図書館

 


 その日はルフィの希望により、室内スキー場へ行く予定であった。どうやらルフィはなんとしてもゾロにスノボをやらせるつもりだ。正直、スノーボードに対しては、特に感想のないゾロであったが、確かにルフィの動きは素晴らしかったので、もう一度見ることはやぶさかではなかった。
また、ルフィにモノを教わる、という経験もなかなか悪くない。
さらに、一人で行かせて変な虫でもつかれたら大変だと、自分のことを棚にあげて思っていた。
まぁ、そんな事情で、ルフィの家の最寄の駅で待ち合わせすることにも同意したわけなのだが。
現れたルフィの顔は今までにないほど暗く沈んでいて、ゾロは何事かと思う。
「ゾロ、ごめん」
 いきなり謝られて、ゾロは身構える。何があったというのか。
「エースがゾロに会うの禁止だって」
 一瞬、頭の中が白くなる。
「・・・なにか、したか?」
特筆してなにかをした覚えはない。幸か不幸か。
「ゾロが悪ィんじゃなくて、おれが悪ィんだけど・・・」
「なにがあった?」
 ルフィが大変言いにくそうに、俯いたまま言った。
「・・・このままだと留年するかもしれねェ」
「・・・成績が下がったのか?」
「学年末テストがすごいことに・・・そんで課題が山ほど・・・」
「で、兄貴が怒った」
「ゾロにかまけて学生のホンブンがオロソカになってるんだって。だからゾロと遊ぶのしばらく禁止するって。」
 ゾロはひとつため息を吐いた。
「今日おれと会うの、兄貴に言ったか?」
「うん。言った。スノボ行くんだって」
「・・・でもそれは止められなかったんだな」
「うん。でもゾロに会ったら、ちゃんとそう言えって言われた。」
 ゾロはしばらく考える。ルフィが不安そうに見上げてきた。
「・・・わかった。一旦、家に戻るか」
「スノボは?」
「なしだ」
 ルフィが見る間に萎れた。
「ゾロ、せっかくここまで来たのに、帰っちゃうのか?」
「いや、ひとまず、お前の家に行く。で、この辺に図書館とか大学とかあるか?」
 ルフィは顔を上げて、不思議そうな顔つきになった。

 つまりは試されているのだろう。ルフィではなく、ゾロが。
 いくつかの資料を揃えながら、ゾロは食えない兄のことを考えた。ルフィは所在なさげに、椅子に座りながらもきょろきょろと落ち着かない。ルフィの範疇外の場所なのだろう。思ったとおりのリアクションにゾロは内心苦笑する。
「固まってないで、とっとと問題集開け」
 ルフィの横の席に腰かけると、話しかける。ルフィは固まったまま、やはり不思議そうな顔でゾロを見上げると、
「・・・喋ってもいいのか?」
 と、小声で聞いた。ゾロは笑いを堪えて、
「でかい声でなけりゃな」
 ずいぶんとわかりやすい、そしてとてもルフィらしい「図書館」のイメージだった。
二人は一度、ルフィの家に戻り、今回出された補習用の課題を持って、家から少し離れた場所にある図書館に来ていた。離れた、と言っても、自転車圏内で、行きはルフィが漕いで来た。自転車はルフィのものだったし、ゾロには道がわからなかったせいもあるが、なによりルフィが漕ぎたがったからだ。
自転車の二人乗りなど久しぶりで、それなりに楽しくはあったが、帰りは必ず自分が漕ぐのだと、ゾロはどうでもいいことに決意を固めていた。とにかく、手のやり場に困ったので。
さておいて、図書館だ。ルフィに縁のない場所であることは間違いないが、妙に緊張しているのが面白い。
「なんで、うちじゃダメなんだよ」
 ゾロの心を見透かしたわけではないのだろうが、ルフィが小声で呟いた。どうやら、ほんとに苦手らしい。
「おれが眠くないからだ」
 ルフィはまったく腑に落ちない、という顔をする。部屋で二人きりになるというシチュエーションを避けようとするゾロの苦労に気づく様子はみじんもない。
 最重要課題は、ルフィの課題を終わらせることだ。いつまでたってもやる気を起こさない弟に、兄が痺れを切らして、ゾロを巻き込んだということは、想像に難くない。このまま、ルフィの課題が終わらないようでは、きっとゾロの責任になる。おかしな話だが、あの兄ならそのくらいの論法を持ち出してもおかしくはない。
「ずいぶんな責任転嫁だがな・・・」
 ため息を吐きつつも、ルフィが留年するというのはゾロにとっても好ましくない。いろいろと困る。
 ルフィも困ったように、机に置かれた課題の山とゾロの顔を交互に見る。なかなかに前途は多難なようだ。

 どうにも腑に落ちない。ルフィは目の前に積まれた課題を見る。ほんとは今ごろ、スノボだったはずなのに。まぁ、ゾロと二人乗りは楽しかったからそれはいいのだけれど。
 そもそも図書館である。実のところ、ルフィはこんなところに図書館があるなんて知らなかった。家に帰ったとき、友人に電話して聞いたのだ。大学よりもこの図書館の方が、家から近かった。
「そういや、なんで大学?」
 やたらと自分の声が響く気がして、ルフィの声は必要以上に小さくなる。
「大学には普通、図書館がある」
「でも入れないだろ?」
「入れるぞ?」
 ゾロの回答に、ルフィは驚く。ひとまず、ルフィの高校には、在校生しか入れない気配なのだが。部外者は入れないぞ、という気概が、あの校門からはひしひしと感じられる。
「制服の高校生の群れに、私服の大学生が入るとそれなりに目立つだろうし、学校も高校まではわりに閉鎖されてるが、大学はその辺、おおらかだぞ」
「そうなのか・・・」
「その辺のサラリーマンが学食でメシ食ってることもある」
「マジかっ」
 少し声が大きくなって、ルフィはあわてて口をつぐんだ。
「大学に興味出てきたか?」
「学食には出てきたかな」
 ゾロが苦笑した。それはそれとして。
「せっかくゾロと会ってるのに、何故勉強?」
 始めに戻って、腑に落ちない。
「おれのせいで留年した、なんて言われたくねェからな」
ルフィは顔を曇らせて、
「ゾロのせいなわけねェだろ。おれのせいだ。おれが勉強しないのなんて、いつもだし」
「勉強が嫌いか?」
「うん。それに他にやりたいことがたくさんある」
「やるべきことはやらねェと、やりたいことも出来なくなるぞ」
 ゾロがルフィの問題集をひとつ、手にとった。ルフィはまだ、課題に手をつける気にはなれない。
「・・・お前、メシ食うの、好きだろ?」
 ルフィは一も二もなく頷いた。
「なんで、メシ、食えるんだと思う?」
 考えてみる。ルフィは自分でご飯が作れない。作れないから、作ってもらったり、買ったりする。作ってもらうのだって、材料はどこかから買ったりするわけだから、要はお金が必要だということだろう。自分で食べものを育てる、という方法もあるわけだが、ルフィにはそんな根気はない。でも、狩りとかなら出来るかもしれない。マンモスとか狩って皆で食べるのも楽しそうだ。
「ゾロも狩りは得意そうだなぁ」
「働かざる者食うべからず、って話をしてたつもりなんだが?」
「マンモスの肉ってうまそうなんだよ。一回食ってみたかったんだ」
「まず、マンモスを探すとこから始めねェとな」
 今の世の中、マンモスはまず狩れない。
「あー・・・じゃぁ、そのマンモスの話だ。マンモスが生息してたのは更新世」
「こうしんせい」
「地質年代の新生代、第四紀に当たる。」
「ちしつねんだい?」
「地質時代を生物の生存期間に基づいて区分したもんだ。」
「ちしつじだい・・・」
「こうやって、わからないことを知っていくのが勉強。別に嫌う理由もないだろう」
「あ。そうか」
「単に拘束されてじっとしてるのが苦手なだけだろ、お前は」
 そうなのかもしれない。ルフィは頷いた。
「おれは、スノボだろうが、図書館だろうが、お前といられりゃどこでもいいんだがな」
 不意にそう言われて、ルフィは困った。
「・・・それは・・なんか・・ずるい」
なんだか心拍数が上がった気がして、ルフィは俯いた。なんとなく、顔を見られない。ルフィも腑に落ちない気はするが、別に楽しくないわけではない。
「おれだって、ちゃんと楽しいからな」
「課題、ひとつでも片付けたら信じる」
 更にずるい気がした。

「・・・休憩・・・」
「それ、終わったらな」
「頭パンクするぞ」
 ルフィの課題は着々と減りつつある。いま取りかかっているのはなんとみっつめだ。
「脳の容量はそこまで狭くない。だいたい脳の働きっていうのは二十歳超えると下降していくばかりなんだから、今のうちにつめこめるだけつめこむのがいいんだぞ」
 唸りながらもルフィはノートに目を落とした。小声でひそひそ話す都合上、ゾロの顔が大変近いので、あまり顔を上げられないのだ。ルフィはたまに、こんな風になる。ゾロと一緒にいたいのに、一緒にいたくない感じだ。ゾロの隣は居心地がいいはずなのに、たまに変に緊張してしまう。これも勉強すればわかることなのだろうか。
「終わった・・・かな?」
 あまり自信はないが、とりあえず埋まった。
「あぁ、お疲れさん。なら、休憩するか」
 そう言って、ゾロは読んでいた本を持って立ち上がった。
「そういや、ゾロはなに読んでたんだ?」
 綺麗な紅い色の本だった。
「あぁ、体系学の本だ。生き物の体系化を試みるって内容だが」
「面白い?」
「それなりに」
 ゾロはその本を一度本棚に戻す。ルフィもいったん課題をしまって後についた。ブラウジングコーナーを出て、ロビーに戻ると、右手にあるレストランに入り、昼食を取ることにした。
「・・・頭ぐらぐらする」
 と言いつつも食欲はなくならないルフィが、サイコロステーキをばくばくと口に入れながら喋る。
「道具と一緒でな、頭も使わないと悪くなるんだ」
「おれの頭が悪いって言いたいのか?」
「いや、よく頑張った、と思ってな。おれに手伝えって一度も言わなかったし」
 本当は言いたかったのだが、なんとなく、それは言ってはいけない気がした。言えば、ゾロは手伝ってくれたかもしれないのだけれど。自分でもよくわからない。
「聞いてもいいか?」
「なにを?」
「お前、最初に言ってたみたいに、兄貴に本気で禁止されたら、おれと会うのやめるのか?」
「え?エース、本気じゃねェのか?」
「今回のは単に、お前に課題かたづけさせるための方便だろ」
「そうなのかっ?ゾロよくわかったな」
「普通わかると思うが・・・今回は単に、試しただけだと思うんだが、もしお前がこのまま課題に手を付けずに留年なんてことになったら、たぶん、本気で反対される。最低限、やらなくちゃいけないことはやるべきだとおれも思う」
 ルフィは顔を上げて、
「エースがなに言っても、ゾロと会うのは止める気ないぞ?」
 ゾロは息をひとつ吐いた。
「ほんとは、お前が留年しても、高校なんてやめればいい、って兄貴が反対しようがおれの手元において、全部面倒みてやるから、なんにもしなくていい、って言ってもいいんだが、お前、それで嬉しいか?」
 ルフィは黙って首を横に振った。それはなんだか楽しくなさそうだ。そんなのはちっとも対等じゃない。
「ぐずぐずに甘やかして、おれがいないと生きられないようにするのも悪くねェってどっかで思ってるからな。お前が自分でしっかりしねェと、その辺り、どうなってもしらんぞ」
 またコメントに困ることをゾロは言う。
「・・・えぇと・・・おれがもっと勉強をがんばればいい、という印象か?」
「別にがんばらなくてもいい、と思ってるから気を付けろ、ということだ。まぁ、お前にはなにも捨てさせたくない、と思ってるのも本当だけどな。」
ゾロの言うことは時々よくわからない。
「なにも捨てたくなかったら、頑張れ」
「わかった。頑張る。」
 よくはわからない。けど、なんとなくはわかった。ルフィはゾロのことが一番好きで、大事だけれど、それだけあればいい、というものでもない。やっぱりご飯は食べたいし、家族も大事だし、友達も大事だ。それを全部手に入れようと思ったら、やっぱり頑張るしかないのだろう。
 知らないことを知る、というのが勉強の基本なら、それはそんなに悪いことではない思う。すぐには好きになれないだろうけれど、歩み寄りは必要だろう。

 帰りはゾロの運転で駅まで向かう。ルフィは荷台に後ろ向きに座ると、ゾロに背中を預けていた。普段つかわない脳をフル稼働させたため、かなり消耗したと思う。目を閉じても公式が追いかけてくる気がする。
 結局、終わった課題は5つだ。半分以上はできた。一日でこれだけのことができるものなのだとルフィは密かに驚いていた。
「やっぱり、ゾロが隣にいてくれたからかな?」
 休憩後もゾロはゾロで、例のバイオなんとかいう本を読んでいて、あんまり喋らなかったけれど、別に居心地が悪いことはなかった。ルフィの手が長時間止まると、少しだけ、教えてくれたりもした。
「でも、ゾロがいなくてもちゃんと頑張れるようになるからな」
「・・・それは少し複雑だな」
「ちゃんと、ずっと一緒にいるためだろ?」
「思ったより伝わってたみたいで助かった」
 言いながら、背中の体温がじんわり温かくなった気がして、ルフィは目を開いた。空には夕日が輝いて、キレイな橙色を映していた。
 ルフィは自転車圏内に図書館があるなんて知らなかったし、小さな声でなら喋ってもいいらしいことも発見だった。これも勉強なら悪くない。
ルフィは本を読むことが苦手だけれど、いつか、ゾロの読んでいた本を読んでみたいなぁ、とぼんやり思った。









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