ゾロは自問しながら歩みを進める。ルフィの姿は確認できる場所にはもうなかった。 小さな喫茶店があり、その地下にバーがある。狭い階段を下りると、ドアには「完全会員制」と書かれていた。ドアを開けると、バーには不似合いな二人の屈強な男がゾロを囲む。 「分析のロロノアだ。総務課長に呼び出しを受けた」 「チャンネルは?」 「37」 短いやりとりがあり、ゾロは店内に招き入れられる。一応、普通のバーと同じように、カウンターがあり、椅子があり、酒があり、バーテンダーがいる。けれどゾロはここで飲んだことは一度もないため、カウンターの向こうの夥しいボトルの中身が本物かどうか残念ながら断言はできない。 バーテンが受話器を上げ、二言三言話す。 「確認がとれました。どうぞ。」 そう言ってカウンターの奥へ通じるハネ戸を開けた。この店に客が入っている所を当然といえば当然のことながらゾロは見た事がない。ここまでのセットが必要なものか、といつも思う。念には念を入れる。この世界では当たり前すぎることだが、ここの維持費も税金から出てることを考えると・・・と、とりとめのない思考に苦笑する。どうやら自分で思っているより「公務員」はツボに入ったらしい。今のバーテンも入口の大男も「公務員」には違いない。ではルフィはなんだろう。契約が切れればルフィはまた誰に雇われるのも自由だが、今はアラバスタ王国に雇われていると言っていい。国に雇われていることは同じだ。 「非常勤。だな」 自分の「公務員」くらい似合わないと思う。カウンターの奥のくぐり戸を開くと、コンクリートの階段がある。階段を下りると地下道が続いている。突き当たりにはエレベーターがあり、エレベーターに乗る前にも使用チャンネルを確認される。乗り込むと、階数を押すまでもなく、エレベーターが上昇を始めた。 「なんだか楽しそうね」 エレベーターの扉が開くと、ナミの声がした。エレベーターは直接、防衛庁の三階に通じている。やはり自分は楽しんでいるらしい。由々しき事態だ。わざわざ出迎える辺り、なにか勘付かれている気がするが、なるようになるだろう、と楽観視することにした。どうにも、昨日逢ったばかりの男に影響されているようだ。 ナミに連れて行かれたのは、殺風景な小部屋だった。 「これがそのファイルよ。目を通して、アンタの見た顔があったらすぐにそこの受話器から連絡をちょうだい」 「お前はついていないのか?」 「ヒマじゃないのよ」 にっこり笑って出て行く。何を企んでいるのかさっぱりわからない、けれど明らかに何かを企んでいるに違いない笑顔だった。やっぱり、ルフィの笑った顔が一番屈託がなくていい。と考えて、ゾロはたぶん、今までで一番動揺した。思考のバグがひどい。修理が必要かもしれない。あいつは殺し屋だ。そして今はそんな場合じゃない。 ファイルは全部で4冊。それも相当な厚さだった。この国にはこれだけの不良外人が逗留しているということになる。国が把握していない分を入れたら、三倍以上に跳ね上がるに違いない。 ファイルを順番にゆっくりと繰っていく。約20分ほどで、目当ての顔に辿り着いた。「ダズ・ボーネス。反共思想が強く、クライアントの殆どが西側。戦闘能力Aクラス。」それだけの情報を、ページを繰る手を止めずに頭に入れる。どこから監視されているかわからないせいだ。それから先も同じペースでページを繰る。3冊目のファイルにルフィの名前を見つけた。「モンキー・D・ルフィ。国籍不明。戦闘能力Aクラス」情報はそれだけだった。写真もない。どこかの国から記録の削除を要請された、とナミが確か言っていた。アラバスタだろうか。アラバスタはまだこの国に、そこまでの権限はないだろう。ページを繰りながらゾロはまた、本筋とは関係ない思考に飲み込まれそうになった。 すべてのファイルを見終えるのに一時間ほどかかった。受話器をとり、ナミを呼び出す。 「見つからなかった」 ゾロがそう告げるとナミは顔色を変えずに、 「そう。残念ね」 と言っただけだった。
ゾロはその夜も別荘に帰ることをあきらめ、昨日とは違うホテルに部屋をとった。ルフィとはまだ連絡をとっていない。たぶん、自分に尾行がついているに違いない、と思ったからだ。ナミはたぶん、ゾロの「私生活」という言い訳を信用していない。せまいシングルルームのベッドに寝転がり、天井をにらみつけながら、頭を回転させる。 この件の絵を描いたのは、たぶん、アラバスタ国王だ。ネフェルタリ・コブラと言ったか。あの分析は、イガラム氏の立てたものか、案外、国王自身の分析かもしれない。情報量はたいしたものだった。よい工作員にも恵まれているに違いない。いや、もともと、組織のあり方がこの国とは違うのかもしれない。ゾロは若干の修正を加える。 「あるのは信用と命がけの言葉だけ」ルフィの声が頭をよぎる。回転が少し、鈍くなったかもしれない。ルフィのことはひとまずどけておく。アラバスタの話だ。王女を単独で国交のない国へよこす意味。ゾロの分析はひとつの答えしか導き出せなかった。囮だ。ゾロを巻き込んだのはリスクの分散を図ってのことだろう。ゾロの眉間に皺がよる。そういえばルフィといる間はあまり意識したことがないな、と思い、また我に返る。 その夜の分析はあまりはかどったとはいえないものであったが、それなりの回答は得られた気がした。
翌日、チェックアウトをすまし、ホテルを出ようとした所、ロビーの椅子にちょこんと座っているルフィを発見した。堂々としたものだ。ゾロは苦笑して、ロビーに置いてある自動販売機から煙草を買い、ルフィの隣に座り、吸いたくもない煙草に火をつけた。 「ゾロはなんでそんなに寝れるかなぁ」 ルフィがボソリと呟く。 「悪かったな」 ゾロは笑いをかみ殺す。頭の中で警戒警報が鳴っているが、ひとまず気づかない振りをする。 「何人だ?」 「二人かな。今は表にいる。」 尾行の話だ。車で泊まりとはご苦労な話だ。 「お前はどこに泊まったんだ?」 「ゾロの隣の部屋」 車だったら申し訳ないと思ったので、ゾロはホッとした。 「そこで安心するのがおもしろいよな。」 ルフィが呟いた。聞き取れるかどうかくらいの小さな声だった。独り言だったのかもしれない。 「ひとまず、家に帰りたいんだが」 「了解。チョッパー心配だもんな」 ルフィが笑った。この笑い方は凶器だとゾロは思う。 「地下の駐車場にあるから。できれば前と同じ所で買い出しして帰ってくれな」 そう言い置いてルフィは立ち上がった。ルフィの居た場所にはゾロの車のキーがあった。素早く、鍵をポケットにしまう。どうせなら一本吸ってしまおう、とゾロはゆっくりと煙を吸い込む。久しぶりに吸う煙草はちっともうまくなかったが、それでも気分は悪くない。備え付けの灰皿に煙草を押し付け、ゾロはゆっくりと席を立った。
別荘に帰り、玄関の電子錠を外す。中に入った途端、チョッパーが飛びついてきた。 「おー。ちゃんと留守番できんだな。すげェぞ。あと。悪かったな。ゾロ返すの遅れて。」 ・・・ルフィにだ。ゾロはなんだか複雑な気持ちで荷物を下ろす。買い出ししてきた、主に食料品だ。一通り、冷蔵庫にしまう。それからチョッパーの頭をなでて、2階に向かった。まっすぐに重量感知パネルに進む。ここ二日間の記録を打ち出す。幸運にも侵入者はないようだ。それから寝室へ。窓にも鍵にも無理にこじ開けたような形跡はない。 「お前どうやってここから入った?」 ゾロは階下でチョッパーと遊んでいたはずのルフィに声をかける。ルフィは背後で少し驚いたようだが、ルフィの気配ならもう、隠そうとしてもわかる。ルフィが珍しく言いよどむ。 「今後のこともある。」 ゾロが続けた。 「・・・開けてもらった」 「・・・チョッパーにか?」 「チョッパーはすごくかしこい。窓の鍵まで開けられる」 そんなことは教えていないはずなのだが。ゾロは少し頭痛を覚える。 「チョッパー怒るなよ。おれがベランダで困ってたトコロを助けてくれたんだからな!」 怒る気力もわかない。困っている侵入者を助けてどうする。ただ、ルフィ以外には使えそうにない手だ。強いて言うならば2階の窓もすべてダブルロックにしておかなかったゾロのミスだろう。 「あちこち壊されなくてなによりだ」 ゾロはそれだけ言って居間に戻る。仕事をする気にはならなかった。ルフィもあとをついて来る。冷蔵庫からビールを取り出す。 「お前も飲むか?」 ルフィに向けて言った。 「仕事中だから、やめとく。」 ナミと同じことを言う。ルフィがここにいるのは仕事なのだ。 「お前もアラバスタのために働いているわけだろう。おれとそう変わらん」 「おれは別にアラバスタに雇われてるんじゃなくて、コブラのおっさんに雇われてるだけだから、国とかは関係ねェよ?」 「国王に雇われているのなら、国に雇われてることにならないのか?」 国王をおっさん呼ばわりすることにゾロは苦笑する。 「国王は国じゃねェだろ?国王は王様で、国は民で、おっさんはおっさんだ」 「お前とコブラ王はどういうつながりがあるんだ?」 「おっさんは友達だな。ビビも。」 「友達だから今回の仕事を引き受けたのか?」 「うん。命をかける理由なんて好きか嫌いかで十分だろ」 「お前は簡単でいい」 「ゾロは難しいのか?」 「公務員だからな」 組織に属するということは、納得のいかない命令に従わなければならないということも少なからずある。組織の形態そのものに疑問を感じることがあってもそれを口にすることは許されない。ルフィの言う通り、やはり自分には向いていないのだろう。分析の仕事自体は嫌いではないが、この組織という形態、つまり、公務員が。だからと言って転職が許されるような簡単な組織ではない。けれど今のこの状態は、服務規程違反も甚だしい。これが国に知れたときのケースを考える。円満退職はあり得ないだろう。 「やっぱり消されるかな」 呟いた。 「させねェよ?」 ルフィが呟きに反応した。「一生か?」と聞きそうになって慌てた。慌てたことに慌てた。冗談で口にしてしまえなかったことに。 「そういや、おれがホテルで見た男の正体がわかった」 結局ゾロの口からは思考とはまるで違う台詞が出た。 「ダズ・ボーネスって男だ。本社のファイルで確認した。」 ルフィの顔色が少し変わった。ゾロはルフィの言葉を待つ。 「なら、ビビが危ねェな。」 ルフィは呟いただけだった。
2004.12.7UP やっとゾロルっぽくなってきたかな、と(笑)。 やっぱりゾロサイドの方が楽ですね・・・。 あと1.2回で終わりたいなぁ、と思ってます。
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